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【旅する日本語】日常の見え方

旅と日常は、離れているようでそうでもない気がする。
非日常を求めて旅に出たりするくせに、私はいつも、旅先で日常に触れたがる。
日常に触れられた気がしたときにこそ、やっとそこに着いた気がするのだ。

フィレンツェに着いたとき、道路標識の遊び心に旅行者の誰もが気づき、そして少し笑い、カメラを構える。
有名なアーティストの仕業で、店もある。お土産にステッカーを買って帰る人もいるだろう。
私のその一人だった。

だが現地の友人ができ、いろんな人の車に乗せてもらって気づいたのは、彼らが運転時に無口でいられないということ!そして絶えず他の車や歩行者、信号、しまいには制度を作った国にまで悪態をつく。その悪態の種類の豊富さには笑いを通り越して脱帽するのだが、道路標識のユーモアは彼らの苛立ちに対して、一役買っているのかもしれない。

そう思ったときに、道路標識ひとつひとつがさらに愛しく思えて、旅の喜びがひとしお膨らむのだ。



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