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「リーダー」と「リーダーシップ」の関係を改めて考える

リーダーシップはフィクションだけど

リーダーシップという概念は、フィクションだ。というか、概念はフィクションであり、リーダーシップも概念なので、フィクションだ。

ただし、それは「リーダーシップ」を少しも貶めるものではない。というか、フィクションというものは「人間らしさ」の骨格にある、とてつもない力をもっているものだ。なので、より正確に言えばこうだろうか:「リーダーシップとは人類が生み出した数あるフィクションの中でも最高の部類に入る非常に有益なフィクションだ」

リーダーは実物だ

一方で「リーダー」は実物だ。そして、「リーダー」は人間にとどまらない。猫にもシャチにも、羊にもアリにもリーダーがいる。こうなると、普通はこう考えるだろう。「リーダーを観察し抽象化し概念化したものがリーダーシップだ」。

いや、間違いじゃない。むしろ多分正しい。リーダーが注目され、リーダーの再現性を高めるためにリーダーシップが研究されてきた。それを否定するものではない。でも、「よってリーダーシップを学べば、自分もリーダーになれるかもしれない」という考え方になると、実はこれは迷宮入りしてしまうパターンだ。なぜなら、リーダーシップ論が巷に溢れていて、あまりに玉石混交なため、迷子になってしまうからだ。たちが悪いのは、一つ一つのリーダーシップ論はわかりやすい、ということだ。問題は、複数のリーダーシップ論に触れた途端、それらの間に矛盾が出てきて(そのような気がしてきて)、結局何が正解なのかわからなくなってしまう、というところにある。

撤回。構図を変えてみよう

さて、ここまでそれっぽいことをいってきたけど、本当は違うことを主張したい。これから先、以下の言葉を区別して使っていきたい。

  1. リーダー

  2. リーダー論

  3. リーダーシップ

  4. リーダーシップ論

こう並べただけで、これまでとは少し考え方のフレームが変わった感じがしないだろうか?「論」のある無しは何が違うのか?「リーダーシップ」と「リーダーシップ論」はどう違うのか?

まずは「論」のある無しの違いから考えてみよう。論は言葉によって成り立つものであり、実態と対比させるものだ。よくITで「物理ファイル」「論理ファイル」などと言ったりするがこの違いだ。「実態」と「概念」という対比と考えて良い。

さて。となるとここで混乱が生じる。「リーダーシップ」は抽象だと言っていたのではなかったか?では、「リーダーシップ論」というとトートロジーが含まれてしまうのではないか?それとも抽象の抽象なのか???

よってここで冒頭の説明を軌道修正したい。「リーダーシップ論」を「リーダーシップ」を説明する概念としよう。とすると、「リーダーシップ」は、抽象ではなく実態として考えよう。リーダーシップは、具象だ。目に見える、観察可能なものだ。

更に混乱するだろうか。「リーダーとリーダーシップの関係はどうなるのか?リーダーを説明するのがリーダーシップなのではなかったか?」そう、最初はそう書いた。でもじつは違う。リーダーを説明するのは「リーダー論」に任せよう。「リーダーシップ」には別の役割を与えよう。

行動としてのリーダーシップ

ではリーダーシップとはなにか???リーダーとリーダーシップの関係はどうなってしまうのか????

それを紐解くには、言葉に文脈を与えてみるのが良いだろう。

まず、「リーダー」とは普段どう使われるだろうか。「彼女はチームのリーダーだ」「彼は素晴らしいリーダーに成長した」こんな使われ方をしているはずだ。ここから読み取れるのは「リーダー」=「人」ということだ。

一方「リーダーシップ」はどうか。「彼女があの危機一髪のタイミングで取った行動は素晴らしいリーダーシップだった」「彼は普段はおとなしく口数が少ないのに、バスケットボールの話になるととたんにリーダーシップを発揮する」こんな使われ方ではないだろうか。とすると、「リーダーシップ」=「行動」ということになる。

つまりは、リーダーという人がリーダーシップという行動を取る、というのが、この新しいフレームから見えてくる「リーダー」と「リーダーシップ」の関係になる。「論」はどちらにも自在につけ外しができる。「リーダー論」とは「リーダーという人のあり方を論じるもの」であり、「リーダーシップ論」とは「リーダーシップ行動を掘り下げていくもの」だ。

実はこれは、コーチング界隈で語られることが多い「Doing」と「Being」と対応している。Doingを扱うのがリーダーシップ論であり、Beingを扱うのがリーダー論だ。

ちなみに、「リーダーがリーダーシップ行動を取る」と先程書いたが、これも実は落とし穴の一つだ。リーダーが取る行動をリーダーシップといってしまうと、リーダーにしかリーダーシップ行動は取れないことになってしまう。それでは「リーダーになりたい」「リーダーシップを発揮したい」というアスピレーションがある方への参考には全くならないだろう。

逆転させる必要がある。「リーダーシップ行動を取る人がリーダーだ」。そう、行動が先だ。周囲からリーダーと目されている人は、はじめからリーダーだったわけではない。適時適切にリーダーシップ行動を起こしていたからこそリーダーとみなされるようになっただけだ。リーダーとは、「3割打者」みたいなもので、リーダーシップ行動の打率が高い人のことを言う。よって、「リーダーになりたい」人がするべきことはシンプルだ。バッターボックスに立つこと、バットを振ること。そしてもちろんその前に、膨大な自己研鑽を積み続けること。



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