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再びロシアへ

ロシア欠乏症に罹患してる皆様へ
9か月ぶりにロシアに行って来ましたという自慢お話です

(筆者はロシアによるウクライナ侵略を一切支持しておらず、ロシア軍は直ちにウクライナから撤兵すべきであるという立場にあることは最初に表明しておく)

前回2023年3月にロシアに渡航した折の記事はこちら

ロシアから帰国して9カ月、前回渡航した折はモスクワやペテルブルグを堪能し、しばらくは来なくても大丈夫と思って出国したつもりだったのだが、悲しいかなそんな満足感は日々の雑事にかまけるうちに霧散してしまった。
(ついでに2023年8月にはコロナ禍以来の中国渡航を果たして中国欲を満足させてしまったので、今度はロシアへの渡航欲が抑えきれなくなってしまった)

中国経由の航空便も復活し、アゼルバイジャンを経由した前回よりもはるかに渡航難易度が下がったとあって我慢が出来なくなった筆者は、つい勢いでロシア電子ビザを申請してしまった。

最初は中国経由で極東に飛ぶつもりでいたのだが、電子ビザが通用する出入国ポイント一覧を眺めているうちに、モンゴルからの陸路越境ポイントも対象に入っていることに気づいてしまったのだ。
’やはり旅は陸路しか勝たん’ということで、モンゴルから陸路でウランウデ・イルクーツクを往復するというルートに決めたのだ。

ロシア入国まで

ロシアに渡航するとなると先立つものはビザである。世界最強のパスポートとイキって見たところでロシアにも中国にも入れないじゃねーか。
2023年9月より日本をはじめ非友好国も含む56か国の市民はオンライン申請のみでビザが取得できるようになったので今回はこれを利用する。
滞在可能期間は16日間までと短いが、長期の休暇を確保できなった筆者には充分である。申請方法は以下のブログで詳しく説明されてるのでここでは割愛する。

4日で発行されると書いてあるのに、筆者のは待てど暮らせど発行されたというメールが届かず、気になって申請サイトを見に行ったらとっくの昔に発行されてた。(ロシアのお役所にそんなサービスに期待してはいけない)
ちなみにこの紙切れ一枚の電子ビザだがイミグレとかホテルとかで見せているうちにぼろぼろになってしまったので、事前に何枚かプリントアウトしておくことをおススメする。

モンゴル→ロシアへ

モンゴルからロシアへの陸路越境が可能な地点は主に以下の2地点である

  • スフバートル(Сүхбаатар)‐ナウシキ(Наушки)国境(鉄路)

  • アルタンボルグ(Алтанбулаг)‐キャフタ(Кяхта)国境(道路)

いずれもウランバートル‐ウラン・ウデを結ぶルート上にあるので、どちらを選ぶかは好み次第である。
筆者は出入国スタンプを道路も鉄路も欲しかったので、往路では鉄道を、帰路ではバスを利用した。

モンゴル鉄道の切符は旅行会社を通さない限り事前に買うことは事実上できない。直前まで予定を決めていなかった筆者はウランバートルに到着するととりあえず駅で切符を抑えに向かった。

社会主義リアリズム様式の駅舎
切符売り場は左手の別の建物内にある

2023年冬ダイヤでのモンゴル‐ロシア間の鉄道ダイヤは以下の通りである。

305列車 ウランバートル 15:22 → イルクーツク 15:18 (始発駅 火・木・金曜日)
306列車 イルクーツク 7:57 → ウランバートル 6:38 (始発駅 月・火・金曜日)

訪問時には(北京→)ウランバートル→モスクワ間の列車は運行されていなかった。

ウランバートル駅の時刻表

このご時勢からかロシア行きの列車はガラガラであった。
ウランバートルからウラン・ウデまで約15時間ほど、クペー(2段寝台車)の下段で305100トゥグルグ(約13000円)である。バスと比べるとかなり割高であるが、鉄路国境越えというロマンのためなら喜んで払えるぐらいの額ではある。

ここで嬉しい誤算だったのがウランバートル駅で発券してもらった切符が、ロシアではあまり見られなくなってきた古いタイプの切符だったのだ。
合わせて国内列車の切符も買ったのだが、こちらはよくあるレシートタイプのものだったので、どうやら国際列車の窓口だけでこのタイプが発券されるようだ。

両替

列車のチケットのほかに、ロシア渡航で忘れてはいけないのが現金の準備である。現在ロシアでは経済制裁により日本で発行されたクレジットカードを使うことができない。そのため事前にロシアルーブルの現金を用意しておくか、あるいはドルやユーロなどロシア国内で両替可能な外貨を充分量持ち込む必要があるのだ。

筆者は急に予定を決めたこともあり、財布の中の外貨は人民元と韓国ウォンしか用意してなかったので、ウランバートルでルーブルの現金を確保した。
市内にはいくつかの両替所があるが、筆者が利用したのは↓の一帯にある両替店のひとつである。

800,000トゥグルグ→21,200ルーブル(+1000トゥグルグ)であった。レートは37.60で日本で替えるよりもかなり交換率がいいのではないかと思う。ちなみにだがウランバートル市内はモールなどに行けばATMはすぐ見つかるため、トゥグルグの現金を手に入れるのに困ることはないだろう。

また両替はロシア入国後でも、ウラン・ウデ市内であれば、ドルやユーロの他にモンゴルトゥグルグと人民元も可能であることは確認した。しかし鉄路入国時はウラン・ウデに早朝着ということもあり、事前に交換した方がいいのではないかと思う。

305列車

翌朝まずはウランバートル早朝着の列車を待つ。昨夜中国国境の街から荒野を駆け抜けてきた列車である。
(中国へのビザ免除が継続していたら、この列車でウランバートルに到着したかった…)

石炭暖房の匂いが立ち込める駅コンコースでひとしきり撮影したのち、市内観光に出かける。

この国はソビエト連邦につづく、世界で二番目に古い社会主義国であったということもあり、市内では社会主義アートを見ることができる。
市内への眺望が開けるザイサン・トルゴイではいかにもなアートがいまだ展示されている。

またこの展望台から郊外方面を見ると、遊牧民のゲルが立っている様子を眺めることができる。一時期のウランバートルの周縁部ではゲルが集住し、スラム化した聞くが、近年は急ピッチで開発が進み、このような光景も解消されつつあるようだ。

14時ころにウランバートル駅に戻ってきた。駅舎内の食堂で腹ごしらえをし、キオスクで食料や水を買い込んでいると、今夜の列車が入線してきた。

どうやらこの日の車両担当はロシア鉄道であるようだ。見慣れたRZDの客車である。オンボロ古い客車を使っているモンゴル鉄道が担当している方が旅情があふれている気がするが、車内の快適性ではRZD客車の方がはるかに高い。やはり車内で充電できるのは正義。

乗客が少なかったからであろうか、列車は定刻より少し早くウランバートルを発車した。市内を抜けるとただ延々と雪原が続く。まもなくネットも繋がらなくなり、車窓を眺めるか本を読むくらいしかすることがなくなる。

冬のモンゴルの日暮れは早い。あっという間に外は真っ暗になった。
担当車掌がシーツ一式を持ってきたので、自分でベッドメイクを行う。始発以外の列車では自分の前に乗った客のシーツがそのまま放置されてる中国と比べると、寝台の支度から片付けまで自分でしなければならないロシア方式の方が手間はかかるとはいえ清潔でありがたい。そういえばインドも自分でベッドメイクしたなぁと。

夕食は駅のキオスクで買い込んできたカップ麺である。車内でお湯が貰える列車の様式美みたいなものである。もちろんこのような(あまり格の高くない)国際列車には食堂車などない。ロシア号とか乗れば連結されているのだろうか。

夜10時ころ、列車はモンゴル側の国境の街スフバートルの駅に滑り込んだ。
出国審査は係員がパスポートを回収していって一括して行う方式であった。このスタイルの審査は厳しくないのでありがたい。
停車中に軍か公安関係の制服を来た男性が乗り込んできて車内の確認をしていった。険しい顔でどこから来たのかと聞かれたので日本からと答えると、一転して穏やかな顔になって、モンゴルは楽しんだかいなどと少し会話をした。(ごめんなさい、一泊しかしてないです…)

スフバートルに1時間半ほど停車している間に車掌が回ってきて、窓のカーテンをしっかり閉めながら、トラブルになりたくなかったら開けちゃダメだからねと念を押していく。
いよいよロシアである。

スフバートルから40分ほどでロシア側の国境の駅ナウシキに到着した。
ビザの確認したのちパスポートが一括で回収されていく。これは入国も緩いなと少し安堵する。
しばらく車内で待機していると、ガヤガヤと制服姿の軍人の集団が乗り込んでくる。そしてコンパートメントをひとつひとつ回りながら、乗客の全ての荷物を確認したのち、突然寝台を棒で叩き始めた。シーツを引いた下段だけでなく、誰もいない上段も狂ったように叩いている。怖い…。
私はコンパートメントを追い出されたので、隣のコンパートメントの客にジェスチャーで、あれは何してんの?と聞いたら、あれは密入国者がいないか確認してるんだよとコソッと教えてくれた。そんなとこに人は隠れられんよとは思うが、もちろん言い出せるわけもない…。

武闘派な軍人が出て行ってホッとしていたら、今度はパリッとした私服警官がコンパートメントにやってきた。手帳を見せながら、流暢な英語でロシアには何しに来たんだ、というような質問が飛んでくる。穏やかな表情を作っているが、眼が笑ってなくて怖い…。
いくつかの質問に無難な答えで返していたら、突然君の年齢で学生というのはおかしい、君の学んでることを私に説明してみろとかいう斜め上からの質問が飛んできた。こんなのは他所では聞いたこともない。
仕方がないので研究内容を説明してたら、途中でもういい分かったと遮られて何とか納得してもらえたようだ。最後に小声で生物学、儲からんよな...とボソッと囁いてコンパートメントを出ていった。おい待てやい。

ウラン・ウデには定刻通り6時40分に到着した。この時期のこの時間はまだ真っ暗である。乗客は7割くらいはここで降りたようだ。私も続いて降りると、車内で少し会話したおばちゃんが、駅舎まで荷物もってくれないかと声かけてきたので、もちろんと答えて駅舎まで一緒に歩く。


ではでは続きはまた今度
皆様もよき旅ライフを

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2027457

前回ロシアに渡航した折の写真を掲載しているスナップ写真集を委託販売してますのでよろしければ覗いてみてください。

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