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映画と数学の重なるところ 〜脚本・興行・アート〜

映画監督の北野武(ビートたけし)は映画と数学の関係について以下のように語っている。

映画や芝居の映像表現に計算が必要ないなんて、それはとんだ間違いなんですよ。映画のカット割りや芝居の舞台構成なんてのは、加減乗除の繰り返し。台数や幾何、因数分解ができないと、映像表現はできないんだと思いますよ。だから、芸大の入試にも数学をやらせたほうがいい。
(映画は)だらだら長くてもしかたないから短くしなきゃならない。そういうときどうするかっていうと、シーンの因数分解っていうやり方で撮るんです…たとえば、xが主人公の殺し屋だとすると、xが殺さなきゃならない相手が、a,b,c,dと4人いるわけです。それをいちいち、xがaを殺しているシーン、bを殺しているシーン、cを殺しているシーン、dを殺しているシーンと四つのシーンを撮っていたら、だらだらしちゃう。こうしたシーンを式にすると、ax+bx+cx+dxになるんだけど、これを因数分解してね。そうすると(a+b+c+d)Xになる。・・・最初にxがaを殺すシーンで説明しておいてから、xが血の付いた服を着て拳銃を持ってヨロヨロ歩いていく間に、bの死体、cの死体、dの死体を転がしておけばいいんです。(ビートたけし×竹内薫著『コマ大数学科特別集中講座』)

私もシナリオスクールに通ったことがあるので、上記はすごく納得させられた話だ。映画でも、ドラマでも、制限時間というのが存在し、どこかで話の「無駄」を削ぎ落とさないといけない。が、それが簡単ではない。しかし、たけしのような「数学マインド」があれば情報をギュッと集約できる。

ちなみに映画において数学は、情報の集約のみに役立つのではない。ハリウッドには、「脚本分析家」(スクリプトアナリスト)という職業があり、彼らは数式を用いながら脚本の完成度を高めることを生業にしている。尺を縮めるだけではない。例えばここでこのシーンを用いる方が効果的であると指摘し、場合によってはシーンを増やしたり、誰でも楽しめる客観性を確保したりするという。すでに一般の脚本家の間でも数式やグラフを交えながらスクリプトを作れるソフトウェアが出回っている。

数学は映画の興行面でも活用されている。以下の記事にもあるように

映画の興行成績は、人工知能が「8割の的中率」で予測できる

脚本の構成や、制作スタジオや類似作品の過去の興行成績から、その作品の売上を予想するスタートアップが数社あり、中には8割の的中率を誇った企業があるそうだ。これはAI(人口知能)によって分析されたものであり、統計学によって導かれた推計だ。客への直接配信で得た視聴データを持つネトフリがこの手法をフルに活用したとすれば(してそうだが)益々勢いを増すことは想像に難くない。

このように、映画で活用される数学(データ分析)だが、映画といってもエンタメ系のものもあれば、アート系のものもある。数学が活用できる分野というのはもっぱら前者の話だろう。これが後者だとそう簡単ではないと思われる。例えば旧ソ連のタルコフスキー(故人)の作品はその映像美と世界観で世の映画通を魅了するが、起承転結のバランスや客観性などは二の次だ。鬼のような長回しのなか、ときにトランス状態になりながら、ときに目をこすり、よく分からないがらも感動し、劇場を出てから数時間は路上の水溜りを見ても美しく感じるような映像体験。

しかし数学の専門家は、そんな前衛作品にも数式を見出してくれるかもしれない。例えば先に挙げた書籍の同著者である竹内薫氏は、北野武の作品『ソナチネ』について分析しているが、『ソナチネ』は基本的に平坦な流れのなか、突如として圧倒的な(バイオレンス)シーンが挟まれる構造を持っており、数学に例えると、これはデルタ関数だという。ある一点だけ無限大に突出した関数のことだ。たけしの他の代表作である『座頭市』や『HANABI』は完成度は高いが関数でいうと普通。しかし、『ソナチネ』は全く異なるとのこと。

ちなみに、たけし曰く『ソナチネ』は公開時かなり不評で二週間で打ち切りになったらしいが、初めて海外で認められた作品だったという。

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