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自閉症スペクトラムと私の繋がり

こんにちは。今、自閉症スペクトラムの4歳の娘を育てていますが、娘に診断が下りた時、何か不思議な縁を感じました。というのも、私は幼少の頃、都内にある、自閉症児と定型発達児との混合教育に力を入れた幼稚園に通っていたのです。今日は、そんな私自身の体験を綴ります。

私が通った幼稚園の母体は、小学校・中学校・高等専修学校も有していました。今では、自閉症スペクトラム教育において、少し名の知れた学校になっているようです。私は卒園後、別な小学校に入学したものの、その学園のピアノの課外活動を続けたため、学園に通う自閉症の子供たちと折に触れて時間を共有してきました。そして、この体験は自分の価値観形成の中で、そして子供時代の体験すべての中で、とても大切な、重要な一面を担ってきました。

当時はまだ、発達障害や自閉症の存在が今ほど社会に浸透しておらず、診断の数も現代よりずっと少ない時代です。私の個人的な感覚にしかすぎませんが、当時の自閉症のお友達は、比較的重たい症状を持った子供たちだったのではないかと思います。その中でも、重度の子供たちが属す自閉症児のみのクラスもありましたが、より軽い症状の子供たちは定型発達児と一緒のクラスでした。年中、年長になって、自閉症児のクラスから移ってくる子供たちもいました。課外活動や行事、遊びなどはクラスの枠を超えて一緒に取り組みました。

私が覚えている幾つかの光景。

自傷行為防止のために、いつもヘルメットを被っていた男の子。それでもヘルメットをしたまま頭をがんがん壁に打ち始めてしまうことがありました。子供心にすごく心が揺さぶられる光景だったのですが、側にいる先生が全く動じずに対応している姿の方が、そうした行為が常態的であることを余計物語っていて、心に刻まれました。

ピアノの発表会にて。とても上手に弾けていた中学生くらいの女の子。体を揺らしながら、本人も出来に満足していたのか、ニコニコしながら、繰り返しの部分を延々と繰り返して終わらない!10分以上もそのままリピートを繰り返し、最終的に先生が袖からそそくさと出てきて、しばしその子に囁き続けたあと、一緒に手を繋いで、礼をして帰っていきました。

同じくピアノの発表会にて。袖から出てくる時に、客席を見つめたまま動かない。ようやく、客席の方を向いたままじりじりとピアノの方へ移動するのだけれども、なかなか着かず。かと思ったら、すごい勢いで椅子に駆け寄って座った途端、超スピードで曲を弾き去った男の子。

時々ある全校(全園?)集会。前も後ろも横も等間隔で並び、起立したまま園長先生の話を聞く生徒たち(結構スパルタだったのです)。その中で、何人かの自閉症の子供たちの隣に、いつも先生が控えて(今思えば加配の先生?)、膝に足をつけて彼らを支えていました。フラフラしていたけれど、子供も、先生も、最後まで頑張っていた姿。

私には、なぜフラフラしてしまうのかも、なぜそこまで頑張って参加しなければならないかもわからなかったけれど、それでも何かそこに大きな意味がありそうなことは、幼心に感じられました。

その学園の中では「私たちにとっては簡単な、立つ、座る、お話しするということが難しいお友達がいる」という状況が当たり前で、子供も先生も「彼らの頑張りを見守り、できる範囲でサポートする」というのが当たり前の空間でした。後から、その「当たり前」こそ特殊な空間だったのだと気づくようになりますが。

年長のある日、担任の先生から〇〇くんという新しいお友達がクラスに来るよ、と皆に告げられました。名前は知っていた、自閉症児クラスにいた活発な男の子。奇しくも荷物入れのロッカーが私の隣に。緊張していないかな、とその子の引っ越しの日にそっと様子を伺い、声をかけるも華麗なスルー。その後、何回か話しかけるも常にスルーで、(たぶん私が一方的に)気まずく感じていました。

しかしある時、ロッカーに戻ってきたその子の手がびしょぬれだったので、隣の私は意を決してハンカチを差し出してみた。すると「ありがとっ」とハンカチを受け取ってぴょんぴょんっと去っていった。その足取りの軽快だったこと。嬉しかった思い出の一つ。

・・・次々と、色々な光景が思い浮かびます。

物心ついた頃から、彼らの傷ついた姿、がんばり、意表をついた行動を目にし、驚き・戸惑い・嬉しさをひっくるめ、見慣れて、身近に感じてきました。そうした教育を受けられたことを、私自身は、大変感謝しています。

それから、留学して、ある時、自閉症の一人息子を育てている初老の女性(息子さんは既にその時成人していました)と出会い。すると、彼女が流ちょうな日本語で言ったこと。

「私は、自閉症の息子に会えて幸せだった。でも、息子が幸せかどうかはわからない」

この一言は、私にとって、身近ではあっても外部であった自閉症スペクトラムの家族の、より一歩踏み込んだ内実に触れたようで、ドキッとして、その後ずっと心に残っていました。

・・・ここまでが、私自身の個人的な体験です。

今、自閉症スペクトラムの娘を持ち、幼稚園で娘の同級生を見ながら、自分の幼い日々を思い出すことがあります。同時に、留学して出会ったお母さんの言葉や、私が子供の頃出会った自閉症のお友達のお母さんの、悟ったような疲れたような表情が、より近くに感じられることがあります。

嬉しい日も、不安な日も、自分の貴重な記憶は、日々を過ごす大きな糧になっています。



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