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採るのはつらいよ

今年の初めに、久しぶりに日本人の採用に携わった。改めて、採用するってのはつらいなぁと感じた。人事が上げてきた候補者リストの5人から1人を選ぶという、その人の人生(特に、現在の日本での環境を変えて、海外で挑戦してみたいと思う人たちだから猶更である)を左右するかもしれない決断を下さなくてはならないかった。しかも彼/女らからすると、日本の新卒採用市場にも参戦しなかった人に評価されるなんて、なんて王様ゲーム的な罰ゲームなのだろうか。


人が人の人生を評価するという愚弄

人が他人の人生の評価するなんていう行為は、本当に愚弄である。おのれの物差しで他者の能力を測ろうとする、そりゃ測らせる気もなくなるはずである。カントが偉大だったののは、人間には認識の限界、つまりそこには有限性があり、そのもとで人間は思考しなくてはならないという点である。それが近代以降の思考の枠組みを規定していた。しかし、採用という行為はその枠組みを無視し、あえて自身の認識能力をかぎかっこに入れることで、判断を強いられることとなる。これは、メイヤスーの態度以上に欺瞞に満ち溢れている。

それでも、矛盾を抱えながらも、自分の能力を棚に上げた上で、そのひとの能力を評価しなくてはならない。では、どう評価しているのか。私は基本的に、3つの質問を通して3つの要素を測ろうとしている。質問とは、過去、現在そして未来についてであり、要素とは、ライム(言語的な能力)、フロウ(コミュニケーション能力)、バイブス(熱さ)である。

私の評価基準

まずは、質問について。私はまず最初に候補者の過去について聞く。なぜその履歴書になったのか、と。多数の選択肢があった中でそれを選ぶというのはそれなりの、後付けなりの、理由が必ず存在する。色々なそれがあったにも関わらず、「現実はなぜひとつなのだろう」という問いである。ここである程度、この面接の結果をサトる気がする。
次に、現在とは、実際に今どんなこと(仕事)をやっているのかについてである。ここでは、今やっていることが過去の選択とどう繋がりがあるのかを聞き、今やっていること(仕事)のある1日についてかなり深掘って詳しく聞くようにしている。ある1日ってのがミソな気がしている。
最後に、未来について。ここでは、例えば10年後、15年後にどんな人になっていたいのかについて聞く。いわゆる、何かに「呪われている」のかどうか、それにちゃんと、しかもしっかりと「洗脳」されているかどうかをチェックする。ここでようやく、が見えてくる気がする。

以上の質問は、過去、現在、そして未来という点同士がどんな線を描くのかを観るための質問である。それぞれのエピソードがある程度の強度を持って、そしてそれらが直線的に繋がるのであれば採用するようにしている。また、それらが強度のあるエピソードを持ちつつも、それぞれがバラバラになってしまっている人も採るようにしている。前者は、ライム、フロウ、バイブスのすべてが揃った「優等生的ガリ勉」として、後者はバイブスだけの「はぐれ者」として。

「採るようにしている」といっているのは、結果的に実際に採用できないことが多々ある。というのも、ここからが候補者側の審査が入るからである。前者の、過去→現在→未来が直線的に見えている方からは、「現在→未来」の線について、いかにその会社が貢献してくれるのかが問われる。また、後者の、過去、現在、未来がバラバラと見えている方からは、いかにその会社がそれら点を繋げられるようにしてくれるのかという点が問われる。それが破綻すれば、かならず採用には至らない。Once Again, 縦の意図と横の意図が出会えることを人は仕合わせと呼ぶ。

一目惚れについて

と、偉そうな話をしたかもしれないが、私のこれまでの採用実績上、そのプロセスは踏んでいって採用した人間は一人もいないのではないだろうか。というのも、私がこれまで採用した人間はほとんど「一目惚れ」だ。哲学的には「一目惚れ」とはまだ見ぬ人に心を奪われることである。それに近い。初対面である、しかしそれにも関わらず一緒に働いていた経験が想起されるようなイメージである。ここまで語ってきた3つの質問と3つの要素とかは、その直観的な感覚を補完し、言語化して人に説明する(採用の承認をもらう)ためのツールに過ぎないとすら思っている。

人事からはセオリーから外れた評価の仕方とこき下ろされている。ただ、結果として、良いチームが作れているのは確かだ(しかもかなり多国籍で文化的に多様な環境を整えられている)。(一目惚れして)これまで採用を自ら決定したスタッフは、幸いながら、誰もいまだに辞めずに一緒に悩みながらも成長できている(ような気がする)。大変、幸せなことである。今、改めて力を入れているのは、過去に、私ではない誰かによって採用されたスタッフをいかに育てることである。私と同じように悩み、同じように無理して人を評価し、同じように採用すると決断した人に敬意を示したうえで、そこで偶然的に採用された人とともに一緒に生きていく道を探している、その途中である。

総じて、採るのはつらいよ。

そのサポートは投資でもなく、消費でもない。浪費(蕩尽)である。なぜなら、それは将来への先送りのためでも、明日の労働のためでもなく、単なる喪失だからである。この一瞬たる連続的な交感に愛を込めて。I am proud of your being yourself. Respect!