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『ゲンロン戦記』という東浩紀の英雄譚:序

(インク切れや切手代不足により、発送の遅延が発生したことを深くお詫び申し上げます。)


千分の一の顔をもつ『ゲンロン戦記』

大学時代の教養課程、たしか文学か映画の授業の参考図書だっとか、はたまた友達に薦められて読んだかは定かではないが、ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』を初めて読んだ時の胸騒ぎだけはFakeじゃなかったって気がしている。要は、すべての<物語>(神話)は三幕構成であると、日常世界からの旅立ち、試練とその克服(疑似的な死と復活)、その勝利によって得られた恩恵と共に帰還すると。東浩紀氏(以降、敬称略)の『ゲンロン戦記―「知の観客」をつくる』を読んだ時に最初に感じたのは、「あぁ、これは東浩紀の英雄譚で、彼が子どもから大人に成長する<物語>なんだな」ということだった。

東浩紀との出会い

私にとっても東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。大学入学直前に高校時代にお世話になっていた先生から「経済学部ならこれぐらは押さえておかなきゃな」と薦められた本が『ヴェニスの商人の資本論』とそれこそ『構造と力―記号論を超えて』で、入学直後に彼らの著書、雑誌を大学図書館で穴があくまで、あくまで読み漁っていた。そんな時、語学のクラスが一緒なだけでほとんど会話したこともない同級生が図書館で読書をしている私をつかまえて、「何読んでるの?」、「へー、ニューアカとかいまだに読んでるんだ」、「とうに過去のものになったのに偉いね」と皮肉交じりに話しかけてきた(Googleの噂では、その方はみごと卒業後メガバンクに入行してるらしい)。そこでの会話が発端で、とにかく訳もわからずに私は、訳もわからぬまま『存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』という本を紹介され、飲み込まれ、取り込まれていった。これが私の東浩紀との出会いだ。

そのデビュー作にすべてが詰まっており、のちの作品はその変奏に過ぎないとはよく言ったもので、それに該当する例は『風の歌を聴け』、『日はまた昇る』、『その男、凶暴につき』、『激突』、『パンダコパンダ』や『アイアン・ジャイアント』、など枚挙にいとまがない。彼が27歳の時に出版されたデビュー作(もちろん、実質的なデビュー作は21歳の頃に『批評空間』で発表した「ソルジェニーツィン試論」で、こちらは23歳以降に『批評空間』で連載された「デリダ試論」を単行本化した作品ということぐらいは知っている)、『存在論的、郵便的』も例に漏れず、そこにすでに現在に至るまでの彼の思想のあらゆるアイディアが詰められており、『動物化するポストモダン』、『ゲーム的リアリズムの誕生』、『情報環境論集』、『クォンタム・ファミリーズ』、『一般意思2.0』、『弱いつながり』、そして『ゲンロン0―観光客の哲学』に至るまで、すべてはそれの変奏に過ぎない。そして、なぜその変奏(旅立ち)が必要だったのかという謎が彼の英雄譚にとって最も重要なマクガフィンとして機能していることを後に明らかにしていきたいと思う。

留保なきデリダ主義

では、その『存在論的、郵便的』という本はどういう本だったのだろう。それは、「脱構築」という極めた優れた哲学的方法論を提唱したジャック・デリダというフランスの哲学者が、その後なぜ訳もわからない実験的スタイルでの文章(当時で言う後期、現在で言う中期デリダのテクスト)を書いたのかを明らかにし、当時低評価をくらっている彼の作品群をいかにして救うかというかなり大胆なプログラムである。

では、脱構築とは何か。「ググれ」、なんて言語化することから逃げる行為はここではしない。脱構築(Deconstruction=Déconstruction)とは簡単に言えば、AとBという相反し対立している(ように見える)概念を支えるシステム自体を表に引っぱり出し、その二項対立を批判/無効化することで、新たにPという概念を見出すことである。AとBを止揚(アウフヘーベン)するのではなく、その自明とされているシステムの暴力性を暴くことでそれを解体し、新たなPという地平へ開くこと、晒すこと(宙ぶらりん、それこそサスペンスだ!)がその目的にある。そして、この『存在論的、郵便的』という本はその「脱構築」という哲学的方法論自身を脱構築するという本である。というのも、本来この脱構築という戦略は当時ヨーロッパの形而上学の対立軸であった現象学と構造主義を内部から批判し、フランス現代思想界に新たな地平を開くものであったはずなのにも関わらず、その脱構築という哲学的方法論自身が静的に安住する場、つまりAないしBになってしまったために、脱構築という方法論にもPという地平を開かなくてはならないというのがこの本の目的であり、そこで緻密な読解が必要になったのが、中期デリダ(この本での後期)のパフォーマンス的で意味不明な文学的なテクストだったというわけである。つまり:

脱構築  :            A← P →B
デリダ前期:現象学(西洋形而上学)←脱構築→構造主義(西洋形而上学)
デリダ中期:西洋形而上学的なシステム←???→(安定的)脱構築≒神秘主義
(Remark:市場経済← セーフティーネット →財政)

東は、デリダ中期の意味不明なテクストこそ、この「???に」当たる脱構築の実践であるという読解を行い、それを「郵便的脱構築」と名付た。そしてその概念により、西洋形而上学的なシステムと(安定的)脱構築≒神秘主義という一見すると対立しているように見える二項対立を支えるシステムを晒すことで、それを無効化することに成功する。それは何か、そのシステムの単一性である。要は東におけるデリダ読解は、神という単一の実体を証明しようとするシステムと、神はいないが現時点で証明できないので決定不可能として置いておくシステム、このどちらも単一のシステムに支えられているからどっちもダメで、システムの複数化が必要だよね、ということを説いたのである。

この二項対立を解体した後に残る両義的な概念を救い上げることが、東のライフワークになっていくことは言うまでもない。郵便的という概念は、動物(『動物化するポストモダン』)≒キャラクター(『ゲーム的リアリズムの誕生』)≒幽霊(『情報環境論集』)≒登場人物(『クォンタム・ファミリーズ』)≒無意識(『一般意思2.0』)≒ノイズ(『弱いつながり』≒観光客(『ゲンロン0―観光客の哲学』)として変奏させ(旅立っ)ていくことになる。それはなぜか。
さて、ここまででキャンベルの教え通り、第一幕の状況設定はそれなりに調整出来たように思う。そこで、第二幕に移りたいと。

【幕見として】

東浩紀は修士課程でデリダとバフチンにおける幽霊論を書いた後に、柄谷行人とポール・アンドラの推薦状とかなり良いスコアのGERとTOEFLを携えてコロンビア大学の博士課程を受験するも不合格だったらしく、その不合格の理由も成績や能力でなはく、フラタニティー的な評価によるものだと本人は語っていた。ある種、小さな挫折を味わうこととなった。

私が初めて彼をこの目で見たのは、そのアメリカ留学への受験失敗から13年後、『存在論的、郵便的』が刊行されてから11年後の2010年、「『クォンタム・ファミリーズ』から『存在論的、郵便的』へ──東浩紀の11年間と哲学」というイベントで、そこで私は今でも影響を受けている千葉雅也や國分功一郎を知ることとなる。そのイベントで小林康夫が東浩紀へこんな質問をしたのをよく覚えている。娘が誕生した契機によって書かれた本書だが、その契機自体が<誤配>だった可能性はないか的な。博論の主査であった小林に対してあからさまに嫌な顔をして「いやー、それはどうなんですかな、妻に聞いてみないと分からないです」的な回答を行っていたような気がする。

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