時代背景とゲーム会社

1983年頃の時代背景
思い出す限り書いてみる

その頃のSNKのプログラマーは
背広にネクタイ姿だった
女子社員は開発の人もみんな
事務服が義務付けられていた
ゲームの開発室で紺色の事務服・・・・
似合わなすぎ
どこでいつどう変化したのか
CAPCOMの頃はみんな
ジャージのにゾウリを履いてたなー
しかし、たしか1989年頃
開発室に社長がお客様を連れてきたとき
みんなジャージにゾウリで
恥をかいたと社長が怒り
開発室もネクタイ着用になったのだけど

その話はさて置き

プログラムは紙にペンで書かれていた


それを私がコンピューターに打ち込んでいた
まだ写植オペレーターという職業があって
凸版印刷の時代が終わりかけ
ワープロが打てる女子が最先端だったので
コンピュターの打ち込みに慣れたいのと
キーボードを見ないで打ち込んでた人が
やたらかっこよく見えて真似したかったので
自分から打ち込みを志願した。

コンピューターを使える女子はほんとに珍しかった時代
世間では女子社員はまだお茶くみかコピーと言われていて
責任ある仕事にはなかなかつけなかった
でも
ゲーム会社では実力主義。
男女関係なく実力ある人が認められていく気配だった
ただそれは開発室に限られていた

いよいよ会社らしくなっていく

1984年になると
私の通っていたい専門学校の後輩が2人入り
SNK開発室は10人ほどになっていた
その他事務・営業・プログラマー・ハード設計などで
50人ほどになっていたと思う
ガランとした部屋にパーテションも入り
どんどん会社らしくなっていった

その頃、ゲーム会社のゲーム企画はほとんど
デザインの専門学校を卒業したメンバーだった
企画もキャラクターデザインも背景デザインも
すべてこなしていた
初心者だったが少しづつ経験を積み
たくさんのゲームを企画していった
営業の人も増え
海外部門もでき海外にも手広く広げ
次々販売していった
しかし
その頃販売したゲームタイトルは
ほとんどの人が知らないと思う
開発したゲームはどれも思うように売れず
大きな赤字を抱えることになったのだろうと思う
ただただ楽しく音創りをしていて
会社の経営状態など考えもしなかった

SNKに入って1年ほどしたとき
社内で噂が広がり始めた

「来月の給料でないかもしれない・・・」

お昼休みには
「どうする?どうする?」
「会社やめる?残る?」の話で持ちきり
みんな自分の先行きを考え、不安になっていった

せっかく技術を身に着けたのに
このまま終わりたくない・・・
会社が潰れるなら
他の会社に行ってでもこの仕事を続けたい!
私の思いはそう決まっていた

でもどうしよう、どうしたらいい?

今ほどのゲーム会社がその頃はない
ましてや大阪には数えるほど
知っていたのはコナミと
京都の任天堂くらいかな
東京ではナムコ・タイトー・セガの名前は知っていた
CAPCOMの存在はまだ知らなかった

「他のゲーム会社に行くって・・・
どうしたらいいの?」

途方に暮れる。
今のように求人サイトとかで調べる環境はない
やめたらなんか裏切るみたいだ
でも残っても未来があるかどうかわからない
やめても他のゲーム会社に行く手段もわからないし
行ける確率も低い

でも
もうその頃の私は
かなりの技術と知識を習得していた
ぜったいに次の道が開ける!そんな確信を持ってた
いろいろ考えた結果
今考えても、よくそんな勇気あったな!
と恐ろしくなるくらいの

無謀な行動に出た

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?