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アメリカで通った幼稚園は『小さな世界』だった

こんにちは。れごです。
実は私少しだけアメリカのロサンゼルスに住んでいました。4才ですが。
多くは覚えてないけどとても楽しかったです。

今回はその頃通っていたプリスクールについて書きます。


プリスクールは日本の幼稚園のような場所だ。

私が通ったプリスクールは日本の幼稚園より豪華だったと思う。

室内は大きなおもちゃだらけ。

別室は砂場サイズのトランポリンがあった。

その上屋上付き。

屋上は覚えてるだけでも

アスレチックやスクーター、

水遊びができる小屋にブランコがあった。

私はお弁当だったが、

お昼になるとシェフみたいなおじさんが

毎日キャスターでご飯を運びに来ていた。

(クラスメイトが大きな1つの机で分けて食べていた)

多分施設内で料理してたのだろう。

既に4才だった私の楽園に違いないが、

この施設最大の特徴は

『児童にアメリカ人がいない』のだ。

そもそもなぜ私がアメリカにいたのか、

それは両親の仕事が関係しているのだが

広義なら同じ仕事で渡米した家族の

子供たちのみを受け入れる幼稚園なのだ。

だからアメリカ人は少ない。2人ぐらいいたかな。

つまり『日本語が通じない』ということだ。

これは当時の私を悩ませた。

ヨーロッパ・カナダ辺りから来た児童は

意思疎通できるぐらい英語が話せる人が多かった。

おままごとや鬼ごっこで遊ぶには十分だ。

ところが私は何もわからない。

輪に入ろうとニコニコしても

相手には何が言いたいのか伝わらない。

だからおままごとで自分の役がわからなくて

一生懸命考えて『What me?』

と聞いたことは覚えている。(スルーされたな。。。)

そこで私が身につけたスキル、

それがジェスチャーだ。

手を使う。とにかく手を使う。

主語は指で伝え、何がしたいのかは自分が動いた。

伝わっていると信じたい。

今でも話すと手が動く癖がある。

話を戻そう。

ここまで聞くと1人で遊んでいたのかと思うかもしれない。

幸い、他に日本人が3人いた。

1人はほとんど会わなかったが、

2人とはいつも一緒に遊んでいた。

日本人以外に伝わるのかわからない

戦隊ヒーローごっこが多かった。

また日本人組はお昼ご飯を一緒に食べていた。

おにぎりや、卵焼きを箸で食べる様子が珍しいらしく

フォークや手で食べる人たちが良く見に来ていた。

なら日本人としか話さなかったのかと思うだろう。

そんなことはなかった。

先生と全員で遊ぶ時間も多かったから、

周りに合わせて遊ぶうちに

英語話せる組とも関わることが増えた。

向こうは私の名前を呼んでくれるし、

私もなんとなく真似て名前を呼んでみるし、

遊具で遊んでいる時は笑ってるだけで楽しかった。

そこに言葉の違いは関係なかった。

時々先生と英語を勉強する時間があったが、

日本人組(特に在住歴の浅い私)に

みんな一斉に教えてくれた。

優しいね。

私が特に好きだった遊びがある。

それはブレスレット作りだ。

ビーズを好きな順に糸に通して先生に結んでもらった。

数えきれないぐらい作った。

残念ながらブレスレットのビーズは

小さな子に譲ったが

思い出は一生消えない。

よく母が話す思い出なのだが

夕方私を迎えに行くと

子供達が『Lego‘s Mom!!』

と叫び始め、

私に『Lego!Mom is coming!』

みたいなことを伝えに来てくれていたらしい。

楽しかったなあ。

プリスクールは確か南極大陸以外の全て大陸出身者が

通っていたと思う。

どうしても私と顔が似てて似合う服が被る中国人もいれば、

既に130cm以上あるスペイン人の女の子もいた。

(日本人はすごく小さかった)

ある男の子は日本の海苔が好きすぎて

迎えに来た父親が海苔を見せた瞬間

父親の元に走っていく様子を何回も見た。

出身国によって若干異なる英語の発音に

けんかになってるイギリス人とフランス人。

そしてハロウィンに着物で行ったら

めちゃくちゃ写真を撮られてお菓子を大量にもらった私。

4才児の私たち児童にとっては

異文化を面白ろがり全て吸収する

文字通り『小さな世界』だったなと思う。

ほら、It’s a small world ってアトラクション

ディズニーにあるじゃん。

あれロスのディズニーでたくさん乗ったけど、

自分が通ってた場所こそ

It’s a small world ふさわしいね笑。

今になって

小さい頃に色んな人に会えてよかったと思います。

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じゃあまたね。

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