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言葉の迷路にはまる

『宿命は変えられないが、運命は変えられる』という言葉を、たびたび聞くことがあります。宿命とは、生まれた場所や日時など、自分の意思では変えられない土俵のようなもので、運命とはその土俵の上に築いていくもの。自分の行動次第で変えられるというもの。

例えば、わたしは日本に生まれていますが、これは宿命です。だけど、東京に住むか千葉に住むか、それは自分の選択次第でなんとでもなる。これが運命ということになるのでしょうか?

そう考えたら、『運命ってなに?』って迷路にはまりました。運命って変えられるというなら、もともとそれは『選択』ってものではないのだろうか?あれ?よく分からなくなったぞ。

そのときには何となく分かったような気になって、すごく納得したりするけれど、あとで自分の言葉にできないものは実践できないものが多い。今後Chat GPTなどで書かれた文章が世に出回ると、最初のうちは分かるような分からないような文章が出回って、もっともっとそういう感じになるのかなぁと感じています。洗練されていけば変わるかも知れませんが。

別にアンチChat GPTでもなく、人が話したり書いたりした文章の方が素晴らしいなんて、懐古主義なことをいうつもりもありません。人がアウトプットする言葉には、その人のフィルターがかかっていますし、受信者側のイメージ力など必要になるからです。

それでも、やっぱり人は言葉を使う生き物です。言葉の力を使うことは、自分自身とも他者ともより良い関係を築き、要らない諍いを減らし、生きやすい世の中を作るために必要不可欠です。いつでも言葉に対する手綱は手放さないようにしようと思います。



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