見出し画像

『ハンチバック』 | 読書感想

第169回芥川賞受賞作、市川沙央さんの「ハンチバック」を読了しました。
話題作ということもあり、心して読みましたが凄かった…!自分の拘りや不満なんて簡単にぶっ壊されてしまうよな、大きなエネルギーを感じました。

私の身体は、生き抜いた時間の証として破壊されていく
「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」
圧倒的迫力&ユーモアで選考会に衝撃を与えた、第128回文學界新人賞受賞作。

Amazonより

主人公の釈華は、身体に重度の疾患を持っている。自らを"せむし(ハンチバック)の怪物"と呼び、電動車椅子や人工呼吸器が欠かせない生活を送ってきた。
普段はグループホームで有名私立大学の通信過程でオンライン授業を受けたり、コタツ記事を書いて収益を全額寄付したり、Twitterの零細アカウントで『生まれかわったら高級娼婦になりたい』と呟いたりしている。
ある日、釈華に侮蔑の眼差しを向ける男性のホームヘルパー・田中に、Twitterアカウントが特定されていることを知る。そこで釈華は田中にとある提案をするのだが…。

htmlから始まる本文、露骨で生々しい性描写、所々に迸る思慮の足らない健常者への憎しみや厨二病を思わせる厭世観は、読み手を選ぶなぁという印象はあれど、全体が1本筋の通った論理的な構成、言葉選びでとても読み応えのある1冊でした。

中でも頭を殴られたように思ったのは、以下の3箇所でした。まず、紙の本を好む人々に対しての心情吐露。もっとも話題になった部分ではないでしょうか。
本を自由に読めない人にとって、健常者はマチズモ(男性優位主義、ここでは読書をする人間におけるマッチョイズム)である、という普段私たちがまったく気にもしない感覚への言及。

私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、―5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

そして、中絶を望むシーン。『妊娠して中絶したい』は私にとってあまりに衝撃的な言葉でしたが、釈華にとっては交際や結婚、妊娠を希望し、選択すること自体が困難な時点でスタートラインに立てないという苦しさを感じました。

ミスプリントされた設計図しか参照できない私はどうやったらあの子たちみたいになれる?あの子たちのレベルでいい。子どもができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。
私はあの子たちの背中に追いつきたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった。

そして、最後のシーンです。釈華も釈花もbuddaも、釈迦が由来であることは察しましたが、自立歩行が難しくほとんど寝た状態であることを涅槃に見立て、己の周りは泥であるとした表現に刺されました。

真っ白な天井にダウンライトの単眼が明るく光って私を見下ろす。私は光を見つめる。光の向こうに蓮の花が咲く。泥の上に咲く涅槃の花だ。

この本は、「好き」というよりは「読んでよかった」「自分には必要な視点だった」という感想。
結末は賛否別れる部分かと思いますが、釈華が書いた創作の一部と解釈しています。釈華と釈花の正反対の人生が交差する表現は、挑戦的でよいなあと感じました。

読書は、本を読んで知識をつけるためだけのものではないですよね。
違う境遇、性別、嗜好の人間の目を借りられることで、価値観を広げられる。また、文章を書くことによって、別の人間になることもできる。釈華がミキオや釈花になれるように。

文芸を専攻する人間としては、文章の読み書きにおいて得手不得手はあれど、特性や障害によってその自由度が下がることは「仕方ない」の一言で済ませてはならないと思っています。
じゃあどうするんだ、というのはこれからの課題。学校におけるタブレット端末配布はLD(学習障害)の学習の視点からみてもよいなあと感じます。どんどん進んで欲しい。

最後に、差別用語について。
今回、「ハンチバック」が「せむし」の意味で用いられていますが、「せむし」はいま差別用語として使用を控えられています(ノートルダムのせむし男が良い例)。
私はもともと、そのような単語の規制は賛成派だったのですが、この本を読んで変わりました。差別のニュアンスも含めて、絶対にその表現が必要な場面があります。「差別だからだめ」「傷つく人がいるからだめ」ではなく、適しているかいないかで都度判断できること、それが真に誠実な方法なのだと思いました。

「社会」と「重度の身体疾患をもつ女性」を繋げた本作。完全に理解できたとは思わないけれど、理解しようとすることが1番大事なのだと教えられた1冊でした。

市川沙央「ハンチバック」2023年、文藝春秋

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?