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親友について | エッセイ

 親友がいる。

 目は大きく鼻は高く派手で綺麗な顔立ち、すらりと長身、頭脳明晰な1つ年上の女性だ。高校1年生の時に出会ったため、付き合いはそろそろ13年目になる。去年の私の結婚式では披露宴の司会という大役を引き受けてくれた。そんな彼女のことが、彼女と出会ったころの私は心底苦手だった。

 高校のころ、彼女はプライドが高かった。すべて自分が1番でないと気が済まず、気に入らないことがあればすぐに言い争いに発展した。常に体が動いており、会話はふいに突拍子のない方向へ飛ばされ、行きすぎた正義感を行使して平気で他人を傷つけた。メモの途中で急に鏡文字を書き始め、マークシート式の模試は本領発揮できないと騒いでいた。そんな身勝手で自信過剰な彼女に周りの友人はひとり、またひとりと離れていった。

 平穏に高校生活を送りたかった私はそんな彼女に辟易としていたけれど、横顔が美しい彼女と歩いていると心なしか私は背筋が伸びて、それは嫌な感覚ではなかった。彼女はわがままで傲慢なところもあるけれど、やめてと言えば二度としなかった。彼女も、特に離れていく様子のない私に安心したらしい。気づけば私たちは、部活の先輩後輩でありながら隙があれば常に一緒に部室にこもり、雑誌や漫画や成績や家族の話をああだこうだと言い合う仲になっていた。側から見たら親友だろう。でもこの時は、私たちは一緒にいる時間が多いだけのただの友人だった。

 事態が変わったのは、私が高校2年生、彼女が高校3年生の冬だった。彼女は絶対に受かるだろうと思われていた有名大学を受験したのだが、前期・後期ともに不合格だったのだ。合格の連絡を待っていた私は、なにを伝えられたのかよく分からないまま何度もメールを読み返した。浪人が確定した彼女と会ったのは、それからすぐのことだった。

「私、障害があるみたい」

 彼女の言葉に、私は言葉を失った。注意欠陥・多動性障害や学習障害を持っていると病院で診断されたとのことだった。今でこそよく耳にするこれらの「発達障害」だが、10年以上前の私たちの住む山奥の過疎地域ではまったくといっていいほど認知されておらず、恥ずかしながら私もそのときに初めて知った。

「ずっと、ほかの人と違くてつらかった。私がなにかすると変な空気になって、孤立して。みんなは当たり前に読んでいる文章は文字が動いて見えるから気持ち悪くて読めなくて、マークシートも小さい解答欄が動くから塗りつぶすのが大変だった。気持ちも行動もうまくコントロールできなくて、おかしいと思うことはどうしても許せない。どうしてみんなみたいにうまくできないんだろうって、ずっと、思ってた。いつもそれを隠して平気なふりをして、でも空回って失敗するばかりで」

 初めて見る彼女の弱った顔に打ちのめされて、私は気の利いたことなどなにも言えなかった。

 私はいつの日か、彼女が鏡文字を書くのを笑った。他人の気持ちが分からない言動を責めた。苦手なことなんて誰にでもある、と努力を促した。きっと彼女は彼女なりにずっと頑張っていて、それでも無理なことはあって、私のような人間の言葉に傷ついていた。彼女は自信過剰なわけではなかった。弱くて自分に自信がないからこそ、虚勢を張っていただけだった。いちばん近くにいたのに、私はなにも気づけなかった。

 それから彼女は、自分のできる方法を模索して少しずつ障害を受容していった。私は発達障害の勉強を始めて、大学1年のときに発達障害者支援のスピーチを行った。いまも細々と勉強を続けている。私にできる範囲はとても小さい、それでもと思って真正面から見つめる現実は、いつまで経ってもつらいものが多い。でも、私は、もう二度と無意識下で誰かを笑いたくない。


 親友がいる。本を読むのが苦手で文字を書くのに時間がかかり、喜怒哀楽が激しい女性だ。誰よりも多く勉強し、誰よりも挑戦し、誰よりも優しくあろうともがいている、ひとりの女の人だ。

 彼女は親友だ。私がつらいときに話を聞いて励ましてくれたり、何度もふたりで旅行したりした。でもそれだけではない。きっと彼女はあの日、私の価値観を変えた。考え方を変えた。世界の見方を変えた。今の私の、芯となる部分を創ってくれた人なのだと思う。

 彼女を見ていると、私ももっと頑張ろう、という勇気が湧いてくる。優しくありたい、という意志が堅くなる。代えの効かない、ただひとりの親友だ。

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