見出し画像

敗者の語り

今年は負修羅を観る機会が多くあった。

敗戦の将が何者かの姿を借りて現れる。
やり取りの中で「自分こそが」と自身の正体を明かした後、敗者自身として亡霊の身で現れる。
現れた霊は自身の散り際や心残り等々を語り回向を頼んで消えていく。

霊が現れありし頃を語るというのは修羅物に限らないものの、個人的に修羅物でその形式がより印象的に感じられるのは、
無念を抱えるだろう敗者が霊となるある意味での当たり前さと、敗者を直接の語り手とすることでその当たり前さを超えた凄惨さが感じられるからだろうか。

橋掛はあの世とこの世をつなぐ演出装置だと聞くが、橋掛に現れるシテの姿にはなんとも言えないものがある。

敗者の語りといえば、四番目物であるが、多くの修羅物と同様に平家物語から題材を取り、敗者側をシテとする『景清』も観る機会があった。

『景清』であれば、盲目となって落ちぶれた姿を見せる景清が、遠路はるばる訪ねてきた娘を相手に合戦の様子を語り名を馳せた武将だった頃を思わせた後、跡を弔うように頼んで別れる。

景清は作り物の中にいるが、合戦を語る気迫はその前までとは別人で、あの世とこの世を跨いではいないものの、名将の過去の姿を落ちぶれた今に現して憑き物がついたかのように感じられもする(髭景清の面で大口袴を着用した武士の気骨が残る演出だったから尚更なのかもしれない)。

演劇にはあまり縁も興味もなく過ごしてしまってきたのでいい加減な感想であるが、
敗者を主役とし敗者の語りに耳を傾けて跡を弔うという一定の形式が確立しているものは他にあまり無いのではないかと思う。

戦国武将で能を好んだ者が少なくなかったということにも、文化教養としてだけでなく、敗者の語りに思うところがあってのことと考えてみると感慨深い。

過去の戦乱の世の敗者に思いを馳せて、同じ乱世の中を過ごしていたのかもしれない。

同じ乱世とはいえないものの、現代人にとっても敗者に思いを馳せることには、単なる史実を知る以上の意味があるように思う。

・・・・・・

敗者の語りには、演劇に昇華されて直接の生臭みはなくても、なんとも言えず生々しいところがある。

『実盛』で、霊として現れた実盛が自分の首をすすぐ場面は、所作としては水をかけるように扇をかざすシンプルなもので、衣装の煌びやかさもあってただ見れば(言い方は悪いが)絵になる場面なのに、他人視点で鬢髭を黒く染めた自身の首をすすがれる場面を再現しているのかと思うと凄まじい。

それを舞台上で淡々と(もちろん演じるご本人は大変だと思うが)しているのを観ると、これは霊だからとり得る距離感でこの世ならぬものなのだという感じが生々しく迫ってくる。

『頼政』は、あの面自体をして強い無念のようなものが感じられて、頭巾の下から鈍い光具合を見せる目や開いた口から何か訴えかけられているようで恐ろしい。

宇治の名所紹介の前半とはうってかわって後半は凄まじく、平家の若武者達が川を渡り床几から立ち「ここを最期と戦うなり」の勇猛さと、自害するに当たり扇を敷いて辞世の句を詠む場面の風流さに落差があって、むしろ最早ここまでとの覚悟と無念さが感じられる。

床几に腰掛けての語りは「思えばはかないことよ」という時間的に後から全体を見た霊の語りであるが、後には頼政自身が語りの中でぐっと前に出てくる、この主体の変化も、次第に霊の執念との距離が縮まる感じがして生々しい。

敗者の語りなのだから、そこに無念があるのは当然と思いつつ、亡霊故の距離感(遠近、その変化)もあって、この無念の生々しさには驚く。

・・・・・・

『頼政』を観たこともあって訪れた春の平等院は、紫・白の藤の花が美しく、よく晴れた春の青空を背景に平等院も美しかった(観光客が多くてよく見えなかったので、記憶の中で補正しているかもしれない)。

宇治川は豊かな水を湛えて流れ、こんな川を本当に超えたのかと不思議に思う(馬で超えた武士はともかく、源氏物語の浮舟が身投げして生きていたのは相当に不思議に思った)。

肝心の扇の芝と頼政のお墓は春の花々に溢れて、武士の無念は感じられなかったが、能の中では亡霊として無念を語っても、現実ではこんな風に「かつてあった戦乱の世の武将」として風化していることに何となく救われる気がした。


扇の芝に花が咲いている
頼政のお墓
近くでみるとお花が咲いている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?