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note8日目:落ち込む自分に許可を出す

昨日は落ち込んで泣いた。
自分の力量があまりにもないことに、現状のできない具合に絶望して、思わず友達に愚痴ってしまった。

そして今日も変わらず気分は落ちている。無理矢理気分を上げることはしないし、ただ「落ちてるなあ」と感じているのだ。

落胆、絶望、挫折、無価値感。
無理なんじゃないかな、やっていることは無駄なんじゃないかなという不安が胸を占める。嫌な気分になった。ものすごーく嫌な気分になった。
「感じたくない」と排除しようとしたところで立ち止まる。

この嫌な気分をしっかり味わってみよう。

そう思って、じっとたたずんでみた。体は重くなるし、頭も下がってくる。文字通り沈んでいるような感覚だ。

こういうマイナスの感情を人は忌み嫌う。
嬉しい、楽しい、幸せという感情だけをいいものとして、それだけを感じたいとマイナスの感情を追いやったりする。ちなみに私はいつもやっていた。
だから今回あえて追いやらずにそばにいることにしてみた。

落ち込んでいる自分に寄り添う。
落ち込むことを許可してあげる。
落ち込んでいることを否定しない。
ちゃんと落ち込ませてあげる。
うんうん、そうだよね、と自分で自分に声をかけた。

そしてもうひとつやってあげたことがある。魔法の言葉を自分に言った。

「今は、それなだけ」

落ち込んでいると、この状態が一生続くような気がしてならないけど、実は少しずつ変わっているのだ。事実、昨日よりも今日のほうが落ち込んでいない。落ち込んでいるのは変わりがないけど、昨日よりも濃度が薄くなっているのだ。

「今そう思っているだけで、次の日も同じとは限らない。今はそれなだけ」

だから大丈夫。安心して落ち込んでいい。悲しみも苦しみも痛みも、果てしなく続く気がするかもしれないけど、今だけだ。
この濃度がずっと維持されることはない。
逆に嬉しいことも、楽しいことも、同じように薄れていく。
それでいい、なんの問題もない。

おしり叩いて「元気だせ」とか「前を向け」ってスパルタ方式をよくやっていたけど、自分の感情無視して無理矢理仕向けたところでしんどいだけだった。
愛する我が子に声をかけるように「そんな日もあるよ」「落ち込んだっていいんだよ」と頭を撫でてあげることを、自分自身にしてあげたい。

例えば一年後「こんなこと悩んでた」と笑っているかもしれない。今悩んでいることを一年後の自分は乗り越えてしまって、「なんでこんなことで悩んでたんだろ」と首を傾げるかもしれない。今の悩みを「悩み」だと思っていないかもしれない。
そういう未来もあるはずだ。

だから、私は私に許可をする。悩んでいいし、落ち込んでもいい。
いずれ忘れてしまうから。

「今は、それなだけ」

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