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note16目:わが家の旦那計画(昨日からの続き)

昨日からの続き(できたら前日の記事読んでね)。

友達が「相談ごとはいつも旦那にしている」と言ってるのを聞いて、「私もそうしたい」という望みを実行にうつしたところ、今までと違ってめちゃくちゃ親身になって答えてくれたのはなぜなのか、について私の見解。

私の「前提」が違うというところまで話しましたね。

以前の私の「前提」は「期待してない」が根本にあったのだ。
どうせこういう反応だろう、言ったところで嫌な気分になりそう、とはなから諦めモードが根付いたまま相談なり愚痴をしていた。

だけど今回の「前提」は「相談にのってほしい」「もっと本音で関わりたい」というのがあった。
実は2月にわりと大きな喧嘩を2回ほどして、旦那のことわかっていたようでわかっていなかったのだと痛感し、もっと知りたいし、もっとたくさん気持ちで関われるような関係になりたいと強く思ったのだ。そういうこともあって、相談してみるということは2月の喧嘩で望んだことの延長線になる。

で、「期待してない」「もっと本音で関わりたい」という前提で話しかけた場合現実が大きく変わっていたのだということに気がついた。
そんなの相手はわからないじゃん、という声がしそうだけど、侮るなかれ相手だってバカじゃない。
理解はしていなくても感覚的に読み取るものだ。
人っていい雰囲気、悪い雰囲気というのを瞬時で察知できる能力を持っている。これは全人類あるもの。なめちゃいけないのだ。

私の前提が変わった状態で話しかけたので、旦那はそれを感じ取りびっくりするぐらい真剣に相談にのってくれたのだ。私もするすると本音で話し、結果出せてスッキリしたし、旦那も私が全力で「ありがとう!」と感謝したら嬉しそうだった。

関係ってこういうふうに作っていくんだなと改めてわかった気がする。
長年一緒にいると「この人ってこういう人」という思い込みが形成される。もちろんその人の一部ではあるけど、側面ということを理解せずにいつのまにか固定化されてしまうのだ。「言っても無駄」「どうせわかってもらえない」という思い込みのままで関わると、当たり前に思い込みのとおり現実は作られる。

今まで関わっていた旦那も、しっかり相談にのってくれた旦那も実はどちらも存在していて、私次第で見え方が変わってくるのだとしたら見たいほうを力強く選択したい。
いつだって選べる側であることを忘れてはいけない。なぜなら頭の中は自由だからだ。

……ということで説明が長くなりましたが、旦那健康化計画と、旦那相談室計画は着々と進んでおります。縁あって一緒にいるのだから、一緒にいる時間をたくさん楽しんで味わえたらと思う。
いがみ合うも自由、仲良くするのも自由、その選択肢は常に自分の手の中にあるのだ。

今日もありがとうございました!

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