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僕は今、しあわせかい

今日は朝から、図書館へ出かけた。徒歩で行った。いつもなら楽しい道だ。

でも僕は今、実をいうとあんまりしあわせじゃない。理由はわからない。一言では言えないから、なんて言ったらいいのかわからないけれど、なんとなく順を追って掘り下げてみる。

推敲な目的のため、福祉をはじめた

さいきん、ずっと追われている。

返信すべきメールに。予定に。人に。そのため、プライベートな時間なのに追われている感じがする。

僕の意思が効かないような気持ちになっている。

今回の流れ 若い人の手が必要だからと声を掛けられ、とある「福祉活動を広めるための面白そうな企画」を広めるという目的を叶えるため、高齢な男女3名と若者1人(僕)と行政などとかかわり、首をつっこむことになった今回。情報をまとめるため、あくせくしながらも何とか「こころを砕いての」話し合い、しかし骨が折れるほどの同じような内容の何十通のメールのやり取りにこころを砕き、不毛なやり取りの末連日つづく諸作業と長時間ミーティングに、ついに疲弊してきた。

ついに、嫌気がさした。

余力のない僕は、その「自らの骨を折るような話し合い」の仕方を長期間持続することはできそうにない。。。人との話し合いが苦になっている。説明するのが面倒になっている。

相手の意図を汲むのもやっとで、何回その意図をきいても なんだそんなもん!理屈っぽい!それよりもっと大事なものがあるんじゃないのか? と正直僕のお腹のなかが騒ぎだしている。僕の傲慢さが出てきてしまっている。考えすぎて、がんばりすぎている。始めは順調だったように感じていた話し合いも、今は全然やりたくない。

正直 

もともと、複数人数が苦手だ。みんなに伝わる言葉で話すのには「余力」がひつようだから、余力がない今は、それがとても難しく厳しい。

僕は、今 余力がない。


「その場限りのコミュニケーション」のはずだった

ようするに、話が通じなかった。

分かるように話すのは、とても骨が折れた。

考えていた予定よりも、ずっと進み具合が遅かった。「その場限りのコミュニケーション」のはずだった。だから親切にできた。

しかしそれも、長引いた。とりあえずもう我慢できない、限界点だ。相手に合わせるって大変だな…

僕が態度を変えたら

きっと相手は、急に僕が態度を変えたと思うだろうな。けれど、それは違う。僕はやることはやった、、ただ期限が切れたのだ…

相手に合わせようとしていたら、"次第に雲行きが怪しく"なっていった。

おや、ゴールが見えないぞ…

おじいさん、おばあさんの戯言

はじめから、僕は我慢していたわけじゃなかった。

むしろ、楽しんでいた。新しい企画の話が来たとき、どんな風になっていくのか楽しみだった。そのために色々な試行錯誤もしたし、情報集めも情報提供もした。だけど、やりとりが深まっていくにつれ、僕は次第に嫌な気持ちになっていくのが分かった。

それでも、何度も持ち直して「今回の話し合いはよくできた」「今回はスムーズだった」と思う様に”仕向けてきた”気がする。仕向けてきた。何とかもたせようとした。でも

認知が歪み始めた。

何か、どこかでまちがえてしまっていたのだろうか?「できる範囲」でという約束で、だからできる時に「できる範囲」でやってきたつもりだった。だけど、ここに来て何かおかしい。

相手との認識がずれている。

「そもそも我慢などするべきじゃなかったのか、それとも相手が悪かったのか」

揃わない、意見。

もうすぐ終わるって言い聞かせた、だけどなかなか終わらなかった。

あの人たちにはゴールが見えていないようだった。僕は今回の話のゴールをみていた。けど、話してるうちに何だかあやふやになっていく…

最悪の仕事相手だ。

何を言っているのか訳が分からなかった。

僕には おじいさん、おばあさんの戯言に付き合っている暇はないのだ。もっと自分に時間を使って、生産的な活動をしたかった。自分の中心にあるもので、ものごとを発見し考えたかった。自分の感覚をもっと大切にしたかった。。。

または、僕は自分で考えるほど、柔軟な思考を持った人間じゃなかったのかもしれないけれど。。

おじいさん、おばあさんは暇なのだ・・・

暇にまきこまれると、悲劇がおこる

のではないか、というのが僕の仮説だ。とりあえず、きっとおじいさんおばあさんは暇なせいで話がまとまらないのだ。(仮説)

今回、僕の頭の中は全然整理できていない。

まだ、この企画が終わっていないからかもしれない。

模索中のできごとだ。おじいさん、おばあさんと話をするのは、若者と話をするよりももしかしたらずっと難しいのかもしれない。そう思ってなるべく粗相のないようにやってきたけど。なんか、やりにくい。

僕はおじいさん、おばあさんに初めはよく気に入られる。けれど、僕の方がおじいさん、おばあさんと、継続的に付き合うことは難しい。

おじいさんたちとの話し合いはきらいだ。すぐ議論になるから。

決めたいことが決められず、流される僕。人の話を聞いていると、結果的に何をしたかったのかわからなくなる僕。

僕は議論ではなく、対話がしたかった。だけど、できない相手だ。それならもう仕方がない。

まとめ

僕は福祉をしようとした、だけどうまくいかなかった。正確には、相手には利益がありうまくいっているように思ったかもしれないけれど、僕は全然ここちよくなかった。利益はあったと思うけれど、損失の方がはるかに多かった。(経験にはなったけど)

今回残念ながら、巷でよくいう WIN‐WINの関係になることはできなかった。


僕は、僕がなっとくできる中で心理的負担が少ない、フローなお仕事がしたいのだ。

こうして、今回僕は諦めている。だけど完成させなきゃいけないものがある。だから、もうちょっとだけやって、終わったら悠々自適な生活がしたい  けれど・・・近々引っ越しもあるし、それも叶うかどうかは分からないケド。

前途多難だろう

それでもしかし、僕は諦めない。できることをし、僕は僕の歩ける道を探し、道すがら話ができる人と話し、祈り、そしてもう傍らで僕自身と対話していくしかないのだ。。

合う環境で、誰かと群れられたらいいけど、


僕の歩ける道が、きっと僕の道だ。

ふりかえったときにそう思えたらいいな


🐈️

2022.2.24 記



( ῀ᢦ῀ )..