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「雨」 たいせつにしたいのに、たいせつにできない 。 どんなに頑張らなくても 、 得られないものがある 。 だけどあきらめない 。

私は苦しい。日々がこんなにも苦しいものだとは思わなかった。雨の感情だと思った。

( ※ 今回かなしい表現も書きましたが、わたしはそこに注目しているわけではなく、こころの整理をそのまま、少し淡々と書かせていただきました。ご了承くださいね  )

巷では、かんばらない育児と言われる。がんばらないはもうやり尽したと思う。わたしはそれは合わなかった。わたしにとっては、ただ墜ち続けるだけになるからだ。

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できごと

怒りとのたたかいのような、何度片付けてもぐちゃぐちゃ散乱している物をみると発狂したくなる。色んな意味で、たべものをたいせつに出来ないと、怒りが湧いてくる。育てている植物を不造作にちぎったり、包んでいたほうれん草をぶちまけられたり、そんなのはわたしの置く場所が悪い、触らせない工夫わわする他ないと分かってはいても、もうできる限りはやっているつもりだ。そんなことまでまだやらなきゃならないのか。なんでこんなに限界なのにまだやらなきゃならないのか。「なぜわたしがやらなければならないのか」本質的には分からないことばかりだ。 

わたしは機械じゃない。他人の細々した要求に答えるのはもう嫌だ。嫌だ。

わかっている、わたしは親だ、保護者だ。理屈は理解している。けれど解決されない「感情」がある。

親の役目だなんて、誰にでも言える言葉だと。

毎日毎分のようにそんなこと(ほうれん草など…の一連のあれ)ばかりやっていると、本当になんでいきているのか分からなくなる。バラバラになったものたち。わたしは、同じことの繰り返しが極端に嫌いだ。しかも不毛に感じる事ほど、怒りのような感情が湧いてしまう。

自分で自分を殴りたくなる。

なんてひどい、悲しい感情なのだろう

育児は「たいせつにしたいのに、たいせつにできない 」そんなものばかりが増え、こころが乖離してしまう、矛盾した違和感との戦いだった 。そういう感情の繰り返しに嫌気がささないわけが無い。わたしは、合理的だった。

泣き声が聴こえる。

わたしには今、もう泣き止ませることはできない。力が足りないのだ。勝手に泣けばいい。わたしの管理で全てが出来るわけは無い。できない。そこまでできない。

それを伝えても伝わらないだろう

家中が、気にくわないことばかりだ。そう感じた。

1人の空間にいたい、わたしはそんなに優しくなれやしない、ほんのささいなことたちがわたしのこころをすこしずつすこしずつ、砕いていく。こころがもう、割れてしまっている。くるしいのにくるしいのにどうしてわかってもらえも、たすけてもらえもしないのだろう。

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Twitterにこんなことを書いた

そのほかにも、文字にさせてもらった感情がある。わたしは自分をすくいたい。この感情には、冷静な色々な理由があるとおもう。

ここに関してはあきらめなくていい。わたしはわたしの心をやわらかく受けとめるしかないんだ、とやはり知る。

ただ、自分をたすけること。だと

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