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散歩

僕はそういえば、やたら散歩(自転車での徘徊も含め)をしていたなと思った。学生時代のほとんどを散歩に費やしている気がする。なぜしていたのか?簡単な理由だ。暇だったからだ。

恋人などいない。将来も不安。金もない。心の中では狂気くんが笑っていた。必要な自己との対話であった。地元の田園風景はゆっくりと、特段変化もなく、そのままいてくれたのが救いでもあった。

恋人ができその後結婚し、子育てや老後を過ごす妄想や、バンドで人気者になり、酒や精神病などで堕ちていくまでの妄想、いろいろした。ていうか、してる場合じゃないだろう。何かやれよ。僕は何をしていたんだろう。

地元のマイサイクリングルートはいくつかあって、天候や気分によってルートを変えて走るのだ。山を登るルートや国道を走るルートなどがあった。でも人生のルートはどこに行けばいいのか全然分からなかった。

土日祝日、春休み、ゴールデンウィーク、夏休みも年末年始も、ひたすらに走った。汗をたくさんかいた。自分でも意味不明だったけれど、するしか方法がなかった。ちなみに他の休みの日は工場でひたすらアルバイトで働いていた。頑張っていたけれど、行く道を間違えていたんじゃないか。

たまに地元から電車に乗って京都市内に散歩にも来ていた。これもルーティンコースがあって、二条駅から出発して河原町を経由し京都駅に向かうものがあった。何となく河原町にぶらぶら行くのがよかった。同世代のカップルたちが楽しく買い物をしている中、猫背で挙動不審だっただろう。実際自分以外全員幸せそうで、うらやましくてうらやましくて仕方がなかった。

そういえば最近、京都でライブをすることがあって、懐かしの散歩コースのあたりまで来たことがあった。でも当時のことを思い出したところで得られるものも特に無いので、記憶の扉をそっと閉めた。

当時、周りの友達には特に言う機会もなかったし言わなかったが、絵画や写真の展覧会にもよく行っていた。親が仕事先で無料の券を貰ってきてくれたからだ。感動して泣きながら帰ってきたこともあった。泣いている犯罪者予備軍の若者だぜ。気持ち悪かったと思う。ずっと一人でいろんな感情の渦の中にいた。

僕の地元は本当に田舎なので、夜は真っ暗になって、音さえ無くなる瞬間がある。このまま夜に吸い込まれてしまうんじゃないかと感じて、怖くなったりもした。静寂の中に響く発情期の猫の声も不気味で、悪魔が呼んでいるみたいだった。とにかく一人の宇宙にいたのだ。実家暮らしで時間もたっぷりとあったから感じられた、心地よい孤独だった。

これが僕の青春だ。ひねくれないし、ひがんだりもない。むしろ贅沢だったと思うし、悪くないなと今は思う。これはこれで良い。やっとそう思えた37歳だ。

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