ブスというハンデ、あるいは美人というアドバンテージはあるのか その2

ブス扱いの因果応報
 「ブス呼ばわりの屈辱」には一家言あると長らく恨みに思っていたけども、最初のバカタレ彼氏以後、男性から容姿について屈辱的な文句を付けられた記憶は実はほぼない。
 一方で、同性からは結構言われる。彼女らは皆、もしかしたら私のように男からブスって言われ傷を負ったのかも知れない。そう考えると、同性からのブス扱いは自分自身への因果応報なのかもしれない。だとしたら、これは甘んじて受け、そして堂々と「あなたの目にはブスでしょうけど特に困ってない」という顔をしたらいいのかも。罪への罰は受けるが不当な痛みには屈しない。これで行こう。

「ブス扱いされた」も結局主観
 ところで、ここで問題に気付く。
 私にとって「ブス扱いされる」とは、容姿についてされたくない扱いをされる事でもある。そしてこれはかなり主観的なのだ。
 高校生の時の彼氏は、前回のコラムの通り「俺の彼女は可愛くない」と私を紹介するにあたっていちいち断りを入れていた節がある。私はそれが屈辱だった。面食いを自称する男が「可愛くない」って、あんたそれ私のこと好きじゃないって意味じゃん。つまり私の事を本命彼女としてまともに扱う気がないんだよね? という怒りが沸いたのだった。
 この件に関しては男も悪いと考えていいと思っているが、私もまた形式にこだわり過ぎたと思っている。若い自分が大馬鹿なように、若い男子高校生も大馬鹿で言葉を知らないし言葉の重みも知らないし自分の気持ちも全くわかっちゃいないのだ。「可愛くないなあ、でも好きだなあ」という謎現象に直面している最中だったかもしれないのに。

 この時期、傷付いた私は自分の中にまた不思議な基準を築いた。
 「男性は性対象として女性を見る時に、あり/なしの二元論で分割している」という主観的な考えだ。これはほぼ私独自の男性観と言ってもいいくらい狂っていると思う。「あり」は性対象としてありがたがってもらえる水準で、「なし」は侮辱対象。こんなむちゃくちゃな二元論があってたまるかという位、男性にも失礼な話なのだが、私はそう思っていた。「あり」は敬して遇され、「なし」は侮辱される。しかもあくまで性の対象として。
 そんなのどうやって正確に見分けるんだ、という事に気付くのに私はまだまだ長い年月を要した。
 しかし私の中では「あり」に分類されれば「ブス扱いされた」と認識しなかった。
 男性の中には、ブスとは思わない女の事も別の角度から侮蔑して虐げる人もいると、その時は想像もしなかったのだ。私の頭の中は、彼氏だった男子高校生が美少女に捧げる尊敬の眼差しで一杯だった。ブス扱いされなければ、まともに扱ってもらえると信じていたのだ。
 なんというかこれはこれで、知らぬが仏のさいわいな人生だったのかも知れない。
 私はこれまた因果応報の天罰を食らったのごとく、ブス扱いされないが人間扱いもされない、というモラハラ天国へ足を踏み入れる。
 童貞に比べると、自分自身がそれほどモテない事を自覚しつつある非童貞に「可愛い扱い」されるのは楽だった。若い女性なら誰でも楽だと思う。20代の内は、メイクやファッションを頑張ればすぐに可愛いとみなされる。そのくらい男性達の基準も一気にゆるくなる。口ではブスは勘弁だのなんだの失礼な事を言い続ける男性達も、そうはいっても現実は、ちゃんとお洒落した十人並みの器量の若い女の子が好き好きと明るく優しく寄って来れば悪い気はしないらしい。
 「アイドル以外足切り」という厳しい水準のあとなので、男性が皆天使に見えるよ! この程度頑張れば許容範囲に入るんだ。ブスとか言われなくて済むんだ。助かる!
 そんなこと言ってるうちに、悪いのに目を付けられた。
 理由はよくわからないが、とにかく複数の女の子をはべらせていたいタイプの浮気性男性。そういうのに面白いように丸め込まれる。彼らはかわいいのなんの口当たりの良い事は言うが、複数人の女を同時進行くらい普通だし、それに何の罪悪感もないし「他に彼女なんているわけないだろ」とか平気で言う。
 私はそれでも、「ブス扱いされてはいなかったから、女としてのプライドは守れた」とか、最後まで思っていたよ。いやそれ以前に人間扱いされてなかったから……。
 まあこれはこれでたくましかったのかも。私はこの男性と口論になるとよくその「女として」の格を馬鹿にされていた。アイドルみたいな美人達と比較され「彼女達は(おまえと違って)可愛いから」という嫌味をよく言われたものだ。「お前の容姿では不満だ」と言外に言われた事もある。しかし……私も本当に図太いな「どうせ私も許容範囲じゃん。プライドなど童貞と共にとっくに捨てたくせになに気取ってんの」と特に傷付かなかった。
 たぶん、元カレ男子高校生の無知であるが故の刃より、意図的に酷い事を私は言われたはずなんだが、「ゲテモノ食いの分際で何を身の程知らずな。えり好み出来る余裕もない癖に」と、結構確信めいて思ってた、なあ……。

 その一方で私が傷付く女性からの「ブス扱い」は、「男の人って美人しか好きじゃないから」「男の人はブスは相手にしないから」という基準を信じ込んでそれに同調し、その目線で私に対して「あなたは全然美人の水準に達してない」と示して来る言動全部だ。
 私もそう思ってたからこれはわかる。これは私の罪でもある。
 一体何の手先になって傷付く必要のない人を傷つける基準で眺めていたのか。大いに反省だ。口に出したことがないのが幸いだが、心の中のこの目線は大いに反省している。

結局私が私を苦しめている
 今振り返って、私は浮気症男性に酷い言われようを繰り返され、それを覚えている程度には傷付きつつも自尊心を失わなかった自分の自己弁護的超理論に結構驚いた。
 そして、他人の心を推量して、自分で身勝手な基準を生み出し、それに自分を当てはめて「私はこの基準にいない」と絶望したり、愚かだったなあ。
 例えば、私は自分一人だけお世辞を言ってもらえなかったりすると凹む。お世辞言うのも無理なほどひどいですかあ、と、恨みがましく考える。そういうときもある。
 でも、年の功でなんとなくわかって来たよ。
 他人の基準を勝手に推し量って作り上げてそれに怯える愚かしさが。私を「ブス扱い」で苦しめているのは、私自身なのかも知れない。

 まあ、結局容姿は磨いて悪い事はそんなにないと思うけどね。磨くと超美人になってしまう人はセーブしとかないと望まぬ恋愛トラブルに巻き込まれて嫌な思いをするかもしれないけど、十人並み容姿の人は積極的に磨くといいような気がする。男性達も、顔で選ばないとしても既に選んだ彼女が美しくなっていく事を喜ぶようだ。


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