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あの鼻歌がまだ鳴っている【エッセイ】

先日、とあるYouTuberの「歌ってみた動画」を観ていた。原曲の歌手が好きで、その曲は彼らの作品の中でも飛び抜けて難易度の高いものだったから、期待半分、不安半分で見届けた。
──5分後、2度とこのチャンネルを観ることはないだろうと思ってしまった。ごめんなさい。

実際、そのYouTuberはかなりしっかり歌唱していたと思う。低音から高音域まで狂いなく音を当てていた。難しいリズムもしっかり刻んでいた。適切なビブラート、情熱的な声張り、様々な技巧を、クリアしていた。

……そうだ「クリアしていた」という言葉がしっくりくる。残念なことに。
彼は何かを表現したり、視聴者を楽しませることよりも、流行りの歌手が世に出した難曲ゲームをプレイしているみたいだったのだ。

そしてゲームに熱中するあまり、大事なことを忘れているようにも見えた。
それは「自分の声」を聞かせるということ。
こんなことを言っては元も子もないが(しかも余計なお世話なのは重々承知しているが)彼の声に合う楽曲はきっとアレではなかったのだ。

カバーアルバムやトリビュートアルバムに収録されている楽曲が、原曲を超えてくることは非常にレアなケースだと思う。刷り込み──つまり原曲を最初に聴いていて、その印象が強いというだけかもしれない。
しかし僕が思うに、楽曲と歌い手の声は一蓮托生となったうえで世に出てくる。ダイヤモンドのごとき絆で。
だからよほどのことがない限り、後続の者がその関係を揺るがすことは難しいだろう。

「声の多様性」というものに多大なる関心がある。どうしてあの人の声とこの人の声はこんなにも違うのか。その違いを鋭敏に聞き分けられたり、その逆に、まったく聞き分けられないことがあるのはなぜなのか。
物理学的分析によれば声は複数の周波数の音の複雑な集まりで構成される。その多彩な組み合わせが、その人の声をその人の声たらしめている。(だから声紋判定などが可能なのだろう)

誰もが唯一無二の声を持つなかで、ほんの一瞬で人の心を鷲掴みにする声の持ち主がいる。

今でも鮮明に覚えている体験、軽音学部に所属していた17歳の夏の頃の話だ。
その日、近隣のライブハウスの控え室にてバンドメンバーと談笑していた。出番の近い複数のバンドが集い、部屋はまあまあの密度だった。ふだんは学校の体育館がステージであることが多かったので、このように他バンドと距離が近くなるのは珍しいことだった。

ふと背後から聞こえてきた鼻歌。その響きの豊かさと美しさに、心を丸ごと羽根で撫でられたかのような、ある意味で悍ましさにも近い感覚に襲われた。
慌てて振り返ると、ほとんど話した記憶のない同学年のシノ◯キ君(通称しのぴー)がギターを掻き鳴らしながら歌っていた。
思わず「歌、上手だね」と声を洩らしてしまった。素朴な笑顔と一礼が返された。
彼はバンドの中でヴォーカルではなかった。コーラスすらしなかった。ちなみにステージではギターでもなくベース担当だったというオチ付き。

あの鼻歌を聞けただけで自分の人生良しと思えるくらい、衝撃的な美声だった。
次に同じような感覚を得たのはその十数年後、平井堅さんのライブの第一声を聴いた時。眼窩が一瞬でほどけ、涙が勝手にこぼれ落ちた。

平井堅ならば、万人に好まれる「良い声」のプロ歌手として納得できる。
ただシ◯ザキ君の場合はどうだろうか。
一抹の疑念が残っている。あの夏の控え室で、彼の声を美声だと感じていたのはもしかしたら僕だけだったのではないか?
本気でそう思っているわけではないが、それくらい自分への衝撃は強く、一方で周囲の友人らが無関心なように見えたのだった。

記憶の彼方の1分にも満たない鼻歌が、ずっと頭で鳴っている。
どんなに巧くても、どんなに人気があっても、素通りしてしまうたくさんの歌声がある中で。
なぜか彼の歌ばかりが蘇る。
シノザ◯君もまさか、四半世紀近く過ぎて自分の鼻歌が平井堅と同列に扱われているとは思いもよらないだろう。

もし声と耳の関係が、鍵と鍵穴の関係だとしたら、ある意味で残酷だと思う。どれだけ鍵が研鑽を積もうとも、絶対に入らない鍵穴があるからだ。構造的に絶対ムリな組み合わせというものがある。
歌にしても、おそらく文章にしても、自分に合わない鑑賞者に向けて自分の形を変えようとすることは、不幸の入り口なのかもしれない。

我々にできるのは、おそらく、落ち着けばちゃんと入る鍵と鍵穴の関係を損なわないようにすること。
素朴に、簡潔に、淡々とした、当たり前の作業と当たり前の発表を続けていくこと。
粘り強く自分のファンを見つけて、ちゃんと届けること。きっとそれくらいだ。

#歌 #音楽 #日記 #エッセイ

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