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株式会社Lentree 第7話 【自由とエシカルの関係性】

こんにちは!

株式会社Lentreeの田畑蓮です。

今週もnoteを更新していくので、最後までお付き合いいただけると幸いです!

前回の投稿は、代表の塗野による【鋼の錬金術士から見えたエシカル】というものでした。

▼まだご覧になっていない方は、コチラから是非ご覧ください。

さて、今回はタイトルの通り、「自由とエシカルの関係性」について書いていきたいと思います。

いきなりですが、「自由」とは、何でしょうか?

これは、かなり哲学的な問いであり、回答することも難しいですよね…。

なので、まずは、広辞苑で調べてみました。

【自由】
①心のままであること。思う通り。自在。古くは、勝手気ままの意に用いた。
②一般的には、責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないこと。

「広辞苑」より

「自由」の意味を改めて調べてみると、なんだか魅力的な言葉ですよね(笑)

また、「自由」という言葉は、歴史の教科書においても度々使用されており、昔から多くの人々が求めてきたものです。

しかし、ここで考えたいことは、「自由」は本当に良いものなのか?ということです。

フランスの哲学者であるジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル (1905-1980) の言葉で、「人間は、自由の刑に処せられている」というものがあります。

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル

人間は、自由の刑に処せられている。」

この言葉を具体例を用いながら、私なりに解説すると…

例えば、あるパーティーに招待された際に、「ドレスコードは自由です。」と伝えられたとします。

「自由」と記されているので、何を着て行っても良いはずなのですが、とても悩みますよね。「ドレスコードは、単色でジャケット着用をお願いします 。」という指定があった方が楽だったりします。

他にも、打ち合わせの内容を上司に報告する際に、「自由にまとめて。」と言われたら、どうやってまとめたら良いのか、悩みますよね。
「A4サイズ1枚で議事録をまとめて」と具体的に指示される方が楽だったりします。 

このように、「自由」とは、自己に責任が伴うので、時に不自由であり、ルールや指示などの制限がある方が人間は楽であるということです。

しかし、これは、決してマイナスなことではないと私は考えています。

なぜなら、この世の美しいものには、「限り」があるからです。

例えば、桜が美しいのも、やがて散りゆくからであり、俳句が趣深いのも文字数に限りがあるから。生命が尊いのもいずれ失われてしまうものだからです。

桜が美しいのは「限り」があるから。

すなわち、有限であるという不自由さは、美しさを創出することに繋がるのです。

さて、これを具体的に、人々の日常生活に落とし込む際に、エシカル (倫理的) という「限り」を加えてみるのはいかがでしょうか?

例えば、ヴィーガンなど。動物性食品を摂取しないという「限り」を食生活に加えることで、地球環境への配慮や健康面の豊かさに繋がります。

他にも、プラスチックゴミを削減するためにマイボトルを持ち歩いたり、エネルギーの無駄遣いをしないために電気をこまめに消したりするなど。
このような行為をすることで、地球環境への配慮だけでなく、精神的な豊かさにも繋がります。

このように、自身の生活にエシカル (倫理的) な「限り」を加えることで、自身の生活をより美しく彩ることができると思います。

皆さんの人生の中にも、エシカル (倫理的) な「限り」をぜひ加えてみてください!

今回は以上です!

最後までご覧いただきありがとうございました!

来週の投稿もお楽しみに!


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