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日本で生きることに生きづらさを感じながら生きてきた28歳。 自分の中にあるものスッキリ…

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日本で生きることに生きづらさを感じながら生きてきた28歳。 自分の中にあるものスッキリさせたくて書いてます。 モントリオールで過ごす、今が1番自分が自分らしくて1番好き。

最近の記事

365日

モントリオールに来て1年が過ぎてました。 実際は12月末から1ヶ月日本に帰ってるので ちょうどではないけれども。 心に余裕ができてて怒ることもイライラすることもほとんどなくて。 わたしは大抵怒ったりイライラした後に悲しくなったり、小さなことに心乱された自分自身が嫌になったりすることが多いからそんな気持ちになることも減って心が消耗することも少なくなってるかなって思ってます。 毎日こんなにも心穏やかに過ごせるのが、すごく幸せです。 平日は基本週5日は学校に行き土日はコーヒー

    • 学ぶこと 

      カナダにいていいなあってって思うこと。 27歳のわたしが学校で週5日勉強することたいして皆がいいね!って言ってくれること。 カナダで何してるの?って聞かれて、学生してる〜って言ったらなんの勉強?って前向きに聞いてくれてコンピュータグラフィックだよ〜。自分で焼いた豆のコーヒーのインフォメーションとか自分でデザインしたいんだ〜って言ったら、みんなめっちゃいいじゃん!最高だよ!とかなんでも出来るようになるね!とか言ってくれる。 学校の先生も何かと課題の時にコーヒーを使ったデザイン

      • じかん

        コロナパンデミックになって止まってたわたしの中の時間がモントリオールに来てから急速に進みはじめたきがする。 2019年の11月にニュージランドのワーホリを終えて帰って来た後、コロナパンデミックになり次のワーホリにも行けなくなり、続けたかったバリスタの仕事も思い通りに出来ず、2020年の夏頃の何 もできないことに苛立ちを感じ、自分が今何をどうしたらいいかもわからなくなって。 2020年の秋頃から徐々にビジネスでの渡航やスチューデントビザでの留学がオープンになったりし始めてそ

        • しあわせとは。

          しあわせ感じてますか。 自分以外に起きたしあわせをしあわせと思えますか? YouTubeとかSNS見てるとしあわせの報告のコメント欄にあるネガティヴのコメントの多さ。 誰かのしあわせを妬ましく思う人が多いこと、自分の応援している人のしあわせを一緒にしあわせと喜ぶことが出来ない人が多いことにわたしは驚く。 みんなは何でそんなにネガティヴなコメントをしたいんだろうか。と思って気がついたことがある。 違う違う、そういうコメントしてる人はみんな今が自分に精一杯すぎて誰かのしあ

          My rule

          まとめ わたしがわたしとして生きていけるように わたしが考えたわたしだけのちっちゃな約束事だけどわたしは胸がギュッとなる瞬間が減ってるし 生きていきやすいとおもっている。 1 後でこうしたらよかったなって思わない道を選ぶ 納得するまで進まない。やり直す。 2 "誰がやっても良いことは良いこと、誰がやっても悪いことは悪いこと" 3 誰かの意見で人を嫌いにならない。 自分にとって大切な人は何があっても1人にしない。 その子を自分が大切と思うならそれでいいじゃないか。その人

          My rule

          日本に帰ってきてからの日々で。

          2回目のワーホリが終わって日本に帰ってきて少ししてからコーヒー屋さんを探して働き始めるも合わなかったり、コロナという謎の感染病がじわりじわりと広がり始めていろんなことが制限されたりと本当はこんなんじゃなかったのにと思うことばっかりで。 ずっと行きたかったタイとかベトナムとかに旅行に行こうと思っていたとか。またお金を少し貯めて違う国にワーホリに行こうと思っていたのにとか、色んな出来ないことにまあでもコロナだし仕方ないか、と思うようになってしまってる自分もいて。 コーヒーじゃ

          日本に帰ってきてからの日々で。

          Wellingtonでの日々で。

          2回目のワーホリ。場所はニュージーランド。 カナダと同じくらい自然があってでも不便じゃなくて。 英語がネイティブじゃないのもあって、できる仕事できない仕事あって。 時給のいい仕事(オフィスの仕事や専門的な仕事とか)が難しい中で何がしたいか考えたら、日本ではお給料面で本業には出来なかったバリスタの仕事。 日本でもフランチャイズのカフェで働いてたことはあったけどスペシャリティーコーヒーの経験は0。 でも同じ1時間17.50ドルならやりたいことやろうって、思って仕事探し。

          Wellingtonでの日々で。

          言えなかったわたしへ

          カナダでのワーホリ中の話し。 わたしはカフェテリアで働くことができたんだけどさすがカナダという感じで、わたしを含めてみんな色んなところからきていて。 (オーナーとトップシェフはメキシコ、マネージャーはオーストラリア、もう1人のシェフはインド、ディッシュウォッシャーはサウスアメリカ、それからバイトのケベコアちゃんたちともう本当に様々で。) 働き初めてしばらくしてからマネージャーがオーストラリアに帰ることになり、バイトのケベコアちゃんたちと働くことになった時、いつもわたしのこと

          言えなかったわたしへ

          負けず嫌いなわたしへ

          いつだって負けず嫌い、誰よりも自分に負けることが許せないわたし。 高校卒業してすぐ働いたレストランで働いていた時のこと。 今まで使ったことのないハンディーや新しく覚えることの多い料理の知識や素敵なサーブの仕方。 教えてもらったことよりもやってみると難しくて、一緒に働いていた人たちの振る舞い方が余裕があって、華麗で。圧倒的に動きに無駄がなくて。 真似してみても真似してみても全然に出来なくて。頑張れば頑張るだけ空回りして失敗して。 必死に頑張ってみたけど全然上手に振る舞えな

          負けず嫌いなわたしへ

          進路に迷う日々のわたしへ

          高校卒業間近、何も決まっていないこれからに迷ってる日々のわたしは卒業したらどうするかを沢山ぱぱやままと話しあって。その時言われたこのに本当に本当に傷ついて、でも彼らは言ったことすら覚えてなくてわたしだけが傷を負って、わたしは思ったんだ。 いつだって感情に任せて言ってはいけなくて、常に考えていう必要があるんだって。 言葉はナイフだなんてよくいうけど、そうだと思う。しかもそのナイフは釣り針の様にかえしがあって、抜くに抜けない。抜くときにもっと痛くて。 それからわたしはもうひ

          進路に迷う日々のわたしへ

          自信満々にクラスの前で発表出来た16歳のわたしと、泣きながら嫌いなわたしと向き合った19歳のわたしへ

          わたしの高校では高校1年生の授業でライフプランを考えて最後の授業で発表するっていうのが必修科目であって。 一年かけてみんな自分がどんなことが好きでどんな進路を選んだらその仕事に就けていつまで仕事をするのか、結婚するのは子どもを持つのはどのタイミングなのか、、要はどんな風にしてこれからの人生を歩んでいくかを色んな課題と向き合いながら考えて行くそんな授業だ。 16歳のわたしはケーキで人を笑顔にすることができると思っていたからいつからかずっとパティシエールになることが夢で高校3年

          自信満々にクラスの前で発表出来た16歳のわたしと、泣きながら嫌いなわたしと向き合った19歳のわたしへ

          部活が嫌で塾に行きたくなったわたしへ

          中学校三年間ソフトボール部に所属してた。辞めずに所属してた。 やらなきゃ終わらない片付けの時にベースやボールケースが重くて片付けたくないからバットを両手に一本ずつしかもたないとか、試合の時にボールやバット、ヘルメットを持っていくのだけどみんなが順番に重いものも持てばいいのにじゃんけんで勝ったらずっと持たなくていいとか、学年で11人いたから2人組になる時に3人組が出るのに誰かを仲間外れにしてみたり、チーム内で悪口を言ってみたり、相手が嫌がってるあだ名で呼んでみたり、チームプレ

          部活が嫌で塾に行きたくなったわたしへ

          黄色い眼鏡を笑われたわたしへ

          人生で初めての眼鏡を買いに行った時、わたしは黄色の眼鏡を選んだ。好きな色が黄色だったし、見てそれがいいと思ったから。 学校に付けて行った時、友だちにも先生にも変な色の眼鏡だと、笑福亭鶴瓶だと笑われていた。 そんなにこの黄色い眼鏡を付けることが変なのかなって思ったけれどわたしは好きだったし、その後視力が更に悪くなって新しい眼鏡を買う時までその黄色い眼鏡で生活をし続けるんだけど、言われる度に何でわざわざ言うのだろうって思ったし、自分の好きなものを笑われていること傷ついたよ。

          黄色い眼鏡を笑われたわたしへ

          自分の価値観でひとりのことを大切と思ったあの日のわたしへ

          小学校高学年くらいからなんとなく始まる、クラスの中のグループや誰かひとりを仲間外れにするような行為。その時は多分なんとなく順番じゃないけどある時、突然誰かひとりが仲間外れにされていくのがローテンションであるみたいなそんな感じ。 理由なんて携帯持ってないとか、ゲーム持ってないとか、いい子すぎると、その中でマイノリティーが仲間外れにされる感じだったと思う。 ある時、自分の仲の良い友だちがひょんなことでそのターゲットになってしまった時があった。 わたしはその子のことがすごく大切

          自分の価値観でひとりのことを大切と思ったあの日のわたしへ

          いい子でありたかったわたしへ

          小学校3年と4年生の時。 わたしがとにかくいい子でいることを1番大切にしてた時から今でも大切にしていること。 小学校の1年生の時の担任の先生は黒板に鬼を描いて3つ貯まるとすっごく怒った。クラスの全員ではなくて誰か1人がしたものでも鬼は描き足されていく。先生の怒りの加減で鬼が描き足されていく。時にはパーツ(目や角だけ)だったり鬼が1つ描かれることもあった。 小学校2年生の担任の先生は"時間よ止まれ!"という。その瞬間にしていたままポーズを取って先生の許しがでるまでそのままで

          いい子でありたかったわたしへ

          忘れられないあの日のこと

          大好きなおばあちゃんとおじいちゃんの家の庭でお昼にBBQをしたあの日。わたしのおじいちゃんは毎日10000歩以上歩いていてその日は足りなかった。 それでみんなで片付けをした後、10000歩に足りてないから歩いてくると言った。おばあちゃんがお酒を飲んだ後だし今日はいいんじゃないかと言ったが絶対に行くと言って聞かなかった。 わたしはおじいちゃんが支度をして出かける時について行こうとした。玄関を出るところで"すぐ帰ってくる"と言われたが"一緒に行きたい"と言って靴を履いて着いてい

          忘れられないあの日のこと