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舞台「星の少年と月の姫」感想

公演期間が、毎年激務期間で次の週は代わりがいない仕事を控え、例年なら、唯一の休みの日曜は完全休養。
それでも、今年は何が何でも行きたいと思った。そして千秋楽へ観劇へ。
きっかけは、昨年から応援し始めた花沢詩織さん。応援を始めてから、初めての本格的な舞台。これは見逃せないと思った。

とはいえ、他の出演者も強力なメンバー。楽しみで仕方がなかった。

開演し、まず驚いたのが白石まゆみさん。
彼女の舞台デビューは、たまたま休み期間と重なり、3公演を観に行ったこともあり、とても印象に残ってて大好きな作品。
その時は初舞台とは思えなかったけど、そこから主演作を何作品か観劇。その後、コロナ渦となってからは、配信作品は観たものの、都合が合わず劇場へは行けず。
そして今回。その第一声から、イメージと違ったものが耳に飛び込んできた。

役もあるかもしれない。
でもそれ以上に、台詞が、単語が、それこそ一つ一つの文字が、聞きやすく耳に飛び込んでくる。元々の声質はとても印象に残るものだったけれど、躍動感が出ていた。
躍動感というと、力強いものだけのように感じてしまうが、そうではなく、活きた言葉、文字。デッドリーや百花繚乱と、一作品ごとに惹かれていったけど、今回の作品でそれは更に大きくなった。
この一年、写真集も出したことなどの経験も大きいのかもしれないと思った。
一つ一つが丁寧な演技で、目が離せなくなる。前は元気な役があっていたし、その姿に力を貰っていたけど、今は「哀」を表現でき、それがまた魅力。
ちょっと暗い役も観てみたいと思った。魅力的な声を使わない、喋らない役でも観てみたい。そしてそれは、劇場で、生で観たい。配信では伝わらないものが、そこには確かにあった。

ストーリーは、劇中劇が進行する。あて書きじゃないかと噂が立ったことで、作品に何かヒントがあるのではないかと話を聞き始める。
作中でもあったけど、カウンセリングというよりも、探偵のような領域になっている。それでも違和感がないのは、それを我々、観劇する側も知りたいから。まさに人間心理をうまく利用して違和感のない設定を創り上げた。加えて、「元演劇部のカウンセラー」となれば、興味が出ないわけがない。それが更に確定付けた。

個人的には、あて書きって楽しい作業だなって思ってる。
自分の知っている人たちを、現実と違う設定で”妄想”するのではなく、自分の推している人はもちろん、この役にはこの人だなって思って考えるのが楽しい。小説を書いているときにはなかった楽しさで、今は自分でそうやって書くのが楽しい。
でも、だからこそ、あて書きが負の方向に向けられることも知っている。
現実と近い設定であて書きを書いたら、それは”噂”になりかねない。演技がうまければなおさら。
「あの人、違和感なかったね。」「普段からやってるんじゃない?」
そんな噂が出回りかねない。そしてそれは、現実と離れた世界でも同じ。そこに演じられる人間がいるのであれば、その人間が、その役の性格や考えとリンクしてしまう。あて書きだと知らなくても、あて書きだと聞いたら、そう思われかねない。
あて書きではない作品でも、強烈な役を演じると、そう言われるのだから。

現代社会は特に噂を広げるツールが多くある。噂の中に一つの真実があっても、それが少数ならば一気に飲み込まれてしまう。完全なる多数決社会。決をとらないのに、少数派は飲み込まれてしまう。飲み込まれないためには、目立つ行動をしないといけない。

その怖さを、別の世界で「指標」として表現された世界。
スクールカーストは、学校を出れば終わる。会社でも同じ。でも、自分の生きている星で指標があるのであれば、逃げ場がない。
そんな怖さを観る側に、少しずつ植え付けながら物語は進む。

いくつか伏線らしきものを感じながら、最初の違和感は、髪の毛の長さの話。姫と呼ぶには短いというくだり。最後に、劇中でもここがキーとなってくるけど、姫様の髪の毛の長さのイメージはひとそれぞれ。もっと長いものをイメージしているのであれば何の事もない台詞。でも、あの長さで「短い」という表現に違和感を感じた。

とはいえ、あて書きが逆というところは予想できなかった。だからこそ驚き、全てがつながった爽快感があった。
そして全てを知った時、もう一度、細かいところまで観たいと思った。そうでないと、この作品の感想は成立しない。
おそらく、細かいところを一人一人が細かく演じている。それは演出が松本陽一さんなら、なおさらでないかと思う。
だからDVDを買って観るつもり。

でも、今回、花沢詩織さんの演技を観られたのは、本当に良い機会だった。
冒頭で低身長を部長にいじられているところもあったけど、身長が際立ったのはあの時くらい。
全てが露見した時、真実が語られている時の動きを観ていたけど、ここはよく創り上げられていた。カウンセリング中、とにかく話を切り上げようとしたり、隠そうとしている唯一の存在。あからさまに怪しい姿を見せている人たちがいる中、一人だけ、静の疑惑の動きを見せる。時間にしては一瞬。
でも、その一瞬があるからこその、ラストでの一連の演技。
ただ泣くだけではない。ただ呆然とするだけではない。それだけでは、あの時の、カウンセリングの行動が意味をなさなくなる。この二つの場面、それぞれを活かす演技をしていた。
そしてそれは、前に戻って観られない舞台だからこそ、もう一回観たい、観に来たい、確認したいという心理に繋がる。今回、最終日だったので無理だったけど、これがまだ時間あったら、間違いなく、またチケットをとっていたと思う。

しかし、最初の発声練習、全員がお腹に手を当てて腹式呼吸の様相だったのに、一人だけ後ろで手を組んでいた応援団スタイルだった。あれは個性出ていたけど、あえてなのか、それとも現実世界での花沢さんの経験によるものなのか・・いつか機会あったら聞きたい。
白石さんもそうだけど、花沢さんも松本さん演出の作品で、また観たいなあ。
この二人に「哀」「憎」などの負のものを表現させたら、きっと面白いことになると思う。

トークイベントも行きたかったけど、さすがに家で色々片付けることもあり、出かけられなかった。悔しいなあ。DVDに少しでも収録されると嬉しいけど、無理だろうなあ。
DVDと言えば、それで確認したいことがあと一つ。
観測者である須山朱里さんの演技。正直、あまり出番は多い方ではないと思っていた。そんな中、あの作品の中では少し特殊な役。その役をどう演じていたか、冒頭から注目したい。
というのも、ああいう役だと思っていなかったので、注目する前に終わってしまった感が・・。貫禄はバッチリだし、物販でも完売で買えなかったし、相変わらずの人気っぷり。
久々のコメディ作品ではない姿、DVDで再度確認しよう。

他にも書きたいところはあるけど、やっぱりDVDを観ないと何とも・・。
細かい表情まで見えるか分からないけど、楽しみに待とう。

最後に。

激務期間はまだ続いているけれど、その週は倒れるように眠ることもあったけど、それでも乗り越えられたのは、この作品で力を貰ったからだと思っている。身体を休めようと一日家にいても、それは休んだ感が出るだけ。精神的に潤いをくれたおかげで、例年よりも激務期間でも乗り越えられた気がする。それは良い舞台でないとなかなか難しい。そこからも、いい作品だったと、人に紹介できる。良い休日をありがとうと言いたい。

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