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観劇「若草物語」感想

白石まゆみさんが出演ということで観劇へ。

白石さんは初朗読劇。どう表現するか楽しみだった。
最近、朗読劇を観ることが増えていたが、それぞれに特徴があり、その作品のスタンスによっても表現方法が変わる。
今回は、三本の朗読作品の間に、トークやゲームが入るといった趣向。作品も若草物語というメジャーなもの。だからこそ、このような構成ができたのではないかと思った。

観劇したのは初日2本目の公演。
作品は小説をそのまま朗読するスタイル。脚本の形にし、会話が多めの脚本スタイルではなかった。そんな中で、白石さんは、聞く限り、4~5つのトーンの声を使い分けていた。
小説で言う地の文のところが一番多かったが、第一声、いつもと違う感じの声に聞こえた。
その声でナレーションしたら、なんて聞き心地の良いものになるだろうという印象。

そして会話となれば一転、幼い少女の声に変わる。もちろん、声だけではなく表現の拙さも表現しているように聞こえた。なにより、表情が幼くも見えた。地の文を読んでいるときは、普段、SNSで見ているような大人っぽい、綺麗な感じで「テラー」に合っているのに、少女のセリフのとなると、初めて舞台で観た時のような、少し幼い表情が見え隠れした。それは声の魔術なのかもしれない。
地の文と言えば、2話の最初の地の文を読んだ時だけ、少し違っていた。前後からそれも理解できたけど、そこだけ変える自己演出に、マスクの下で口を開けて惚けてしまった。
最後の役も少しトーンが違い、もう一か所、違う声の表現があったけれど、2話、役の中で「意志」を強く表現する部分があった。男性が入ることの「反対意志」。反対意志の強さは、文字では伝わりにくい。それを言葉にしても、なかなか伝わりにくい。なにしろ、強さは受け取る側により、それは異なってしまうから。

そこで白石さんは、手を置いていたスカートを、強く握るという表現を見せていた。これは朗読劇という性質上、気が付かない人もいるかもしれない。それでもあの表現で、意志の強さが目に見えて取れるようになった。
巧い演出だなと思ったが、後から、もしかしたら、これは自然に出てしまったのかもしれない。役になって意志を表現したことで、自然と出た仕草ではないかと感じた。
真相は、また聞く機会があったら本人に聞いてみたい。

全体を通して感じたのは、小説の上での句読点の表現が巧みだったということ。
地の文が多かったからかもしれない。今作品は、一人称ではない視点の小説。地の文は感情を代弁する場合もある。一方で俯瞰的にものを見ている。それぞれ、同じ句読点にしか見えないが、それを”音”で表現すると、やはり違いが出て当然。
その違いの表現がうまいのが、聞いていて心地よい理由だったのかもしれない。

しかし途中にトークやゲームがあるのは楽しい趣向だったけど、2話と3話の間のゲームで”犯人”と疑われた白石さんは、それまでノーミスだったのに、3話目は少し崩れた。マウスシールドが少し気になっていたようだけど、きっとあのゲームのせいでは・・と思っていた。ある意味、集中が一度途切れて繋ぎなおすという過酷な環境下での公演。楽しませてもらいました。今回、端の席だったけど、空き具合を見て「一つ分中央の席に寄っていいですよ」と声をかけてくれた運営さん。前にも、端の席の時に同じような配慮をしてもらった団体さんがいたけど、今回も凄く嬉しい気持ちになった。浅草花劇場も、椅子と椅子の間が広く空いていて、後からきても入りやすそうで良い劇場だなと感じた。また行きたい団体さんと劇場、そして作品だった。


最後に、そんないい気分で劇場を出て近くをフラフラしていたら、「白石さんの声って良かったね」という声が、後ろから聴こえた。ファンとしては、それも嬉しく、大満足で家路についた。

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