サヨナラ30代①
私は自分の卒業式で
泣いたことがありません
小学校の卒業式で
泣きじゃくっている隣の友人に
「なんでこれから楽しいこと待ってるのに
泣くんやろ?」と
冷ややかな目を向けていました
(小学校生活が嫌だったわけではなく、
これからが楽しみな気持ちが強かった)
*
今年の8月に40歳になります
30代を振り返って眺めると、
のどのあたりがギュッと詰まって
苦しくなります
そして目の前に広がっている
40代を前に
小学校の卒業式で感じた
あのワクワクが帰ってきています
これってすごいことで、
根拠もなく
新しい世界に対して
無邪気に「これから楽しいことが待っている」と
決めつけられるって
いかに健康なことか
よくわかります
副腎疲労にならなかったら
とてもみじめな気持ちで
できるだけその事実を意識しないように
日常の中に紛らせて
40歳の扉を開けたことと思います
私は副腎疲労になったから
こんなに清々しく
ちょっとおセンチを味わいながら
襟を正して
咳払いをして
「しつれいしまーす!」と
40代の扉を開けようとすることが
できているのです
(なんせ誕生日の半年も前から
こんな文章書くくらいですから)
*
32歳くらいの時に
「これが30代か」と、
その「大人になることの重み」みたいなものを
思い知って打ちひしがれたことを
今でも思い出せます
20代はただ「無敵」で「無邪気」でした
楽しい時も、苦しい時も、全力で
自分のことだけを考えて生きていれば
良かった
30代、子どもができて
仕事が楽しくなってきて
背負うものが増えて
なんだか無駄に視野が広くなって
自分の限界みたいなものもわかってきて
他人が自分のことをどう見ているのかも
わかっちゃって
どんどん自分が
小さくなって
どう生きたいかより
どううまく生きるかが大事になって
しかもどんどん上手になっちゃって
気が付いたら
「私」はどこにもいなくなってしまいました
*
どんどん体調が悪くなり
36歳の時に鬱の診断を受け
これでも私に明日が来るなんて
神様はいじわるだ
みんなにとって、
私は最初からいなかったことにしてほしい
そして消えてしまいたい
もう本当に疲れたから許してほしい
そんなことばかり考えて
自分をごまかしながら
日々を消費していました
*
いま
30代を振り返ると
愛しい気持ちでいっぱいになります
がんばったな~
えらかったな~
よう乗り越えたな~
いっぱいヨシヨシしてあげます
そんなこと言われたら
やっぱり30代の卒業式には
泣いちゃうかも
小学生の私とは
またちがう「本当の私」
これから誕生日まで
30代で何を学んだのか
私が副腎疲労になった
本当の原因や
副腎疲労で神様がくれたもの、
どうやって違う世界線を選ぶことができるのか
今、この時でしか表せない鮮度で
残せる言葉を
少しずつ綴っていきたいと思います
今、副腎疲労で苦しむ人で
必要な人のところへ
届きますように
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