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サヨナラ30代①

私は自分の卒業式で
泣いたことがありません

小学校の卒業式で
泣きじゃくっている隣の友人に
「なんでこれから楽しいこと待ってるのに
泣くんやろ?」と
冷ややかな目を向けていました
(小学校生活が嫌だったわけではなく、
これからが楽しみな気持ちが強かった)



今年の8月に40歳になります

30代を振り返って眺めると、
のどのあたりがギュッと詰まって
苦しくなります

そして目の前に広がっている
40代を前に
小学校の卒業式で感じた
あのワクワクが帰ってきています

これってすごいことで、
根拠もなく
新しい世界に対して
無邪気に「これから楽しいことが待っている」と
決めつけられるって
いかに健康なことか
よくわかります

副腎疲労にならなかったら
とてもみじめな気持ちで
できるだけその事実を意識しないように
日常の中に紛らせて
40歳の扉を開けたことと思います

私は副腎疲労になったから
こんなに清々しく
ちょっとおセンチを味わいながら
襟を正して
咳払いをして
「しつれいしまーす!」と
40代の扉を開けようとすることが
できているのです
(なんせ誕生日の半年も前から
こんな文章書くくらいですから)

32歳くらいの時に
「これが30代か」と、
その「大人になることの重み」みたいなものを
思い知って打ちひしがれたことを
今でも思い出せます

20代はただ「無敵」で「無邪気」でした
楽しい時も、苦しい時も、全力で
自分のことだけを考えて生きていれば
良かった

30代、子どもができて
仕事が楽しくなってきて
背負うものが増えて
なんだか無駄に視野が広くなって
自分の限界みたいなものもわかってきて
他人が自分のことをどう見ているのかも
わかっちゃって

どんどん自分が
小さくなって

どう生きたいかより
どううまく生きるかが大事になって
しかもどんどん上手になっちゃって

気が付いたら
「私」はどこにもいなくなってしまいました

どんどん体調が悪くなり
36歳の時に鬱の診断を受け

これでも私に明日が来るなんて
神様はいじわるだ

みんなにとって、
私は最初からいなかったことにしてほしい
そして消えてしまいたい


もう本当に疲れたから許してほしい


そんなことばかり考えて
自分をごまかしながら
日々を消費していました

いま

30代を振り返ると
愛しい気持ちでいっぱいになります

がんばったな~
えらかったな~
よう乗り越えたな~

いっぱいヨシヨシしてあげます

そんなこと言われたら
やっぱり30代の卒業式には
泣いちゃうかも

小学生の私とは
またちがう「本当の私」

これから誕生日まで
30代で何を学んだのか
私が副腎疲労になった
本当の原因や
副腎疲労で神様がくれたもの、
どうやって違う世界線を選ぶことができるのか
今、この時でしか表せない鮮度で
残せる言葉を
少しずつ綴っていきたいと思います

今、副腎疲労で苦しむ人で
必要な人のところへ
届きますように

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