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戯曲『十六夜の森』

ほぼ2万文字あります。
流し読みでも小一時間かかると思いますが、お暇な時に少しずつでも読んでいただくと泣いて喜びます。

登場人物&イメージキャスト
お紺   池谷のぶえ
静シズカ    木村多江
大将   荒川良々
背広   大倉孝二
角刈   市原隼人
ちび   芦田愛菜
希ノゾミ  富田望生
ムジナ  小池栄子


暗転の中、風に揺れる木々のざわめきに混じり子守唄が聞こえてくる。


三日月弓張り望月過ぎて 

今宵の月は十六夜の 

焦らし昇らぬ躊躇い月よ

よゐこは待たずに寝んねしな 

ほーほーほーやれ ほーやれほー

立待居待寝待がゆけば 

下に弓張るお月様

やがて隠れる下弦の月よ

よゐこは揺られて寝んねしな

ほーほーほーやれ ほーやれほー


子守唄は暗闇の中にゆっくりと溶けていく。

明転するとのどかな森の朝。皆忙しく働いている様子。ちびは角刈と共にひたすら体を鍛えている。そんな二人を冷やかし励ましながら大将と背広が薪を運び、お紺と静は洗濯物を干しながら談笑している。


角刈  どうした、もうへたばったのか?

ちび  へたばってなんか…ない!

角刈  よぉし、じゃあ今度は腹筋だ。

大将  ちびちゃんあんまり無理するなよ、何事も程々が一番だぜ。

ちび  無理をしなけりゃ強くなれない。

背広  ちびちゃんは十分強いと思いますよ。私じゃ相撲をしても勝てないなきっと。

ちび  あんたになら静さんだって勝てるよ。

大将  ほぉそう来たか。どうだい静さん勝負してみるかい?

静   えっ?何をです?

大将  相撲だよ相撲、静加海と背広山の世紀の一番!

背広  ちょっと、やめてくださいよ大将。

お紺  おやまぁそれは面白そうじゃないか、静さんやってみなよ。

背広  お紺さんまで何言っているんですか。

静   相撲ですか…私…

背広  ほら静さんだって困っているじゃないですか。

静   やってみようかな。

背広  ええ?

大将  ま、マジかよ。じゃあ静さん俺と取ろう俺と。

静   大将には流石に勝てませんよ。

お紺  おや静さん勝つ気満々だね。


角刈とちびが動きを止め皆の輪に加わる。


角刈  静さんが相撲?

ちび  昨夜の満月に影響されたんだなきっと。

お紺  十六夜月の奉納相撲なんて素敵じゃないか。よし行司は私に任せておくれ。

角刈  じゃあ土俵は僕が。

ちび  静さんちゃんとストレッチした方がいいよ、ほら。


お紺は呼び出しの練習を始め、角刈は土俵を描きだしちびは静に準備運動を促す。


背広  何だかみんなノリノリじゃないですか、何とかしてくださいよ大将。

大将  知るかよ、いい加減覚悟しな。

背広  言い出しっぺの癖になんで不機嫌なんですか?

大将  そんな事無い無い。ほらお前も準備運動しなきゃ。


大将は背広を無理やり座らせ背中を押し始める。


角刈  お紺さん準備は整いました。

お紺  そうかい時間いっぱいだね。番数も取り進みましたる処、かたや背広山~背広山~こなた静加海~静加海~この相撲一番にて本日の打ち止め~見合って見合って、はっけよ~いのこった!


二人の取り組みは一進一退の好勝負、水入りかと思われたその時土俵際で静加海の打っちゃりが決まる。


お紺  静加海~静加海~

ちび  なかなかやるじゃん。

角刈  勝っちゃいましたね。

大将  本当に負けちまったな、まあ美味しい思いしたんだから良しとしなきゃ。

背広  美味しくなんか無いですよ、ああ恥ずかしい。

静加  手加減してくださって、背広さん優しいですね。

大将  いやそんなことは無いと思うよ、優しいとかじゃなくて真剣に負けちまっただけだよな?

背広  そりゃそうですけど・・・

大将  よし、俺が仇を討ってやるからな。静さん俺ともう一番・・

ちび  あれ大将も取りたいのか?よし俺が相手になってやる。

大将  お前は筋トレしてろよ。

ちび  いいから遠慮すんなって。

大将  馬鹿、やめろっておい。


大将に組み付いたちびはあっという間に大将を投げ飛ばす。


ちび  何だよだらしねえな。

大将  いたたたっ、ひきょうだぞちび。

ちび  何だと。

角刈  確かに今のは不意討ちっぽいよな。

ちび  だったら仕切り直しだ、来いよ大将。

大将  望む所よ!と言いてえが畑に水撒かなくちゃな。おい行くぞ背広。

背広  あ、待ってくださいよ大将。


二人はそそくさと退場。


ちび  ちぇっ逃げやがった。

お紺  大将とちびの一戦はまた次の機会だね。

ちび  俺は何時でも受けて立つよ。何なら角刈が相手でもいいぜ。

角刈  随分と強気だなちび。俺より早く沢に着いたら考えてやってもいいかな。

ちび  その言葉忘れんなよ。


言い捨てると同時に走り出すちび。


角刈  あっ!汚えなぁ、まハンデをやるか。

お紺  あんまり急いで怪我するんじゃないよ。

角刈  大丈夫ですよ、俺もあいつも慣れているから。それより沢で魚を獲ってくるんで料理お願いしますね静さん。

静   はい、楽しみにしているので気を付けて。

角刈  ええ、じゃあいってきます。


ちびの後を追い角刈退場。


お紺  本当に元気になって良かったねえ。

静   ちびちゃんですか?

お紺  みんなだよ。一番古いのは大将かね、夕げの支度をしていたらひょっこりと現れて。よっぽどお腹が空いていたのか地べたに這いつくばる様に頭を下げるんだもの、さすがに見捨てて置けないさ。

静   そうだったんですか、私と同じですね。

お紺  どんなに辛い事があっても腹は減るもんさ、例え世間に絶望しても腹の虫だけは正直なのかもしれないね。

静   そうですね、私はまだ生きているんだって実感しました。それに…この村で生活させてもらって初めて、生きていていいんだって思えた気がします。

お紺  それは少し大袈裟じゃないかい?

静   本当なんです、この村に来るまではそんな風に思えなかった。人の目ばかり気にして自分を誤魔化して、誰からも必要とされない自分に絶望して…だけどこんな私でも少しは役にたてるんじゃないかって、それが嬉しくて。それに何があったのか、どうしてこんな山奥に来たのか、誰にも聞かれない事が心地よくって。

お紺  助け合わなけりゃ山奥の暮らしはしんどいからね。何も聞かないのは皆同じような痛みを抱えているからかもしれない。この婆にしてみりゃ畑仕事や薪割りを手伝ってもらえるなら大歓迎さ。過去に何があろうと此処の暮らしには関係ないからね。何て言ったっけか、ギブミーじゃなくて…ギブ、ギブ…

静   ギブアンドテイクですか?

お紺  ああ、そうそう。所詮は損得勘定なんだから静さんもあまり気にせずムジナの様に好きに過ごせばいいのさ。

静   そう言えば最近姿を見せないですねムジナさん。

お紺  あいつは本当に気まぐれだし皆を不愉快にさせるから、来ない方が平和だけどね。

静   だけど助かりますよ日用品も差し入れてくれるし。

お紺  自分が過ごし易いように持ってくるだけだよ。

静   だとしても助かります。多少きつい事を言われてもそれこそギブアンドテイクじゃないですか。

お紺  それもそうだね。

静   ええ。

お紺  (小さく笑いながら)さて、残りの洗濯物を片づけてしまおうか。

静   はい。


お紺と静が退場すると舞台の明かりが変わり、畑で一休みする大将と背広が登場。


大将  しかし情けねえな、静さんに負けちまうなんて。

背広  私もいい歳ですからね、静さんはまだまだ若い。

大将  で、どうだった静さんの抱き心地は?

背広  だ、抱き心地なんて不謹慎な事言わないでください。

大将  何カッコつけてんだよ、歳喰ったってまだまだ男だろう?

背広  わ、私はそういう事はもう…

大将  そういう事って何だよ?

背広  だから、そういう男と女の事は…

大将  おや、お嫌いですか?

背広  お、お好きです。


声を上げて笑い出す二人。


大将  何だよ、やっぱりまだまだ男じゃねえか。で、どうだったんだよ教えろよ。

背広  いい匂いがして柔らかかったです。

大将  そうかぁいい匂いがして柔らかかったのか……この野郎!


いきなり背広の首を絞める大将。


背広  ちょっ、ちょっとく…苦しいですって!

大将  ああ悪い悪い、余りにも羨ましかったからついな。

背広  ついじゃありませんよ、結構本気で絞めてたでしょ?

大将  こりゃどうもしんづれいしました。

背広  歳がばれますよ古いなぁ。


再び声を上げて笑い出す二人。


背広  久しぶりだなぁこんなに笑ったの。

大将  ああ、久しぶりだ。

背広  大将は何でこの村に来たんです?

大将  えっ?

背広  すいません、過去を詮索しないのが暗黙の了解なのは分かっています。私自身それで随分助けられた。だけどやっぱり私は俗人なんですかね、みんなの事が気になって仕方ない。一体何があってこの村に辿り着いたんだろうって。

大将  そりゃ俺だって気になるよ、特にちびちゃんとかさ。あんなに若いのに何であそこまで生きることに絶望したんだろうってな。

背広  やっぱりちびちゃんもそうだったんですか?

大将  ああ、酷く怯えて誰も近づけなかった。あの子の体中の傷を見て、角刈が自分と同じだから任せてくれってさ。三日三晩付きっきりだった。きっと長い事虐待されていたんだろうなぁ。

背広  虐待ですか…

大将  子供は親を選べないもんな、生まれて来たこと自体不幸だって思っちまっても仕方ねえよ。自分のせいじゃ無いのにな。

背広  辛かったでしょうね

大将  そこいくと俺なんか100%自分のせいだな。大将大将って煽てられてよ、自分には人望があるって勘違いしちまってさ。何でも思い通りにならなきゃ気がすまなかった。よくいる勘違い野郎だな。わがままばっかり言って当り散らして、気が付いた時には周りには誰もいなくなっちまってた。あれだな、やっぱり人間は独りっきりじゃダメになるな。生きていくことが辛くってよぉどうせ独りなんだ、だったら誰も知らないところで誰にも見つからずに死んでやろうってそう思ってさ。

背広  それで山に入ったんですね。

大将  ああ、だけど死ねなくてな。何日も山の中を彷徨って、いい加減体力も底を尽きた時にいい匂いがしてきてさ。

背広  いい匂い?

大将  忘れらんねえなぁ。女の匂いよりもっといい匂いさ、炊き立ての米の匂いよ。

背広  炊き立ての米…ですか。

大将  ああ、可笑しな話だよな。死ぬつもりで山に入ったのに米の匂いに誘われるなんてよ。やっぱり俺は意志が弱いってことだな。

背広  そんな事ないですよ、それだったら私の方がもっと弱い。私は…私は…

大将  別に無理して話さなくてもいいんだぜ。

背広  いえ、話しておきたいんです。私は…ある代議士の秘書をしていました。

大将  何だよ、やっぱりエリートさんか。

背広  エリートなんかじゃないですよ、親父の代から世話になっていた先生のその息子の秘書ですから。

大将  二世議員ってやつだな?

背広  ええ、これがまた絵に描いたようなバカ息子で親の地盤を引き継ぐ器じゃ無かった。長けているのは唯一つ、汚い金を集めることだけ。

大将  政治家なんてみんなそんなもんだろう?

背広  確かに政治には金が掛かる、選挙に臨むだけでも何千万という金が必要ですからね。だから私は、高潔の士であれなどとそんな青臭いことを言うつもりは毛頭ないんです。ただせめて弱者を苦しめる事だけはして欲しくなかった。だってそうでしょ?爪に火を点す様な生活をしながらそれでも真摯に仕事をしている人達の未来を奪って大企業に便宜を計るなんて許される訳がない!

大将  おいおい、あんまり熱くなると血管切れちまうぞ。

背広  ああすいませんつい。…でもそう思いませんか?

大将  確かにそう思うけどよ、いつの時代も損をするのは弱い者だってのはれっきとした事実だぜ。あんた一人が息巻いたって何も変わりはしねえさ。

背広  そうなんです、何も変わりはしないんです。それどころか私はせっせとバカ息子の片棒を担いでいた。その挙句がトカゲの尻尾切りですよ。あのバカ息子は私を自殺に見せかけて殺そうとしたんだ!

大将  火曜サスペンスじゃあるまいし、まさかそんな事。

背広  あるんですよそんな事。それも極々日常的にね。

大将  だったら警察に行けばいいじゃないか、その為に税金払ってたんだろう?

背広  警察っていうのは巨悪には脆いんです。所詮縦社会ですから。

大将  おいおいそんな身も蓋もないことを・・

背広  バカ息子の犯罪を隠すために随分と奔走しましたからね。警察の裏側も嫌になる程みてきました。本当ならそんな奴らを全て白日の下に晒してやるべきなんだ。だけど私は怖かった、ただただ怖くて逃げるようにこの村に辿り着いたんです。

大将  あんた家族は?

背広  妻は五年前に癌で。今となっては幸いですが子供には恵まれませんでした。

大将  そうか…あんたも独りだったんだな。

背広  ええ…独りでした。この村に来て久しぶりに感じることが出来たんです、人とのふれあいってやつを。

大将  ふれあい…か。


明かりが徐々に暗くなり…暗転。
明転すると無人の舞台。鳥のさえずりや木々を揺らす風の音がのどかな森を感じさせ始めた頃、希をおぶった角刈と荷物を持ったちびが登場。ほぼ同時に静も現れる。


静   お帰りなさい…ど、どうしたのその人?

角刈  沢で魚を獲っていたら滑り落ちてきて。

静   えっ?えっ?

角刈  兎に角奥に運びますね。


希を背負いながら舞台袖に消える角刈。しばらくしてお紺の声が聞こえる。


お紺  まあ一体どうしたんだい?さあさあ早くここに寝かせて。

静   ちびちゃん何があったの?

ちび  俺たちが魚を獲っていたら悲鳴が聞こえて、振り向いたらあの人が倒れていた。

静   あの人何でこんな山奥に。

ちび  ハイキングにでも来たんじゃないか?

静   そんな場所じゃないでしょう?

ちび  だけど自殺するような格好じゃ無かったぜ、荷物だってほら。

静   それはそうだけど、でも…


角刈が再び戻ってくる。


角刈  静さん、彼女を着替えさせるから手伝って欲しいってお紺さんが。

静   あ、はい。


急ぎ足で静が退場。
ほぼ同時に大将と背広が戻って来る。


大将  おや、どうした二人して。さては逢引の邪魔をしたかな?

ちび  ふざけた事言ってんなよ。


ドスンっと音を立てて手にした荷物を大将の腹に押し付けるちび。


大将  ぐふっ…

ちび  獲り損ねた魚獲ってくる。


ちびはそのまま駆け出し退場する。


大将  ほぉぉぉ

背広  大丈夫ですか?

大将  なぁにこんなの屁でもな…くぅぅ。

背広  この荷物は?

角刈  実は女の人が…

大将  女だぁ?

角刈  ええ、沢で魚を獲っていたら悲鳴が聞こえて。

背広  悲鳴?

角刈  はい、それで振り向いたら女の人が倒れていて。多分足を滑らせたんじゃないかと。

背広  じゃあこれはその人の荷物ですか?

角刈  そうですね。

大将  若いのか?

角刈  えっ?

大将  だから、その女は若いのか?

角刈  ええ、まあ。

大将  そうかぁ…で可愛いのか?

角刈  はっ?

大将  だからその若い女の子は可愛いのか?ブサイクなのか?

角刈  ブサイクでは無いと思いますけど。

背広  可愛いじゃないですか、この子でしょ?


背広は荷物の中からスマホを取り出し待ち受けの写真を見せる。


角刈  あっダメですよ勝手に!

大将  どれどれどれどれ、ん~微妙…


角刈は慌ててスマホと荷物を取り返す。


大将  何だよ固い事言うなよ。

角刈  人としておかしいでしょう?勝手に他人の荷物を漁るなんて。

背広  どうもすいません。

大将  はいはい、どうもすいませんでした。

角刈  思ってないでしょ?

大将  あっ?

角刈  悪い事したと思ってないでしょ?

大将  思ってるってぇ。

角刈  まあいいですけどね。

背広  でもその人は何だってこんなところに?

大将  そ、そうだよ。沢に滑り落ちたって事はケモノ道を通ってきたんだろ?

角刈  沢に抜ける隧道は柵がしてありますからね。

背広  そんな荷物を持って来てるってことは自殺じゃ無いですよね?

角刈  ええ、ハイキングに来たような格好でした。

大将  ハイキングってあなた、ハイキングって。

背広  ハイキングでわざわざケモノ道を?

角刈  おかしいですよね…

大将  おかしいよ~

背広  彼女が何の為にここに来たのか、調べる必要はあるんじゃないですか?

角刈  確かにそうかもしれませんけど…


お紺と静が話しながら登場する。


お紺  取り敢えずはあれで大丈夫じゃないかね。

静   ええ、怪我も大したことないですし、寝息も安らかでしたから。

お紺  おやおや、みんなお揃いで。あら?ちびはどうしたかね?

角刈  魚を獲りに戻りました。

お紺  それはまあご苦労なこって、感謝しなくちゃね。

大将  そうだ、お紺さんに決めてもらえばいいじゃねえか。

お紺  決めるって何をだい?

背広  これその女の人の荷物なんですけど、彼女が何でここに来たのかその手掛かりが掴めるんじゃないかと思いまして。

お紺  手掛かり?

大将  だからさ、この荷物を調べれば彼女が何者か分かるんじゃねえかなって。

お紺  人様の荷物を勝手にいじくりまわしていいわけないだろう?

角刈  ほら、やっぱり。ねえそうですよね。

お紺  当たり前じゃないか、何馬鹿な事言ってるんだい。

大将  まあそう言うだろうとは思ってたけどよ。

お紺  あの子が気が付いた時に、何でここに来たのか話したければ話すだろうさ。

背広  話したくなければ?

お紺  話したくないものを無理に聞くこともないだろうよ。

静   お紺さんらしいですね。

お紺  そうかね?極々当たり前な事だと思うけどね。静さん、その荷物預かってあの子の枕元に置いといておあげ。

静   はい分かりました。


静は荷物を受け取り退場する。


お紺  ちびは大丈夫かねえ?角刈さんちょっと見てきておあげよ。

角刈  心配は無いと思いますけど、いってきます。

お紺  すまないね、よろしくね。

角刈  はい。

お紺  さてさて、せっかくちびが魚を獲ってきてくれるんだから美味しいご飯を炊かなくちゃね。さぁあんた達も手伝っておくれ。

大将  ほぉい。


お紺に着いて奥に消えようとする大将の腕を背広が掴んで止める。


背広  さっきのスマホですけど。

大将  あ?

背広  通知が出版社ばかりでした。

大将  よく見てんなあお前。

背広  もしかしたら私を探しに来たんでしょうか?

大将  考え過ぎだよ、そんなに心配することないって。

背広  思い過ごしならいいんですけど・・・

大将  過ごし過ごし、思い過ごしだよ。


さっさと歩き出す大将の後を背広はゆっくりと追いかけ退場。暫くして静が登場し、皆が去った方と逆に歩き出す。その手には先ほどの携帯が握られている。木陰に身を隠すようにして静はスマホを調べている様だ。


ちび  あぁ腹減った。あっ静さん魚獲ってきた、早く飯にしてくれ。

角刈  やっぱり心配すること無かったですよ。


ちびと角刈が登場。


静   お、お帰りなさい。直ぐにご飯にしますからね。


ちびから魚の入った麻袋を受け取りそそくさと奥に消える静。


ちび  何か変な感じ。

角刈  だな。

ちび  あ、ダメだ。腹が減って動けない。


ちびは角刈の背中にもたれかかる様に身を預ける。


角刈  おいおい、ちゃんと立てよ。

ちび  活動限界です、ちびはもう動けません。

角刈  ふざけるなこら!


角刈が身をかわすとちびはそのままばたりと倒れ込んでしまう。


角刈  先に行っているからな。


倒れたままのちびを残し角刈退場。


ちび  ちびはもう動けません・・・な訳無いか。ああ腹減った飯飯~


ぴょこんと立ち上がり角刈の後を追うようにちび退場。無人の舞台に木々を揺らす風の音だけが流れている。何時しか風の音は単音符へと変わりあの子守唄が聞こえだす。


三日月弓張り望月過ぎて

今宵の月は十六夜の 

焦らし昇らぬ躊躇い月よ

よゐこは待たずに寝んねしな

ほーほーほーやれ ほーやれほー

立待居待寝待がゆけば

下に弓張るお月様 

やがて隠れる下弦の月よ

よゐこは揺られて寝んねしな

ほーほーほーやれ ほーやれほー


子守唄の調べと共にゆっくりとした時が過ぎてゆく。やがて大将と背広、やや遅れて角刈とちびが登場。


大将  いやあ美味かったな、つい食い過ぎちまった。

ちび  つい?いつもだろ?

大将  まあそうだけどよ、ちびちゃんだってがたいの割には良く食うよな。

ちび  エネルギーの使い方が違うよ。

大将  何だよ、まるで俺がサボっているみたいじゃねえか。

ちび  違うのか?

大将  はあ?

背広  まあまあ、ちびちゃんだって悪気は無いんですから。

大将  悪気しか感じねえぞ!

ちび  何を怒っているのかさっぱり分からない。

角刈  お前はもう少し口の利き方を勉強しないとな。

ちび  俺何か変な事言ったか?

背広  ね、悪気は無いんですよ。ちょっと不器用なだけですって。

大将  まあ分かっているけどよ。

ちび  俺は不器用なんかじゃ無いぞ。

角刈  よし、食後の運動に少し走るか。隧道の柵とか見てきますよ。


角刈はちびの背中を押し共に走りながら退場。


大将  ご苦労様で~す。しかし角刈も世話好きだよな。

背広  俺と同じだって言ってたんですよね?

大将  あっ?

背広  だから、ちびちゃんの事。俺と同じだって。

大将  ああ、だけどちょっぴり違うみてえだな。

背広  ちょっぴり違う?

大将  ちびちゃんはどう見たって親からの虐待だろうけどよ、角刈は同僚からのイジメだ。

背広  イジメ?

大将  ああ、ムジナが酒を持って来てくれた時に酷く酔っ払ってよ、そん時に一度だけ聞いたことがある。

背広  ムジナが酒を持ってきた?

大将  おおよ、ありがたいこった。また持って来てくれねえかなぁ。

背広  ムジナっていわゆる狸でしょ?

大将  狸じゃねえよ、お前ぶっ飛ばされちまうぞ。

背広  いや、厳密には違うらしいですけど、でも同じケモノでしょ?

大将  まあ、ケモノには違いねえな。危険な香りぷんぷんだもの。

ムジナ 危険な香りがどうしたって?


声に続きムジナが登場。


大将  あっムジナ!さん。

背広  えっ?えっ?

ムジナ はぁ…また増えてる、まったくもう!

大将  ひ、久しぶりだなムジナ、さん。

背広  この人がムジナ?

ムジナ 初めまして、だよね。それで、あんたは一体何だってこんな処に来たのさ。

背広  はい?

ムジナ だからさ、一体何をやらかして逃げて来たんだよ。

背広  そ、それは…

大将  まあまあ、そんなことはどうだっていいじゃないか。お紺さんだって余計な詮索はするなって。

ムジナ あんた馬鹿じゃないの?もしこいつが殺人犯だったらどうするのさ。

背広  殺人なんてそんな滅相もない。

大将  そうだよ、そんな度胸あるやつには見えねぇだろ?

ムジナ つくづく馬鹿だね、私は人殺しで御座います、なんて看板掲げて歩いている奴なんていやしないよ。本当に悪いやつはさ、すました顔をしてさり気なく日常に溶け込んでいるんだ。もっとも、そこまで悪いやつらはこんなところに逃げ込んでは来ないだろうけどね。だからこそ中途半端な悪党が一番やっかいなんだよ。それに、その金運の無さそうな顔は確か何処かで…


背広はびくりとして背中を向ける。


大将  き、気のせいじゃねえか?まあ良くある顔だからよ。

ムジナ あんたら何か隠してんだろう?


繁々と背広を見つめるムジナの背中越しに静が登場し声をかける。


静   あらムジナさん!噂をすればなんとやらですね。

ムジナ あら静ちゃん久しぶり。どうせ悪い噂話してたんでしょ?


大将と背広はほっと胸を撫で下ろす。


静   そんな事無いですよ、あっお食事は?お腹空いていませんか?

ムジナ あらありがとう。そうねぇ静ちゃんの男は胃袋を掴めば勝ちって感じのお料理いただこうかな。

静   えっ?

ムジナ イメージよイメージ。気にしないでね。

大将  あ、俺達は畑に行かないと、な?

背広  え、ええ行かないと。

大将  そんじゃムジナ、さんまた後で。


二人はそそくさと退場する。


ムジナ ふーん、やっぱり何かあるな。

静   どうかしたんですか?

ムジナ 面倒くせえなあまったく。

静   えっ?


ムジナ あ、いいのいいの。来るたびに人が増えてるからさ、ちょっとびっくりしただけ。あの婆何を考えているんだか。


角刈とちびが荷物を抱えて登場する。


角刈  ムジナさん隧道に置いてあった荷物取ってきましたよ。

ムジナ あらありがとう。途中ですれ違って丁度良かった。

ちび  俺たちはあんたのつかいっぱしりじゃねえぞ。

角刈  ちび!

ムジナ へえー随分元気になったじゃない。膝を抱えて泣く事しか出来なかったくせに。

ちび  なんだと!

角刈  こら、やめろって!

ムジナ おお怖い。角刈、ちゃんと私を守ってね。

ちび  ムジナ!

角刈  何だよ、おかしいぞお前。


角刈の背中に寄り添うムジナにちびは掴み掛ろうとするが、阻まれて手が出せない。


ムジナ はははっそうか、そうゆう事かあはははははっ。

お紺  何だか随分騒々しいね、けが人が寝ているっていうのに。


声と同時にお紺が登場。


お紺  おやムジナじゃないか、何処かでくたばっちまったと思っていたよ。

ムジナ それはこっちの台詞さ、性懲りもなく長生きしてんな婆。

お紺  お蔭様でね。あっ静さん、あの子が大分寝汗をかいているからまた着替え手伝ってもらえるかね?

静   はい分かりました。あっムジナさん、すぐご飯の支度しますからね。


静はお紺の後を追うように退場。


ムジナ あの子って誰?着替えって何よ?

角刈  今朝、魚を獲りに沢に行ったら女の人が倒れていて。

ムジナ 女?また自殺未遂か…死ぬならちゃんと死ねっていうのに。まったくどいつもこいつも。

角刈  何かすいません。でも自殺じゃないみたいです。

ムジナ は?自殺じゃ無い?

角刈  ええ、ハイキングにでも来て足を滑らせたみたいで。

ムジナ こんな処にハイキング?馬鹿じゃねえかその女。わざわざケモノ道を通って来たってことだろ?

角刈  そう、なりますね。

ムジナ はぁぁ面倒くさいにも程があるよ。何で放っておかなかったのさ!

ちび  あんたみたいなひとでなしじゃ無いからね。

ムジナ 何にも分かってないね。一度人生を捨てた人間がきまぐれで人助けをしたところで、この先困るのはあんたらだよちび。


風がひとしきり強く吹き、舞台は徐々に暗くなっていく。三人の姿が闇に包まれると片隅に浮かび上がるお紺と静。布団に横たわる希を着替えさせている。


お紺  さあそれじゃそっちを持っておくれ。

静   はい。

希   ん、うぅん…

お紺  おや、気が付いたかね。

希   はっ!えっ?何?えっ?…あぁ痛っ…

お紺  ほらほら無理しちゃいけないよ、傷口が開いちまうじゃないか。

希   あの…私…

静   足を滑らせたみたいですよ。

希   足を?


ぐぅぅぅと希の腹の虫がなる。


希   あっ…

お紺  おやおや、元気そうで安心したよ。静さん何か食べさせておあげ。

静   ええ、丁度ムジナさんにも作るつもりでしたから。

希   すいません、ありがとうございます。

お紺  いいよいいよ、たくさん食べて早く良くなっておくれ。

静   じゃあすぐ支度しますからね。

希   あ、手伝いますっ…痛っ…

お紺  いいからあんたはおとなしく寝てなって。

希   何から何までありがとうございます。


風が木々を揺らすと共に三人の姿は闇に包まれていく。舞台の逆側がぼんやりと明るくなり、大将と背広が浮かび上がる。背広は手拭いを頭に巻き、眼帯の様に片目を隠している。


背広  本当にこんなんで大丈夫ですかね?

大将  大丈夫大丈夫、心配すんなって。

背広  心配ですよ、対して隠せていないし。

大将  ムジナだってかま掛けてるだけだって。あんたの事なんて知っちゃいないよ。

背広  そうでしょうか?

大将  さっきの話もそうだけどさ、あんた被害妄想が強すぎないか?

背広  さっきの話?

大将  ほら、自殺に見せかけて殺されるとか、警察も当てにはならないとかさ。いくらなんでも警察関係者に失礼でしょう。

背広  いや、それは本当なんですって!


二人が舞台中央に辿り着くのに合わせ明かりも戻っていく。舞台上にはピリピリとした感じのムジナとちび、そして角刈がいる。


大将  ただいま~おや?おやおや?何だかただならぬ気配。

角刈  お帰りなさい。あれ、どうしたんですかそれ?

背広  いやあ畑で蜂に刺されちゃって。

角刈  大丈夫ですか?ちょっと見せてください。

大将  大丈夫大丈夫、ちゃんとしょんべんひっかけたからよ。

角刈  ええ!顔にですか?

背広  うん、うんうん。

ムジナ それでカモフラージュのつもりかね、あきれたもんだ。


ムジナは背広の手拭いを剥ぎ取り繁々と見つめる。


背広  な、何をするんですか。

ムジナ ああ、思い出した!

背広  ええ~っ!

大将  ま、まじかぁ~

背広  大将~

大将  悪い、大丈夫だと思ったんだけど…

ムジナ 贈収賄の金を持ち逃げした秘書だ!

大将  なんですとぉ!お前金の事なんて一言も!

背広  ち、違う!私は持ち逃げなんかしていない!

角刈  だからあんなに気にしていたんですか彼女の事?

背広  え?いや違う、私が気にしていたのはそ、そうじゃなくて。

ムジナ どうでもいいよそんな事。それよりあんた金は何処に隠したんだい?

背広  だから、私は金なんて持っていないって!

ムジナ ふ~んそうなんだ。巷じゃえらい噂だよ、消えた秘書と3億の裏金ってさ。

大将  さ、3億!

背広  そんな…3億もの金あいつが私に任せる訳ないじゃないですか!毎日毎日バカ息子の尻拭いをして、挙句の果てにトカゲの尻尾切りで…怖くて、こ怖くて…

ムジナ それにしちゃ随分とお気楽な顔をしているじゃないか。

背広  お気楽だなんて…

ムジナ ここにも色んな奴が来たけれどもね、あんたにはどこか余裕があるんだよ。切り札を隠しているような余裕がさ。

背広  そんなものがあるんだったら私はこんな処に居やしない…

ムジナ ふ~ん、こんな処ねぇ。

ちび  もうやめろよ、怯えてるじゃないか!

ムジナ おや、正義の味方のつもりかい?弱っちいくせに笑わせるね。

ちび  俺は弱くない!

ムジナ だったらさっさと山を下りな。本当に強くなったんなら、自分を傷つけた親をボコボコにしてやりなよ。

ちび  なんだと!

ムジナ 本当はまだ怖いんだろう?自分の過去と向き合うのが、汚れちまった自分を認めるのがさ。

角刈  ムジナさんやめてください。

ムジナ ふん、角刈がいくら守ったっておちびちゃんはもう戻れないんだ。天使のようなあの頃の自分にはね。


舞台がやや暗くなり男の声が木霊する。

『お前は父さんの天使だから。天使天使天使天使だからだからだから』


ちび  天使…天使…やめろ、やめろぉ!


叫びながらガタガタと震えだすちび。


角刈  ちび…大丈夫だ、大丈夫だから…


角刈は包み込むようにちびをぎゅっと抱きしめる。ほぼ同時に静が登場。


静   ムジナさんご飯の支度が…どうかしたんですか?

ムジナ ちっ!弱い奴らは弱いまんまか。あんたの事も後でしっかり聞かせてもらうからね、ああ静ちゃんお腹ぺこぺこ~


ムジナは静の手を引っ張りながら揃って退場する。


ちび  角刈…俺…本当に…強…くなれるかな…

角刈  なれるさ。きっと、きっとなれる。


角刈がちびを励ます横で、うな垂れ震える背広の肩を大将がグッと掴みながら何度も大丈夫だと繰り返す。風が強く木々を揺らし……暗転。

明かりで区切られた空間にお紺、静、希の姿。どうやら食事を終えた様子である。


希   どうもご馳走様でした、凄く美味しかったです。

静   そう言ってもらえると作った甲斐があります。

お紺  しかしよく食べたね、これならすぐ元気になるよ。

希   少し傷が痛むだけで本当にもう大丈夫ですから。


いつの間にかムジナが登場している。


ムジナ それで、あんたは何だってこんなところに?

お紺  そんな事どうでもいいじゃないか、まだ気が付いたばかりなんだよ。

ムジナ どうでもよくないねえ、これは大事なことなんだよ婆。

静   ムジナさん!

ムジナ 何さ、静ちゃんだって聞きたいんだろう?もういい子振るのはやめなよ、バレバレなんだからさ。

静   いい子振る?

ムジナ ああそうさ。本当はぐちゃぐちゃのドロドロなんだろ?あんたの中身は。

静   そ、そんな事!


ムジナ 気になって気になって仕方ない癖に。知りたいんだろう?こいつが何者なのか?

希   あっ!私フリーのライターなんです。

お紺  おやそうかい。

希   とは言ってもまったく売れてないんですけどね。

静   だから出版社…

希   はい?

静   いえ、何でも…

ムジナ それで、そのライターさんが一体何の目的で?

お紺  いい加減におしよムジナ。あんた無理に話すことは無いんだよ。

希   あ、私は全然大丈夫です。むしろ少し語っちゃいますけどいいですか?

ムジナ 手短にね。

希   はい、出来るだけ。実は私子供の頃に父が蒸発したんです。

お紺  おやまあ、大変だったねえ。

希   いえ、大変だったのは母です。小さな町工場だったんですけど、父がいなくなってから夜も寝ずに働いていました。それでも結局手離さなければいけなくなっちゃって。工場を引き渡す朝、母は私の手を握りながら「お父さんの大切な秘密基地守れなくってごめんね」って泣いたんです。可笑しいですよね、自分たちを棄てた父に謝るなんて。

ムジナ 手短に!

希   あっはい。それで、え~とフリーライターになっても全然仕事が無くって、もう休みばっかりで、それである日趣味のハイキングで廃村に迷い込んで。

お紺  そうかいハイキングが趣味なのかい。

ムジナ 婆うるせえ!

希   そ、それで、その廃村の景色とあの朝の工場が見事に重ねって、私はこれを伝えなきゃいけないって思ったんです。

ムジナ で?

希   えっ?

ムジナ それで何でここに来たのさ!

希   だって町役場の人にここは廃村だって聞いたから。まさか住んでいる人がいるなんて。あっでもある意味ラッキーですよね?誰もいなかったら私死んじゃっていたかも。

ムジナ おかしいねぇ。隧道も塞がっているんだ、役場の奴らは止めたはずだよ。

希   ええ、止められました。

お紺  おやおや、それでも来ちまったのかい?無茶するねえ。

希   だって、これは私の使命なんです。私が伝えなければ廃村は朽ちて行くだけだもの。

静   それだけ?

希   はい?

静   本当にそれだけなんですか?

希   ええ、それだけですけど。

お紺  静さんどうかしたかい?

ムジナ 自分を探しに来たんじゃないかって怯えているんだろ?あの秘書の様に。

静   私を?

ムジナ 外であんたが何をしたのかなんて私は知らないよ。たださ、いい子振ってるあんたの影に、見えるんだよねチラチラと。薄汚い女の情念がさ。まあ私には関係ないし、あんたがこの村を売る様な事もないだろうから別にいいんだけどね。だけどもしあんたを追ってくる奴がいるんだったら話は別さ。そん時はちゃんと自分でかたをつけるんだよ。

お紺  ムジナあんた何様のつもりだい!

静   私を探しに…

ムジナ おや、話す気になった?

お紺  静さん何も話すことないよ。

静   私を追ってくる人なんて…ふふっふふふふっ…あっははははっ…いません…誰も、誰もいないんです。みんな私の前から去っていく、ただ愛されたいだけなのに、必要とされたいだけなのに、料理も化粧も髪型も何を変えても盗られちゃう…他の誰かにいつもいつも…あなたもそうなの?私からみんな盗っていくの?私をここから追い出すの?私を私を私を!

お紺  静さん…いいんだよ好きなだけここに居て。森の孤独は悪いもんじゃない。自然と対話することさえ覚えればいいんだから。だけれど街の孤独は猛毒さ、その身も心もみるみる内に侵されちまう。辛かったんだね、なぁに心配しなくても誰も何も盗りはしないさ。

ムジナ 何だか芝居くさいなぁ、そのお嬢ちゃんも静さんもさ。

お紺  お前は一体何がしたいんだいムジナ。

ムジナ 何も。ただ仕事でへた打った時の隠れ場所を失くしたくないだけさ。

お紺  そんなの此処じゃ無くたっていいだろう、この村の事はもう放っておいておくれ。

ムジナ 新しい隠れ家探すにも時間がかかるんだよ婆。

希   あのぉ…隠れ家って一体…

ムジナ あんたには関係のない話だね。それにしてもあんた、沢に転げ落ちたにしては随分軽い怪我ですんでいるじゃないか。

希   ええ、ラッキーでした。

ムジナ 怪しすぎるよ、本当は何が目的なんだい?

希   だから、朽ち行く廃村の声を届ける為に。

ムジナ 食えないね、あんた。

希   脂身多すぎますから。

ムジナ ふん、婆いよいよこの村も潮時かもしれねえな。


くるりと背を向け明かりの外へ消えるムジナ。


希   何だか怒らせちゃいましたかね?

お紺  潮時…か。


お紺の呟きと共に明かりは狭まり、暗闇の中に歪な月が浮かび上がる。
ひとしきり風が木々を揺らすと、舞台中央にゆらゆらと燃え上がる焔。
その周りには村人とムジナが車座になっている。


ムジナ じゃあ本当に金の事は知らないんだね?

背広  ええ、本当に知りません。

ムジナ だったら早いとこ帰りな。代議士先生は逮捕されて檻の中だ、もうあんたに手は出せないよ。

背広  でも仲間の連中が…


ムジナ そんなの警察がちゃんと保護してくれるだろうさ。

背広  だから警察は!

ムジナ あん?

背広  いえ、何でもありません。

大将  ムジナさんよ、こいつもやっと此処の生活に慣れて来たんだ。そんな追い出すような真似しなくってもよう、金の事だって誤解なんだし。

ムジナ 誤解だなんてどうして分かるのさ、こいつがそう言っているだけじゃないか。3億の金だ、普通の人間だって十分狂う。あんただって喉から手が出るくらい欲しいだろう?

大将  金で寂しさは埋まらねえ。

ムジナ 負け犬の遠吠えだね。あんたがもし大金を掴んでいたら一人になることも無かったんだよ。それぐらいの事おちびちゃんだって分かるよな?

ちび  俺は…金なんかいらない。

ムジナ ああそうだったごめんごめん、ちびちゃんが欲しいのは角刈の愛だったね。

角刈  何言っているんですかムジナさん。

ムジナ とぼけるなよ角刈。あんただって気づいているんだろう?

角刈  そ、それは…

ムジナ だったらちゃんと答えてあげなきゃ、自分はゲイだって言っておやりよ。

角刈  ムジナさん!

大将  ゲ、ゲイってお前…

ちび  本当なの角刈?

角刈  俺は…

ちび  そうか…別にそんなのどうでもいいけど…そうか,

角刈  ちび


差し出す角刈の手を払う様にちびは後ずさり暗闇の中に走り出す。


角刈  ちび、ちびぃ!


その背中を追うように走り出す角刈。
入れ違いにお紺、静、希が登場。


お紺  この子が皆にお礼を言いたいってさ。

希   皆さん本当にありがとうございました。

大将  ムジナさんよ、あんた好き勝手やりすぎじゃねえか?

静   何かあったんですか?

ムジナ 別に、角刈がゲイだって事をちびちゃんに教えてあげただけだよ。

お紺  何だってそんなことを!

ムジナ 遅かれ早かれ分かることさ、だったら早い方がいいと思ってね。

静   角刈さんゲイだったんですか…

ムジナ そこ?静さんあんたやっぱり相当な珠だね。

お紺  それでちびは、ちびはどうしたんだい?

大将  ああ、今角刈が追いかけて…

ムジナ 取り乱しちまって可愛いもんさ。


お紺はムジナの頬を強く叩く。


お紺  あんたがどう思っているか知らないけどね、大切なのは場所じゃ無い、仲間なんだよ。寄り添い助け合える仲間なんだよ。

ムジナ 痛っ…笑わせるなよ婆、過去を隠して本当の自分も見せずに何が仲間だ。そんなのはただのお飯事じゃねえか。此処にいるやつらはみんなそうだ、自分だけが悲劇の主人公だと思ってやがる。ちゃんちゃら可笑しいね。あの月を見てごらんよ、歪なくせに凛として空にある。この世の中完璧な人生を歩んでいる奴なんか一人もいやしないさ。誰だって何処かが欠けて躊躇いながらも空に昇ろうと足掻いているんだ。

静   私そんなに強くないから…

ムジナ ああ分かっているよ。だから本当の自分を隠すんだろ?汚いところをみせたくないんだろ?

お紺  随分とご立派な事を言っているけれどあんたはどうなんだいムジナ、あんたは凛として空にあるのかい?

ムジナ さあな、ただ少なくとも自分が欠けていることは自覚しているよ。汚い自分をちゃんとね。ああ~もう面倒くせえ、どうでもいいや酒でも飲んで休ませてもらうよ。


退場するムジナの背中を見つめながら


希   ん~本当の自分をさらけ出して生きている人なんて少ないんじゃないかなぁ。ねっそう思いません?

背広  えっ?ええそう思います。あのぉ何処かでお会いしましたっけ?

希   ええ、今ここで。

静   ムジナさんの言う事は正しいのかもしれないけれど、やっぱり私は必要とされたい。もう独りぼっちにはなりたくないんです…

大将  独りぼっちは…辛いよな。大丈夫、静さんは十分必要とされているよ。少なくともおいらはそう思っている。

静   私が…必要?

大将  ああ必要だ。


角刈が転んで怪我をしたちびを背負い戻って来る。その背中で激しく暴れるちび。


ちび  降ろせ、降ろせよ角刈。


皆が口々に、角刈、ちびちゃんなどと声を掛ける中、角刈はちびを背負いながら。


角刈  俺は男が好きだ!だけど愛とか恋とかじゃ無く人としてお前が大好きだ。


激しく暴れていたちびの動きが止まる。


角刈  お前の辛さや悲しみを俺も一緒に感じていたいんだ。いつか二人で心の底から笑える日まで俺はお前を守りたいんだ。だからお前が嫌だと言っても俺はずっとお前の傍にいる。分かったか?分かったのか?

ちび  もう…隠し事はしないよな?

角刈  ああ、もう何も隠さない。

ちび  …分かったから…降ろせ。


角刈はゆっくりとちびを降ろす。


ちび  痛っ!

お紺  大丈夫かい?心配したよちび。

ちび  ごめんなさい。

角刈  折れてはいないと思うけどすぐ冷やさないと。

静   あ、私タオル濡らしてきます。

大将  おおそうだ、井戸水汲まなきゃな。


大将と静が揃って退場。


希   あの、お二人が運んでくださったんですよね?ありがとうございました。

角刈  いえ、もう大丈夫なんですか?

希   はい、おかげさまで。

ちび  良かったな大したことなくて。

希   本当にラッキーでした。探し物も見つかったし。

ちび  探し物?

希   いえ、なんでもないです。

背広  か、角刈さん。

角刈  はい?

背広  あなた男です。感動しました。

角刈  えっ?

背広  やっぱり私も勇気を出さなければ。

お紺  もしかして山を下りるのかい?

背広  ええ、汚職に関わった事は事実ですからね、ちゃんと罪を償おうと思います。

お紺  大丈夫かい?しんどくないかい?

背広  本音は怖いですですけど、でもそれでも。

お紺  そうかい、うんうん。まああんたが決めたんならそうすりゃいいさ。


大将と静が桶とタオルを持って戻って来る。


大将  さあちびちゃん持って来たぜ。初めての共同作業だ。

ちび  何浮かれてんだよ気持ち悪い。

背広  大将、色々お世話になりましたが私は山を下りることに決めました。

大将  えっ?何だって急に。

背広  角刈さんの心の叫びを聞いて思ったんです。私も心の底から笑ってみたいって。そのためにはいつまでも逃げていちゃいけないって。

大将  何言ってんだよ、今朝二人して大笑いしたじゃねえか。ここでだって笑うことは出来るだろう?

静   山を下りたら辛い事の方が多いんじゃないですか?

背広  きっとそうだと思います。でも私もムジナさんの言う様に凛として空に昇る為に足掻いてみようかと…

希   凛として空にねぇ。

大将  だけどどうやって生活するんだよ?ここみたいに自給自足って訳にはいかねえんだぜ?

背広  暫くは警察のご厄介になるでしょうし、その後はまぁなる様になりますよ。

大将  随分と楽観的だな、お前そんなやつだったっけ?

希   楽観的でもいいじゃないですか。私は此処の暮らしの事はよく知りませんけど、でもやっぱり何か不自由ですよね?皆さん何処かで無理してはいないんですか?

ちび  不自由なんかしていないさ、むしろ自由に駆け回れる。

希   それは好きな人と一緒にいるからじゃないのかな?二人でいられるならここじゃなくても大丈夫なんじゃない?

静   それは違うと思う、山を下りたら周りには沢山の人がいるのよ?たくさんの人が私の幸せを奪おうとする。私だけを見てくれることなんて絶対に無い!

大将  し、静さん大丈夫かい?

静   大将だってそうでしょ?ここでは私が必要でも、山を下りればきっと他の人が良くなるに決まっているもの。

大将  そんな事は無えよ、だって俺は知っているもの。独りぼっちの辛さを、静さんの心の痛みをさ。

希   角刈さんだって同じでしょ?山を下りたってずっと彼女の傍にいるんですよね?

角刈  えっ?ええそのつもりです。だけど…

希   やっぱり怖いんですか?だったら取り敢えず4人で暮らしてみればいいじゃないですか。気の合う仲間同士なんでしょ?

角刈  4人で?…みんなと一緒、か。

静   ああそれならお紺さんも一緒に!

お紺  婆には今更街はしんどいよ。元々世捨て人の様に暮らしていたんだからね。あんた達が来てくれて随分と生活が楽になったけれど、なあに一人になってもまた元に戻るだけさ。それにあんた達が万が一辛さに耐えられなくなった時に、この村がなくちゃ困るだろう?だから婆の事は気にせず、山を下りたければ下りればいいのさ。

大将  でもやっぱり先立つものが無ければ生活が出来ねえだろ。

お紺  あんた達が本当にやり直したいんなら、少しばかりの餞別をおくるよ。

一同  えっ?

お紺  こんな山奥に金は必要ないからね。その代わりと言ってはなんだけど、十六夜の月を見たら婆の事を思い出しておくれ。ついでにムジナの事もちょっとだけね。それと、あんた達は欠けているからこそ人にやさしく出来るんだって事を忘れないでおくれよ。


村人が口々に「お紺さん」と呟く中、明かりが絞り込まれていき、風の音や木々のざわめきにまじりあの子守唄のメロディが聞こえてくる。

次第に大きくなるメロディが突然消え舞台にスポットが当たるとそこに居るのは帰り支度をした背広と希である。


背広  もう少し休んでいかなくて大丈夫だったんですか?

希   すっかり元気ですから。それに帰り道は二人の方が楽しいじゃないですか。

背広  ええまぁ…でも角刈さんたちと一緒の方が安心だったんじゃないですか?

希   そんな野暮なこと出来ませんよ。あっ!もしかして私と一緒じゃ嫌でした?

背広  いえいえ、そんなことはありませんよ。(しばらく無言で歩き)ああ!しまった、私忘れ物をしてしまいました。この先を右に行けば隧道に出ますから、大丈夫ですよね?

希   一緒に戻りましょうか?

背広  とんでもない、それには及びませんから。どうぞお気を付けて。

希   はい。それじゃ背広さんも気を付けてくださいね。

背広  ありがとうございます。


希を見送った背広は暫くウロウロし、やがて地面からゴソゴソと鞄を取り出す。
それを待っていたかの様に背後から声がする。


希   へえ〜そんな所にあったんだぁ、見~つけた。


雷鳴の様なSEと照明の中、背広の頭に大きな石が振り下ろされ、背広の叫び声と希の笑い声が木々を揺らして…暗転。

明転するとのどかな森の朝。まるでオープニングに戻った様である。
だがそこに村人の姿は無く、お紺がただ一人洗濯物を干している。
暫くしてムジナが登場。


お紺  おや、お目覚めかい。

ムジナ とっくに起きていたよ。

お紺  そうかい。

ムジナ みんな行っちまったね。

お紺  そうだねぇ。これで三度目かい?

ムジナ うん、三度目。

お紺  もう最後かね?

ムジナ こんなご時世だ、きっとまたあるよ。

お紺  あ、そうそうあんたが隠していたお金また少しだけ拝借させてもらったよ。

ムジナ な、何だと婆!

お紺  だって仕方ないじゃないか、一文無しで送り出すわけにはいかないだろう?それにあんたが散々けしかけたお陰で、婆はまた一人で畑仕事をしなけりゃいけないんだから、ギブアンドテイクさ。

ムジナ 使い方がおかしいだろう!私のテイクは?テイクは何処にあるんだよ!

お紺  それはあんた、静かな隠れ家が戻って来たって事さ。

ムジナ ちっ!まったくキツネにたぶらかされた気分だよ。

お紺  ムジナがキツネにかい?可笑しいねえ。


お紺の笑い声を風が運び、木々を揺らしていく。ひとしきりのどかな風景と時間を感じさせながら…暗転。       終劇



最後までお付き合いいただきありがとうございました😭😭😭

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