2021年2月17日 7時20分 動物たちにとって、一つの節目となるであろうこの豪雪の季節に、僕は山に入る。今年既に5回目だ。時間は少し遅い。寝坊した。冬だし動物がみたいのでゆっくり登ることにする。 小樽にある小さな山だ。 10時32分 狙いの生き物だったエゾユキウサギには、残念ながら会う事ができなかった。足跡の追い方は、少しづつ掴んできている。9時前ごろにキタキツネを発見したが、すごい勢いで逃げていった。森に潜む山の個体だ、ここのキツネはみな警戒心が強い。 山の中で
ついに、 待ちに待ったその時がやってきた。 蛹化の瞬間だ。 この瞬間を見るために、 26時間も待った。 彼らにとって大切な節目となるその時に、 立ち合わせてもらった。 26時間待ったというのに、 脱ぎ始めてから、 完全に脱げるまでのその時間は、 たったの5分40秒。 よく見ると、 緑色の体の奥底には、 血管の揺らぎが見えてくる。 斑紋のようなものが見え、 線が浮き出る。 そうやって黒い部分が少しづつ大きくなり、 固くなっていくと、次第に蛹は動きを止める。
5月25日 今日はスマホでタイムラプスを撮影してみた。 3齢幼虫たちの、食欲旺盛な様を見て欲しい。 5月28日 3齢まではかろうじて、 オクエゾサイシンにぶら下がっていても大丈夫だったのだけど、4齢の幼虫も多くなってきた。 一匹いっぴきの重さで、オクエゾサイシンを立ててあげることが出来なくなった。 そもそも食べるスピードが早すぎて、一枚あげても、また一枚という感じで、オクエゾサイシンをわざわざ小瓶に挿してあげるのも面倒になってきたので、直置きにした。 彼らの成長
2023年5月17日。 我が家にエゾヒメギフチョウがやって来た。 まだ卵の状態で連れ帰ったはずだったのだけど、 家についたら、なんと産まれていた。 一応産まれてくる瞬間が見たかったのだけど、野外で観た殆どのエゾヒメギフチョウは、すでに産まれていたので、どうやらそれは来年に持ち越しらしい。 まずどれくらいのスピードで、彼らは蛹になるのだろう?産まれたばかりの幼虫の大きさや色すら知らなかったが、数匹はまだ若干緑色をしていた。 それから数時間経つと、彼らは黒っぽくなった
北海道の人って、 ゴキブリを見たことがないから、 ゴキブリが嫌いな人が少ないらしい。 かくいう僕も、 北海道出身で、 ゴキブリを観たことがなかった。 だからゴキブリにはむしろ会ってみたい、 そんな気持ちがあったのだけど、埼玉に居た時、キッチンに突然現れたゴキブリをみて、「ああ、これは僕も嫌だなぁ」と思った。 (ゴキブリの写真は出てこないので、安心してほしい) ムシが好きな人だって、 突然家にゴキブリが出たら、 流石にびっくりする。 「自分の縄張りに、勝手に入ってきて
ある朝。 夜寝る時にカイロを貼った足に、新しいカイロをつけて、いつものように森を歩くことにした。 生き物を観に行くというよりは、森を歩くことが大学生の頃からのライフワークのようなものになっている。 この森でエゾモモンガをみたのは、 今日で二度目となった。 ぼくが森に入って10分。 木の幹を駆け上る灰色の生き物に出会った。 あたりはまだ明るくなって間もなく、 朝日が斜めに入って、森を照らしていた。 雪の深い森では、自分の足が沈んでしまう。スノシューを履いても、思うよう
一時間半かけて大学に通っていた頃があった。 母方と父方のじいちゃん、 両方が同じ時期に亡くなって、 親が離婚。 父親が大腸ガンで入院。 全て2016年の、 夏から冬にかけての出来事だ。 住むようになったその家は、 僕が小さい頃からよくお世話になっている家。 幼稚園に通う前、毎日のように預けられ、小学校に入ってからも、毎週のように行っていた「ばあちゃんの家」だ。 家族はみんな、この家のことを、 「ばあちゃんち」と呼んでいる。 大学一年生の生活が後半に差し掛かる頃、
三重県のとある小学校で講演会。 11月に、はるばる行ってきました。 今回はそんなお仕事をすこし深掘りしながら、お話ししたいと思います。 あんなにたくさんのギャラリー(小学生たち)の前で話したのは初めてのことでしたが、なんとか形になりました。 僕が子供の頃に聞きたかったことを詰め込んだ、とてもシンプルなものだったけど、良いものをお届けすることができたと信じています。 小学生もたくさん自然のこと、 僕自身のこと、質問を投げかけてくれて、 それに全力で応える時間がとても楽し
最近、小学生の頃を思い出すようにしている。 というのも、11月の終わりに三重県のとある小学校で、講演をさせて頂けることになった。 こんな機会は滅多にないから、本当に嬉しい。 ありがとうございます。 そんなこんなで小学校の頃の記憶を無理矢理呼び起こしてみると、出てくる僕の小学校の頃の思い出… 遅刻して怒られたり 忘れ物をして怒られたり ノートを書くのが遅くて怒られたり 置き勉をして怒られたり(今でも思う。置き勉禁止って、意味わかんないよね。) 先生の話を聞かず
こないだ久々に、 秋の森を歩いていて思ったこと。 僕は小さい頃から自然に触れてきたけど、そもそも触れる前から自然に帰りたかったような感じがする。物心がつく前から、そんな気持ちが根底にあったのだ。 小さな頃、車から見えた田園風景をみて、「田んぼ!田んぼ!」を連呼し、うるさいと親に殴られ怒られたくらいに、謎の自然への執着があった。(田んぼは里山であり、二次的な自然だけど) 何が僕をそうさせたのかは、全くわからない。 もしも「生まれ変わり」というものがこの世にあるのなら、僕は
「北海道出身なのに、寒いの苦手なの?」 バイトを終え着替えていると、 店長に言われた。 「そうなんすよ、むしろ冷え性です。」 なぜ寒いところに住んでいる人の体が、特別にできていると思うのだ。 そんなツッコミをふと思いながら、同時に確かに面白いなと思った。北海道に倭人がやってきて、占領してしまった経緯から考えると、僕の中には寒いところに適応できるような遺伝子は入ってない。 僕の先祖は、どこからきたのだろう。 普段僕は、「北海道出身なんです」を、自分を説明する上で必ず
「僕は今日、思い出すことができました。」 自分を少し誉めるように。僕が意識している事は、神頼みでもじいちゃんにお願いするでもなく、自分のやっている事を、ただ見ていてください、と伝えること。 僕は今日、ばあちゃん家で、仏壇の前に座って、じいちゃんと顔を合わせているつもりだった。8月11日は、祖父の命日でもあり、僕の弟、虎士(タケシ)の誕生日でもある。 なんだかんだで三年間も、関東と北海道を行き来しているが、思えば夏は毎回北海道に逃げている気がする。今年も捉え方によっては逃
僕は最近よく夢を見る。 大切にしていた何かを、ある日突然、 忘れてしまう夢だ。 起きた瞬間には夢の内容を忘れているのだが、 内容が「何かを忘れてしまう」夢だということだけを覚えている。そして、無駄な喪失感に実際苛まれる。 夢の内容を覚えていないのに、何故なのか、「大切にしていた何かを忘れてしまう夢」という所まではわかる。景色はいつも違う。森の中であったり、病院であったり。得体の知れない何かを忘れてしまい、それを思い出そうとするのだが、夢の中で何かをしているうちに、別の夢に