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卯月・夢見る頃

What should I do now? What have I been doing? I love April, I love cherry blossom, but I feel loneliness. No matter what, spring has come.


1.咲いた、そして散った

清里から快適な山道を下ってくると、国道141号線は大きく左にカーブしていた。
左側は谷、右側は山という険しい地形を縫って緩い上り坂を、少し古い年式だったがアウディクワトロはスムーズに駆け上がっていった。
ついに前を走っていたトラックに追いついてしまった。
背の高いパネルバンは少し青葉の見え始めた桜の枝をかすめて、構わず加速していった。その直後、彼女の車のフロントガラスに猛烈な桜の花びらの花吹雪が降ってきた。
美弥子は数日前、満開の千鳥が淵の桜の中を歩いていたことをふと思い出した。

清里へは売れ残りのリゾート物件の現地調査、写真撮影にきていたのだった。
美弥子は就職情報誌などを出版している出版社に事務職として採用されたのだが、入社後7年経った現在、なぜか風前の灯火の“リゾートエステート”という隔月刊誌の編集をやっていた。
この雑誌もバブル真っ盛りのときは社内で飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、一昨年あたりから、いつ廃刊になるか、という売り上げ部数の落ち込みをみせており、昨年ここへ異動してきた吉岡美弥子は言ってみれば、肩たたきされた、という見方もできた。
ところが皮肉なことに人数の少ない部署にきたため、取材からレイアウト、校正までこなさなければならず、かえって色々な仕事を経験ができるため、入社以来でもっとも彼女にとって面白い仕事場となっていた。
とくに、今日のようなのどかな日に、リゾート地に取材にこられるというのはこの上ない幸福だった。

道の左側の、明るい黄色の菜の花が段々畑となっている谷をわたしたワイヤーロープに、無数の鯉のぼりが風になびいていた。長坂鯉のぼり祭り、という看板が国道の脇に立っていた。
フロントガラスに1枚だけハート型の花弁が貼り付いていた。下部の濃い桃色がきれいだった。一瞬、花弁に気を取られていて、前を走るトラックがブレーキを踏んだのに気づくのが遅れて接近してしまった。
ドライブのBGMはセリーヌ・ディオンだった。

ALL BY MYSELF…という歌詞のリフレインが彼女の耳に残った。
(また、この季節がきたんだな…)
漠然とした思いが彼女を支配した。
彼女はステアリングから左手を離すとパーラメントをとり、 火を点けた。


2.マンハッタンと外掘通り

清里の取材の翌日、美弥子が会社のPCを立ち上げると、ニューヨークへ行っている友人から電子メールが入っていた。
”美弥子、日本はとっても景気が悪いみたいだけど、元気? まさか、(お局さまの肩たたき)されてないでしょうね。
私のほうは、子供も6ヶ月過ぎてすこし落ち着いたってところかな? ダンナの仕事も順調になってきたし。
いっときは、キャリアウーマンって呼び方にあこがれて、タイトスカートのスーツでがんばってたんだけど、いまじゃあ、あのころより7キロ太って、オーバーオールのジーンズでママになりきってます。
やっぱり、こういうのが女の幸せなんだぁ、って自分に言い聞かせています。
美弥子はまだまだ、仕事に、恋愛に30代の青春を謳歌してくださいね。
それでは、また日本に帰るとき連絡します。
                1996/4 ニューヨークにて かおり”

メールには、かおりが親子3人で(おそらく)緑濃いセントラルパークで撮影したと思われる粗い画像のデジタルカメラの写真が添付されていた。
 (身を焦がした波瀾の恋も、こうなっちゃうんだ・・・)
美弥子はふうっとため息をついた。軽く頭を振って気持ちを切り替えると、バッグからノートを取り出して、昨日の取材の結果をWordにすばやく打ち込み始めた。

午前中、電話が少なかったので、集中して記事を仕上げることができた。写真は朝一番でDP部に頼んでおいた35mmフィルムからの大判のプリントがお昼前にはできあがってきた。
(デジカメの画素数がもっと多くなれば楽になるのかな)
あとはイメージスキャナーで取り込んで、レイアウトソフトへ文章とともに流し込んで、適当に並べれば完了だった。
「吉岡、締め切り、今日じゅうだからな、午後7時までには終わらせろよ。あとはおまえの特集だけだ。」
「はい、わかってまーす。」
い・ち・お・う編集長の井村、丸顔のオジサンで、みんなから肉まんと呼ばれているのだが、が背後から大きな声であらためて締め切りを確認してきた。規則なので、画面上で校正して、ドラフトをプリントした後、井村のチェックを受けなければならない。
実際には“ダメ”をだされた事はなく、これまでほとんど、「原文のママ」雑誌に載っていた。

オフィスは外掘の見える市ヶ谷駐屯地そばの雑居ビルにあった。いくつかの雑誌の編集部は銀座にある本社ビルにははいれずに、ここに押し込められているのだった。
お昼少し前、美弥子が近所のコンビニに昼食を買いに行こうと思っていたところへ、アルバイト情報誌の編集部にいる、すこし年上の西田洋子がやってきた。
「美弥子、一緒に食事いこう?」
黒いブラウスに黒いパンツ姿の洋子は、とても40近いとは思えなかった。髪はボブカット。化粧もそれほど濃くはないが、知的な魅力にあふれた先輩だった。
今日の洋子の誘い方に、何か言いたげなものを感じた美弥子は、
「編集長、早めにお昼行ってきまあす。」
と声をかけると、バッグを掴んで、洋子と一緒に 部屋を後にした。


3.千鳥が淵にて

「そろそろ、一緒にならないか?」
満開の桜並木のもと、矢部慎也は美弥子に唐突にそう言った。  
美弥子は今日、慎也が少し緊張気味だったことに気づいていた。
(でも、なぜ、今日突然?)
慎也とは、彼の仕事が広告代理店だった関係で3年前に知り合ってから、(歳も歳なので)それほど、べったりと付き合っていたわけではないが、一応恋人の関係が続いていた。
慎也は年齢は33歳、美弥子は今年、1996年の3月7日で29歳になっていた。
年齢的には、「もういいかな?」というところなのだが、彼女にとって、結婚するとなると、そう簡単には決心がつくわけではなかった。
「今度ね、大阪に行くことになってね。」
慎也はゆっくりとそう言った。4月にはいってから、組織が変わって、人事異動になることはよくある話しだった。

「返事、少し待ってもらえるかな?」
美弥子はしばらくの沈黙の後、慎也を見つめながら答えた。
慎也は軽くうなづくと、優しく彼女の肩を抱いて歩き始めた。千鳥が淵の水面に春の柔らかな日差しが反射していた。
公園の遊歩道には、多くの人々が花見に訪れていた。
(こののどかな光景の中で人生を左右する決断をしている人も、中にはいるのかしら?) 美弥子は他人事のように、ふっと考えて、その後、慎也に気まずい思いをさせたか、と明るい調子で付け足した。

「やっとね、仕事が面白くなってきたんだ。もともと、グラフィックデザインやっていて、雑誌とか本の仕事ができると思って、今の会社入ったんだけど、ずっと広報部のアシスタントで、自分で何かやってるっていう感じじゃなかった。
それが、今年からご多分に漏れずリストラで、たまたま、色々やらせてもらえるポジションにつくことができたから…。好き勝手にやらせてもらえるし、うるさい人はいないし…。
いつまでも、続けられるとは思ってないけど、大して売れない月刊誌であっても、少なくとも自分の“作品”を作ってみたいから。だから、」

「だから、結婚できない、ってこともないだろ?」
慎也はそれほど深刻な感じではなく、美弥子をさえぎった。
一瞬、美弥子が言葉を飲み込んでいる隙に、慎也は、
「いいよ。 納得が行かないうちに決めてしまうようなことじゃないからな。 ま、ゆっくり考えておいて?」
と微笑んでいた。
(きっと、世間から見たら、この人なら間違いない、って言われるだろうな。なぜ迷ってるんだって。)
美弥子は母の顔を思い浮かべていた。
(でも、結婚することが、必ずしも女の人生のゴールとはとても思えないし・・・)
美弥子は帰りの地下鉄東西線の中で、雑誌をぼんやり眺めながら、 そう思っていた。


4.ランチタイム


「だから、今度の企画にはどうしてもあなたにも参画してもらいたいの。」
西田洋子は大きな瞳で美弥子を見つめながら、アイスティーを少しすすった。
「ええ、でも・・・。確かにわたしグラフィックデザインの仕事はとてもやりたかったんですけど、・・・」
「けど、何?」
「プロとしてやって行けるかどうか。」
洋子はまるで妹を見る姉のように、微笑んで、
「最初からプロの人なんてひとりもいないでしょ?美弥子はずっと、リゾート雑誌の仕事のレイアウトやっていたじゃない。ときどきページのバックグラウンドに、自分で書いたイラスト入れていたでしょう。淡い色とやさしい線がとても素敵だと思っていた。・・・手書きでも、CGでもたくさんイラスト書いてるんでしょ?」
「ええ、そうなんですけど・・・。あの雑誌はそんなにデザインで左右されるものではないから・・・肉まん・・じゃない、井村さんもうるさく言わなかったんです。でも、売り物にするウェブページのイラストとかデザインなんてできるのかしら。」
洋子が今日の昼、美弥子を誘ったわけは、この春からプロジェクト化した、Webページ作成サービスのページデザイナーとして今の職場から引き抜くためだった。
「むしろ、今はちゃんと絵を勉強したことのない人がどんどんウェブページ作ってる時代なんだから、あなたの方がよほどプロフェッショナルらしいと思うわ。わたしだって趣味でインターネットやってる程度だけど、プロジェクトの企画をやらないかって言われたのよ。」
たしかに美弥子は美術大学を卒業後も、イラストは書きつづけていたし、ここ3年くらいはPCでイラストを書いては、スキをみて雑誌の中にさりげなく挿入して、雑誌のページデザインの仕事の中で楽しんでいた。
「こういうことって、必ずチャンスになると思うわ。・・・いいわ、急に言われても返事できないわよね。 まだプロジェクトのキックオフミーティングまで2週間あるから、来週までに考えておいて。」

洋子はにっこり笑って伝票を掴むとバッグを肩にかけ、くるりと振り向き、まさに颯爽とイタリアンレストランを出ていった。
美弥子にとっては、新しい仕事への誘いに戸惑いを憶えたことより、洋子の笑ったときの目尻の魅力的な小じわとスマートな黒いパンツ姿が印象的だった。 これも性(さが)なのだろうか、印象的な出来事は客観的に映像として捉えてしまうことが多かった。
美弥子は半分残っていたアイスティーを一口飲み、外のお堀端の木々の若葉を見ながらパーラメントに火をつけた。
(今の仕事、売れないリゾート不動産の雑誌とはいえ、去年の春の時点では自分にとって、ジャンプできるチャンスだと思えてたけど…。
でも、1年経ってみて、これがライフワークとは思えないし…。
こうやって、自分のやりたかった仕事が巡ってくると、不安だけど、またそこに賭けてみたいって心が動いてしまう。
慎也は区切りがつくまで待ってる、って言ってくれているけど・・・。新しいチャンスだしなぁ。

かおりは結婚して太っちゃったのか・・・。洋子さんは結婚しないから素敵なのかな?)
彼女はふうっと煙りを吹き出した。


5.森の記憶

2階の窓を開けると、神代植物公園の木々の新緑が薄曇のかかった光線に濃淡を描いていた。
(わたしがいろいろ悩んでいても、こうやって春は過ぎて、若葉の季節がくるんだな)
美弥子はすこし淋しいような、ほっとしたような気持ちになって、ベッドの上の掛け布団を窓の外の手すりに掛け、パンパンと叩いた。

美弥子の悩ましい気持ちとは関係なく、4月の終わりの日曜日の午前中の空気は空に向かってにおいたつように生気にあふれていた。
彼女は木炭とスケッチブックを手に持つと愛用のキャンバス地のディレクターチェアに腰掛けて、ミニスカートの素足を組んだ。
1枚目はウェディングドレスの花嫁だった。顔は描かれていないラフなスケッチだったが、ベールとブーケとロングドレスがデフォルメして描かれていた。
2枚目は先日清里で見たログハウスだった。ざっくりとしたタッチで、木の肌合いを表現したかった。暖炉の煙突からは煙りがでていた。
3枚目は摩天楼のビル街をシャープに書いてみた。無駄を削ぎ落としたスパルタンな都市のフレームが浮き上がっていた。

美弥子にとって、選択肢は3つだった。
3つのスケッチをフローリングの床に並べて、
「これはないよなぁ。」
とつぶやいてログハウスをベッドの側に寄せた。
「花嫁か…。いつかは…ね。」
ブーケの花嫁は左側に少し寄せられた。
「やっぱり、これだよね。」
最後に残ったのは切り取られた都市の風景だった。
床に斜めに座り込んだ彼女は、一番遠くにおいたログハウスのスケッチに目を やると、ふっと小さい頃夏休みを過ごした軽井沢の祖母の別荘を思い出した。
(あの頃は従兄のお兄ちゃんと夏休み遊ぶのが本当に毎年楽しみだった。カラ松林のにおいを胸いっぱい吸い込んで。そんな季節をいくつ過ごしただろう。 毎年必ずそういう季節がやってきて、決して変わることはないと思っていたのに。)
やがてそういう芽吹きの時は過ぎていって、いつのまにか都市(まち)で、その頃のことはすっかり忘れて生きるようになってしまった。
(あたし、お兄ちゃんのお嫁さんになる、か。あの頃は迷ったりしなかった、な。 )


6.TOKYO WOMAN

「というわけなんだ。」
美弥子はほぼ決心がついていたものの、本社の同期入社の杉浦義彦に話を聞いてもらった。
少し汗ばむような陽気の晩、六本木交差点の近くののショットバーだった。
「ふうん。・・・まあ、困ってるとはいっても、どれも前向きな話だから、悪いことではないね。」
義彦は言葉を切ると、
「でも、井村屋の肉まんはがっかりするだろうな。」
と、ひとりごとのようにつぶやいた。
「え?」
美弥子はカンパリソーダをあやうく落としてしまいそうになった。
「いやあ、まあ本人には言ってないんだろうけど、あの人去年、吉岡がリゾートエステートの編集担当になってから、取締役会で2回くらい責められてね。」
「責められたって?どういうこと?」
「頭の固い保守的な年寄りが、『なんで、不動産の雑誌をこんなに飾り立てる必要があるんだ。』って、体裁が前よりお洒落になったことを非難したんだよな。」
「それって、もしかして、わたしのレイアウトとか、デザインってこと?」
美弥子が初めて聞く話だった。
「そういうこと。…で、そのとき、あの肉まんが、『とにかく半年実績を見てください。必ず今回の方向で部数を挽回できます。』 って啖呵をきったんだって。で、事実低落傾向に歯止めがかかって、まあ、伸びはしてないんだけど、少なくとも同類の他社の雑誌のシェアはとったみたいだね。 僕なんかが見ても、前よりずっと良くなったと思うし。」

それを聞いて、美弥子はグラスをみつめて独り言のようにつぶやいた。
「そんなことがあったの?」
義彦はアーリータイムスのソーダ割りを一息に飲むと、
「その後、ボクは肉まんが、『吉岡はうちのなかで抜群のセンスをしてる。こういうのは感性とか才能だから、誰でもできるわけじゃない。なんとかあいつを一流のプロにしたい。』 って本社で雑誌を統括してるメディア本部の片岡事業部長に言ってたのを、たまたま聞いちゃったんだ。 吉岡がいい気になるといけないと思って今まで言わなかったんだけどね。」
と、告げた。
「あの、肉まん、・・・井村さんが?そんなこと一言も言ってくれなかったわ。ときどき、ほんのちょっと、気配りのたりない文章だと付け加えてくれてたけど・・・。」
「まあ、君は自分で思ってるより、けっこういい線いってるってことだよ。だから、洋子さんのはなしも当然だろうな。 まだしばらくは嫁にはいかずに頑張ってみたら?・・・じゃ、俺は娘が待ってるからそろそろ帰るよ。 帰り、気をつけて!」
義彦は高い椅子から滑り降りて、右手をあげると微笑んで、大勢の背の高い外国人の男女が一心に話しをしている人垣の向こうへすり抜けていった。
美弥子は少し残ったカクテルをいつまでも見つめていた。


美弥子は翌日出社すると、洋子のデスクのところへ行き、先日の返事を告げた。
「わたし、まだリゾートエステートでやってみたいことがあるので、せっかく誘っていただいて申し訳ありませんけど、この間のお話は…。」
「そっか。…残念だけど美弥子の意思だから、仕方ないわね。…井村さんに負けちゃたか。…でも、いい仕事してるものね。…わかったわ。」
洋子はボブカットの髪を少し揺らして小さく頷いた。

美弥子は自分のオフィスにもどると、編集長の井村のデスクの前に直行した。
「井村さん!」
「なんだよ、朝からデカイ声で。」
「次の7月号は、私に表紙もやらせてください!」
「えっ?」一瞬、井村は意表をつかれたようだったが、即座に切返した。
「何を言ってんだ。表紙は専門のデザイナーと契約して作らしてんだ。そのくらい知ってるだろう。」
「でも、表紙は雑誌の顔です。本屋さんで手にとってもらえるか、ものすごく大事だと思うんです。」
「1年編集やったくらいで生意気なこと言うんじゃない。そんなことは当たり前だ。でかい口たたくなら、アイデア持ってきてからにしろ!」
井村は美弥子を怒鳴った。
美弥子は深々とお辞儀をして、
「はい、わかりました、ありがとうございます。」
というと会心の笑顔を見せた。

(おわり)


かおりの場合


テーマ曲:Tokyo Moman

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