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Cause We've Ended As Lovers.

昔別れた恋人から時折かかってくる電話。新たな人生を踏み出している女と過去をひきずる男。

1.真夜中の相談

1997年9月

アパートへ帰って、軽くシャワーを浴びた後、留守電のランプが点滅していることに気が付いた。
「もしもし、良美です。こんばんは。おそくまでお・し・ご・と・ご苦労様。若い娘の取材をあまり深夜までやらないようにね。もし12時前に帰ったら電話ください。それじゃ。」
午後11時45分だった。留守電を聞いた後、指が記憶している番号へ電話した。
「はい、早川です。」
「ああ、もしもし、矢部ですが。」
「今帰ったの?。」
「ああ、そうだ。あいにく、若い娘の取材ではなかったけどね。これでも付き合いもしなくちゃならないんでね。」
「達也はそういうのが苦手でフリーのライターという職業を選んだんじゃなかったの?。あなたにはぜんぜん似合わないわ。」
「39になって歳をとったということかな。あまり抵抗がなくなってきた。ところで、何の用だったんだ?。急ぎなら携帯に電話入れてくれればよかったのに。」
「まさか、女性をくどいているところに他の女から電話が入ったりしたらまずいでしょ。それは、冗談だけど。まあ、ちょっと相談があったの。」
「なんだか、歯切れが悪いな。それこそ、良美らしくもない。込み入った話しなら、明日の晩、久しぶりに食事でもどうだ?。」
「だめよ。昔の私と違って、そういつでもあなたの都合に合わせられないわ。電話でいいの。」
「そうやってひとこと釘を差さずにはいられないんだな。それで、どうしたんだ。」

「前にも話したと思うんだけど、C&N出版で新しいコンピュータ雑誌を創刊するのが本決まりになって、エディターを探しているっていう話し。それが、編集長をやらないかっていうことになって。」
「え、そりゃすごいじゃないか。知ってる限りでは、この手の本で、32歳の女性編集長って聞いたことがない。」
「歳はともかく、今いるデータネット社は大手だからつぶれる心配とかはないけれど、このまま今のところでエディターやっていてもこれ以上にはなれないと思うし。私、やってみようかと思って。」
「そういうの相談っていうのか。良美がそういうときってもう決めているときだろ。」
「でも、誰かが、やってみろ、って言ってくれるのはやっぱり心強いものよ。その話しを持ってきてくれた、例のC&N出版の藤岡っていう人事課長がどうしても私が必要だっていうものだから。」

「その人、独身ていってたよね。」
「そう。とっても熱意が感じられて、こっちも引っ張られてゆく感じなのよ。」
「惚れたんじゃないのか。」
「ちょっと。…そうかもしれない。」
「うーん。どうも、話しがうますぎると思わないか?。良美はだいたい惚れっぽいところがあるし、熱心に誘われるとその気になっちゃうところがあるからな。前も催眠商法にひかかりそうになったじゃないか。」
「ずいぶん、昔の話しね。そんなんじゃないわ。もしかして、妬いてるの?。」
「ばかだな。俺はお前のこと心配してるんだよ。良いところも、弱点も知り尽くしているから。良美は見た目がいいし仕事もできるから、男がすぐ興味を持って寄ってくるんだよ。でも、それはあくまで外面的なところで引き付けられてるってことだとおもうけど。」
「見た目がいいなんてほめてくれてありがとう。でもそんなんじゃなくて、私はせっかくこういう仕事ができるようになってきて、規模の小さいところでも自分のカラーでやってみたいのよ。」
「まあ、この仕事をやっていてジャンプアップするには、そういうチャンスは生かさないといけないんだが。ところで、いまのデータネット社を退職するとなると、俺の仕事はどうなるんだ。企業訪問の連載は良美の企画じゃないか。」
「それは、大企業ですからちゃんと引き継ぐわ。いつまで続く連載かは保証しないけど。」
「そうか。貴重な固定収入なんだけど。ま、永遠に続く企画はないわけだし、また、他のところに営業をするよ。」
「あいかわらずのその日暮らしなのね。貯金は少しは貯まったの?。」
「いや、必要経費に対して稿料がたいして高くないから、税金を取られないだけで手元には残らない。いまだに、クレジットカードを作るときは苦労しているよ。」
「達也。今更私が意見するのも変だけど、あなたも少しは将来の事考えた方がいいわよ。私はあなたのそういう甘い考えについてゆけなかったんだから。ずっと前に別れた奥さんだって同じに感じたんじゃないかな。」


2.未来を見る女と過去を見る男

「ありがたく、手厳しいご意見だね。でも、もう少し優しく言えないのか。」
「いまさら、オブラートに包んだ言い方をしてもしょうがないでしょ。もう、なんの駆け引きをする必要もないもの。」
「まあ、俺の希望としてはその人事課長にたいしても、同じ態度で望んでほしいね。いや、これは皮肉じゃなくて、もし、本当の君を知り尽くした上で惚れ込んでるんだったら、何も言うことはないんだが。また、猫かぶってるんじゃないのか。」
「ひどい言い方ね。でも、誰にでもこんな風にできるわけないわ。」
「それはそうだ。6年も恋人同士だったから、か。」
「そうよ。ところで、このあいだのかわいいカメラマンじゃないウーマンとはどうしたの?。」
「どうしたって。別に仕事で2回コンビを組んだだけだよ。」
「さっきみたいに、<今晩食事でもどう?>って言ったでしょう。」
「それは…。静岡へ行って帰りが8時頃になったときに…誘ったけど。」
「ほおら。それで、1回目のデートから手を出したんでしょう。」
「そんなことしないよ。15も違うんだぜ。相手にならないよ。」
「だって、私とのときは1回目から手をだしてきたじゃない。」

「それは、…それは良美が魅力的だったから。僕も若かったし。」
「うまい逃げかたね。許してあげるわ。―いけない、すっかり話しがそれていたわ。じゃあ、結論としては達也はもう少し考えろ、っていうことね。」
「俺に電話するまでもなく、そういう風に意見することを最初から予想していたんだろう。創刊時に必ずしも編集長でなくてもいいじゃないか。こう言ったら怒るだろうが、若い女性編集長を売り物にしようという魂胆が見えないでもないからな。その彼が何となく君をものにしたいっていうような感じもするし。」
「そんな人じゃないわ。あなたみたいに仕事に私情を持ち込むタイプじゃないわ。」
「俺には厳しいが、他の男には甘いね。でも、男の考えていることはおよそ想像つくし、あながち間違っているとは思わないよ。」
「でも、売り物にしたいっていうようなことは言っていたわ。私はそれでもいいと思って。」
「女であることを売り物にするのは、良美らしくないな。まあ、とにかく即答は避けて、ひと月は考えるべきだ。本当に編集長として必要だったらそれでも遅くはないはずだ。」
「そうか。やっぱり達也の意見はそうよね。それを確認したくて電話したのよ。でも、良かったわ。ありがとう。」
「気分を害さない事を祈るよ。」
「達也に何をいわれてももう昔みたいに傷つくことなんてないわ。それより率直に意見を言ってくれる人はもはや貴重な存在よ。なんか、別れてからのが正直になってない?。」
「そうだね。皮肉なものだね。いいような、さびしいような感じだね。駆け引きなしっていう男女の仲も。」
「駆け引きは、かわいいカメラさんと充分やってください。うまく騙しとおせるよう成功を祈るわ。」
「騙すなんて、もう女はいいよ。それより俺は良美の化けの皮がはがれた上で、なおかつ成功することを祈っているよ。」
「化けの皮だって。どうもありがとう。」
「こちらこそ。相談してくれてありがとう。また、何かあったら教えてくれ。」
「わかった。また、電話するわ。じゃあおやすみ。」
「おやすみ。」
電話を切ると12時を過ぎていた。


3.すれ違う心

1997年10月の初めの頃。

午後11時過ぎ、ペナントレースも終盤のプロ野球の結果を伝えるニュースを缶ビールを飲みながら見ていると電話が鳴った。
「はい、矢部ですが。」
「あ、もしもし、良美です。」
「ああ、先週の話し、ちょっと待ってくれってちゃんと言えたか?。」
「それが、達也はああ言ってくれたんだけど、今日、また先方と会って、それで、是非やらせてくださいって言ってしまったのよ。」
「えっ。そんな。あのとき納得したようなことを言っていたじゃないか。」
「それが、迫力というか、情熱というか、いずれにしてもあなたには無い物で一気に寄り切られたっていう感じね。」
「これだ。いまだに引き合いにだしてくれてありがとう。俺だって1年前には情熱があった。」

「まあ、ともかくやることに決めて、今日はお祝いだってことになって、お食事に行ってきたの。」
「食事したくらいならまだ断れるよ。そんなに焦る必要はないんじゃないのか?。」
「でも、もう決めたんだ。せっかく相談に乗ってくれたのに、ごめんね。」
「『でも、もう決めたんだ。』か、前にも同じセリフを聞いたよな。思い切りがいいことも大事だけど、行く末を左右する決断はじっくり考えても良かったんじゃないか?。」

「達也はあのとき決断できなかったよね。」
「昔の俺のことはいいから、自分のことを良く考えろ。本当に大手のデータネットからC&Nへ移籍して後悔しないのか?。じつは、君には言わなかったが、ちょっとC&Nの今度の雑誌について調べたんだ。そうしたらその企画には、まだ社内に反対派が多くいるらしい。」
「それは、うすうす聞いているわ。」
「PC関係の雑誌もこの2年間に創刊ラッシュがあって、廃刊に追い込まれたものもたくさんあった。C&Nはこの間4誌新しく発行して、残っているのは"インターネティズン"1誌だけだ。あとは、既刊雑誌では"グローブネット"と"LANSYSマガジン"で、いずれも特定の読者を対象にしていて発行部数はたいしたことない。本来、科学技術系の書籍を発行していたところだから、一般向けのPC雑誌は得意じゃない。もともと今回の"L's SOHO"という雑誌は、NTと97とインターネットを扱うという企画が基本路線で、すでに出遅れの感は否めないし、いまさらリスクを侵してやるべきではないという意見が取締役会にあったようだ。万が一失敗した場合、経営にかなりの影響を及ぼすとみられている。」

「さすがにプロね、短い間に情報収集したのね。」
「内部の者の間では皆知っていることだ。推進派はそこで目先を変えて、若手女性編集長を抜擢し、一般ユーザー、特に未婚、既婚の若い女性という層をねらおうと方針を変更したようだ。これは、考え方としては面白いが、C&N社でやるには確かにリスキーだ。」
「リスキーな仕事だからよけて通れっていうの。それを成功させたときのことを考えてよ。若い女性向けでわかりやすく、生活や仕事の役に立つコンピュータの雑誌ってないじゃない。」
「これを、データネット社でやるならば成功の確率は高いが、C&Nでは広告の打ち方や、装丁や、初期の店頭へ置く部数など、制約が多いことは必至だ。内容が良くても失敗する確率は高い。はっきり言えば、そのとき、君のような外様ならば責任を取らせやすいということだ。」
「そう。その可能性はたしかにあるんでしょうけど、これはもしかしたら2度とないチャンスかもしれない。私は失敗しても賭けてみたい。」

「そうか…。良美がそう言い出したら、いくら言っても無駄だよね。まあ、やるなら後悔しないように思いきりやることだね。」
「状況は良くわかったわ。でも、かえってファイトが湧いてきたわ。ありがとう。」
「またまた、ぜんぜん君の役に立てなかったね。いままでも、いつもそうだった。いろんな面で助けてもらうことばかりで。でも、今度のC&Nの企画じゃ俺みたいな情報システム系のライターには縁がないね。まだ、一緒に仕事したかったな。」
「まあ、一緒の仕事は若いカメラちゃんと思う存分してください。いろいろ心配してくれてありがとう。どこかでそう思ってくれる人がいるってことは私の力になるわ。この仕事がうまくいったときにはごちそうするから。それじゃあ、その時会えるのを楽しみにしているわ。」

「ああ、楽しみにしているよ。じゃあ、また。」
電話の通話ボタンを押して、電話をきった。
(一緒に仕事をしたかっただけじゃなかった。本当に死ぬまで一緒にいたかったんだ。)


4.書きかけの手紙

1998年6月

この物語はまったく意外な結末を迎えることになった。
中堅出版社のC&Nから発行が予定されていた、"L's SOHO" という若い女性向けのパソコン雑誌は結局、出版されることはなかった。

早川良美は大手のデータネット社からC&Nに移籍したものの、予定されていた雑誌は刊行されず、したがって編集長になることはなかった。なぜそうなったのか真相は明らかではないが、推進派の先鋒であった藤岡という人事課長が、社内の大勢を判断して寝返ったという噂を聞いた。

(機を見るに敏か。優秀なビジネスマンには不可欠な条件だな。)
私は思うところあってコンピュータ雑誌関係のフリーのライター稼業はやめて、金沢の電子専門学校の常勤講師を4月からやっていた。もともと工学部だったこともあって、もう1度最新の技術を勉強すという目的もあった。そして、安い給料とはいえ、固定収入を得るようになっていた。
すこしは将来のことを考えて、その日暮らしはやめなさい、という良美の言葉の暗示にかかっていたことは確かだった。

そして、梅雨のはじまりを感じさせるある小雨の晩に、アパートの郵便受けに絵葉書が入っているのを見つけた。
『私たち結婚しました。1998年 6月7日 日曜日、目白の聖カテドラル教会で無事に式をあげました。… 藤岡浩二郎 良美(旧姓早川)』

私は苦い笑いを押さえることはできなかった。
(そういうことになったのか。)ドアに鍵をかけて、ふうっと息をつくと、なぜか涙がとめどもなくでてきた。

(もう、夜中に相談ごとがあっても、電話がくることはないんだね。)
2年前に男と女としては別れた良美ではあったが、思っても見ない結末に意表をつかれたかたちになった。

(2年の間には君を迎えられるようにちゃんとするから、と言ったのはその場しのぎではなかったんだが。)
40になって、今更泣くようなことはないと思っていたが、どうにも涙は止まらなかった。

「お元気ですか。期待の新刊雑誌、残念なことになってしまいましたが、これで終わったわけではないのでどうか気を落とさないでください。こんど、夕食でもご馳走しましょう。私もやっと…」

机の上にあった、良美への書きかけの手紙をつかんで握りつぶした。

(おわり)


オリジナルテーマ曲


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