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おばあちゃんへの手紙 16-2


そう言いかけると、
こちらを振り向いていた職員の方々が
全員立ち上がり、

私たち家族に合掌し、
「おかえりなさい」と微笑みかけてくれた。


少林寺拳法では、
拳士が本山に行くのではなく、
帰る“帰山”と表現する。

故に本山にいる者は、
訪れた拳士に対して、“おかえりなさい”と迎える。


知ってはいたが、
いざ現実に経験すると、とても不思議な感じで、
それでいて何か温かいものに包まれるような、
やっと帰って来れたという
安らぎの気持ちに誘われる。


ふと振り返ると、
後ろで子供たちもきっちり合掌礼を返していた。


少林寺拳法での合掌礼は
手を合わせるだけの通常の合掌だけではなく、
しっかりと両肘を左右に張ることもプラスされる。

これはいつでも臨戦態勢をとれる構え
の意味もあって、合掌構えという。
いくつもある構えのうちの一つだ。


少林寺拳法では、
相手に頭を下げるような挨拶は御法度である。

相手の全体像から
しっかりと目を逸らさず(八方目という)、
構えとしての心の姿勢を保ちつつ(心構え)、
それでいて、
相手を敬いお互いを拝み合う精神を
合掌礼で体現しようとしている。


相手に頭を下げることは、
そこに上下関係(支配と被支配)が
出来ていくことも危惧しているようである。

お互いを尊ぶ気持ちを大切にするため、
少林寺拳法の稽古は、
合掌礼に始まり、合掌礼に終わるということが、
基本中の基本として、叩き込まれる。


職員の方が微笑みながら近づいてくるなり、
「東京からですか。ご苦労様です。
水元道院というと、たしか
道院長は小泉先生でしたね。」

「えっ先生をご存知なんですか」

「いや全国の道院の先生の名前だけは、
本部職員として覚えていることが務めだと思い、
記憶しているんです。
ただ小泉先生は
定期的に開かれる指導者講習会で帰山された時、
何度かお話ししたことがあるので、
顔も覚えています。
声が低くてよく響くダンディーな方ですよね。」

「そうなんです。
稽古で技の説明をされる時でも、
つい声の方に聞き惚れてしまうんですよ。
言葉になんか落ち着いたリズムがあって、
まるでお坊さんの上手なお経を聞いているみたいで…」

「あー、わかる気がします。
私も先生の稽古を受けてみたいなぁ。」

職員の方はそう笑って、
我々に館内の案内図を手渡してくれた。

「どうぞ、ごゆっくり
時間の許す限り見学していってください。
東京に戻られた折には、
小泉先生によろしくお伝えください。」

「ありがとうございます。」
そう言って、合掌礼を再び交わし、
案内図を受け取るとその事務所を後にした。



職員の方の話にもあったが、
先生方は定期的にこの総本山に帰山し、
指導方針や指導方法を
全国の道院長と情報交換しながら研鑽を積む。


しかも先生方は無報酬である
ということが驚きなのである。

もちろんこの四国に来る費用とて自腹である。


ただただ自分の教え子たちが
成長していく姿を見ることが喜びであり、
それを唯一の報酬としながら…。


つまり先生方は
自分の生活を守るための生業として、
ちゃんと別に仕事を持ちながら、
その余暇で道院の運営をするのである。



このシステムに
少林寺拳法の二つの真髄が垣間見える。

まず一つが、自己確立・自他共楽の教え。
順番はあくまで自己確立が優先である。

この厳しい社会で
しっかり自立している自分を養ったものだけが、
他を導いてゆける。
他に思いやりを施してゆける。

そもそも周りに迷惑をかけないでいられる
というだけで、
全ての生命の繋がり合っているこの世界で
とてもありがたい存在なのだ。

私の父の世代ではよく、
“人様に迷惑だけはかけるな”と
口を酸っぱくして言われて育った
と聞いたことがある。

その先に真の親切というものがあるのだろう。
さもないと、親切という名のお節介になりかねない。

もう一つが、
少林寺拳法の創設目的が、
敗戦後の自信をなくした日本各所に、
精神的に自立した真のリーダーを作り、送り込むことで、
日本を再建復興へと導こうということだった。


つまり、
真のリーダーたる人を作り上げても、
現実に職場などの社会の現場に出て、
そこで腕を振るい、
周りに影響を与えていってもらわねば
意味はないのだ。

そう、先生しかできない先生はいらないのだ。


少林寺拳法開祖の宗道臣は、
こうも言っていたらしい。

我々が目指す真のリーダーとは、
磁石のような存在でなければならないと。

周りの強い鉄たちをぐいぐいと引きつけ、
お互いを結束させる。

個々である時は
鉄はただのぶつかり合う固い鉄であっても、
ひとたび磁石の影響を受ければ、
鉄自身が途端に周りを引き寄せる
磁力を持つ存在になる。

そうして、たった一つの磁石の存在が、
次から次へとその影響力を及ぼし、人々を感化し、
しいては日本という国そのものの自立を促す。


少林寺拳法開祖の
「人、人、人、すべては人である。」という、
周りの枠組みから変革しようとするのではなく、
一人一人の精神的自立が
重要かつ不可欠であるという信念が垣間見える。

そう言った意味でも、
道院長の果たす役割は大きく、

まず人間的魅力という強大な磁力がなくては
務まらないことがよくわかる。

改めて、
自分が師事している先生の存在を
ありがたく再認識することとなった。

と同時に、今回のお遍路旅で
出会った人々を含め、
いかに多くの人々が、他者を慈しみ、
みなの幸せと平和を願ってくれているのか、
という事実に驚かされる。

見学を終え、
お遍路行に戻ろうと少林寺総本山の山門を
くぐりながらふと振り返る。

入る時に眩しく輝いていた芝生の参道が、
出る時はどこか優しげに発色・発光して見えた。

やはり、
心の有り様が変わると、
見る風景も変わるらしい。


家族で山門前に整列して
最後にしっかりと合掌礼をすると、

勇一が大きな声で「ありがとうございました!」と、
そして佳乃が「また来ます」と宣言した。


遠くで蝉の声がそれに答えるように鳴いていた。
一夏の儚い命を精一杯に謳歌するように。

今この瞬間をしっかりと抱きしめるように…。

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