誕生日で飲みすぎて吐きそう…弱音

こんばんわ!
モリレイ久々の投稿です!!
ご無沙汰しております。

実は今日、俺の誕生日。
だが俺の誕生日を覚えていてくれる人は、
嫁さんと母と母方の叔母だけです。

父や祖父母はまったく覚えていない。忘れている。
友人には誕生日を教えたことがない。
(お盆休みな上に夏休みだから、
学生時代から友人に祝われる可能性もなかった。
休みだから。)

今年の誕生日は悲しくなったから、
ここに書き留めたい、今の気持ち。
少し重たい内容だ、みんなココから下は読むな。
俺の備忘録だ。

俺は母親と生き別れている。
母から縁を切られてしまっている。
ここが重要だ。

昔から冗談抜きで愛の無い家庭で育った。
中学生の頃から家庭内別居が始まり、
母から父への嫌がらせを目の当たりにしていた。

父はずっと耐えていた。
波風立てぬよう、俺と妹にストレスを与えぬよう。
日々嫌がらせに耐えていた。

嫌がらせの内容をざっくり書くと
・コーヒーに洗剤を混ぜる
・食事を与えない、父の分は作らない
・寝室から追い出す(一年中)
・真夏も真冬も父は玄関で寝る
・枕や布団は無し

もし読んでいる人がいるならば、
ここから察してもらいたい。
俺は中学生になってから、年末年始も誕生日も、
家族揃って食事をしたことがない。
つまり父は「モリレイおめでとう。」と
職場や出先から祝うしか無かった。
そうするうちに、世界にたった一人の
息子の誕生日を忘れてしまったのだろう。
今、自分が父親になって、痛いほど悲しさが理解できた。
泣けてきた。

祝いたくても祝えない無念さ。
伝わるか分からないが、遠くから「おめでとう」と言うことしかできないツラさ。
何年も同じことを繰り返すうちに、忘れてしまったのだろう、僕の誕生日を。
全て今なら分かる。。。親父ツラかったろうな。

俺はずっと母に怯えていた。
顔色をうかがって生活していた。

大学生になり、死ぬほどバイトして
金を持つようになると、嫌がらせされても
対抗できる気がして、母に反発するようになった。
(小さい頃は怖くて反抗期を押し殺された。大人になって反抗期を経験。)

お察しの通り、俺はどんなに母から父の悪口を聞かされようと、
どんなに父方の祖父母を母から悪く言われようと、
俺は父さんが好きだ!

父は僕が小さい頃は、毎週末どこかに連れて行ってくれた。
いろんな公園でキャッチボールとか一緒にしてくれた父が、
頼もしくて憧れで大好きだった。

転機は僕の入籍。
お互いの両親に挨拶するのが一般的だが、
僕は不安しかなかった、的中した。
当時の両親の反応がこれだ。

母「結婚も結婚式も勝手にやれば?
私はお父さんとは同席したくないから行かない。」

父「母さんの顔立てねぇと、
モリレイがこの先苦労するぞ?
俺は祝いたいが、俺のことは無視していいぞ。
気にするな、母さんの言うとおりにしとけ。」

僕は呆然とした。
すべての思いを父に打ち明けた。
・本当は両親揃って列席してほしい。
・嫁さんの親御さんに変な印象を抱かれて破談したくない。
・なんとか結婚式を一般的な式にしたい。

こんな当たり前も叶わない人生になるところだった。
父は一言、僕に言った。

父「…俺に任せろ、今まで何もしてやれなかった。今こそ父親らしく、何とかする。」

この時は号泣した。恥も捨てて泣いた。
電話口で父も泣いていたのが分かった。

それから父は、、、
・離婚調停を始め
・僕を片親という設定にして嫁実家に一人で挨拶に来てくれて
・結婚式当日は親として見事なまでの謝辞を列席者に向けて述べ
・今でも僕ら夫婦をサポートしてくれて
・孫の面倒も見てくれる

今、そんな父には頭が上がらない。
夢だった男飲み、一緒に一服、お出かけが
大人になってから実現した。
こんなに当たり前のことで感動したことはない。

だから今日の誕生日も覚えていなくて良い。
嫌だったのは2年ぶりの母からのメールだ。
何年も会っていないのに、何かと思えば、、

・誕生日だね
・お前はダメ息子だけど、おめでとう、くらい言っておく
・お前に育児なんかできる訳がない
・この前もお前の悪い噂を聞いた(これはホラ吹いてる)
・8月の同窓会でお前は失態を犯したと聞いた
(1次会しか行ってないし、集まったのは8人の男女、年末も同じメンツで仲良く飲んでいる。この時点で嘘。)

という内容。
腹も立ったが、呆れた。
クソほどムカつくが、一周回って笑った。
母は同級生の保護者からも嫌われていて、
僕の友人や、その親御さんと友達付き合いが無い。
そもそも僕の情報を知り得る手立てがないのだ。

僕は朝から
「今年は最悪の誕生日が始まったなー。」と思った。
母しつこいし、父は忘れたまんま。
大人になると、誕生日は産んでくれた親に感謝するようになる、と聞いたものだが、
父は忘れていて、母は縁を切ってきたくせに嫌味を送りつけてくる。

なんで俺なんか産まれてしまったのだろう。と悲しくなった。

そんな時に嫁さんが「おはよう、おめでとう。」と、
これほどまでにホッとするおめでとうは受けたことがない。

そして母の妹の叔母も「おめでとう」とラインをくれた。
叔母も母が嫌い。
結婚式も父と同じように叔母の支えがあって、
だからこそ普通の結婚式が実現した。

叔母は「私にとってもモリレイは息子のようなもの。」と
今でも可愛がってくれる。第二の母だ。
母に叱られたり、イジメられたときは、
いつも叔母が助けてくれた。

そんな人からの「おめでとう」は心から安心できる。

僕の誕生日なんか誰も知らなくていい、
嫁さんと叔母だけが祝ってくれたら…
せめて父が思い出してくれたら、僕はこれほどない幸せに包まれる。

そんな今年の誕生日。
ふと思い出したことがある。

高校生の時、父がコッソリと
「誕生日おめでとう、母さんには内緒にしておけ。」と言って、
僕に5000円をくれたことが一度だけある。

その5000円の重み、当時の僕は
物凄く重みのある5000円に感じて受け取れなかった。

父のお小遣いは毎月3万円。ボーナス無し。
食事も飲み物も与えられていないため、
毎日の飲み物と食事とタバコを捻出しなければならない。
タバコはどうしてもやめられなかったそうだ。
今、僕も禁煙できずに悩んでいる、これは遺伝だ。
(正しくは遺伝のせいにしている。笑)

その時、息子に5000円を受け取ってもらえなかった
父の気持ちを想像すると、涙が溢れる。
祝いたいがために、なけなしの小遣いをせっせと貯金し、
やっと溜まったお金を息子にあげられる喜び。
受け取ってもらえなかった情けなさ。
2つの気持ちが押し寄せて泣けてしまうはず。

父は、その出来事さえ忘れているだろう。
だが息子は今でも感謝で頭が上がらない、ということを改めて伝えたい。

本人が忘れているから、言い出しにくいが、、

「育ててくれてありがとう。」

この恩を、今から少しずつ返したい。
父には、今まで我慢してきた分、
思う存分タバコを吸って、美味しいもの食べて、
大好きなテニスに打ち込んで欲しい。
僕にできることは何でもしたい。

父さん、いつもありがとう!!!

世界中の人々が両親に感謝できる日が来ることを祈って…!!!!!

すぃゆあげーん

モリレイ

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