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第1章 私のキャリア遍歴(1)−非高校から大学・大学院へ(1)高校受験に失敗し、専修学校高等課程へ【加筆修正版】

四年制大学の専任教員(任期なし)となり、2022年度には文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)に採択された私ですが、ここに至るまでには実に様々な挫折と試行錯誤がありました。

最初のつまづきは、高校受験の失敗でした。とは言え、多くの受験生は「滑り止め」をいくつか受験するのが普通であり、どこかしらの高校に入ります。

しかし私は、滑り止めを一切受けませんでした。どうしても第一志望の東京都立文京高等学校に入りたかったのです。周りの先生からは、文京高校受験には得点が足りていないから、もう少し偏差値が低い別の高校を受験するか、滑り止めを受けるよう強く勧められましたが、そうしたアドバイスを一切聞き入れずに、文京高校一本に絞りました。今考えると、我ながら無策だったと思わざるを得ません。

そして、結果は当然不合格に。東京ディズニーランドに出掛ける中学最後の記念遠足も参加を見合わせることになってしまいました。唯一の受験校を不合格になって途方に暮れた私でしたが、同級生が皆進路を決めて、ディズニーランドへの遠足の話題で盛り上げるのを横目に、追加募集を行っている高校探しに注力しました。

色々と探す中、埼玉県浦和市(現、さいたま市緑区)にある私立浦和学院高等学校が追加募集をしていることを知り、受験。受験前日に親が景気づけに宅配ピザを取ってくれ、それを食べて、翌日受験に臨みました。しかし、当日は前日にタバスコを大量にかけたピザが当たり、お腹を壊してしまうハプニングに見舞われ、高校に着くまでに何度もトイレに駆け込む羽目に陥ります。

やっとの思いで、浦和学院高校にたどり着き、体調不良の中、何とか筆記試験を受けました。記憶が定かではないのですが、確か、国語と英語の2科目だったと思います。受験後、別室で待機して、しばらくして結果が告げられます。結果は、またしても不合格に。受験生は私のほかにもう一人男子生徒がいましたが、彼も不合格でした。

ところが、不合格通知の場で、浦和学院高校から思わぬ提案を受けます。それは、「グループ校に『浦和学院情報経理専門学校(1991年に浦和学院専門学校へ改称)』の高等課程*があります。いかがでしょうか」と。他に入試をしている高校はなく、選択肢はありませんでした。こうして、私は専修学校高等課程という、世間ではあまり知られていない学校へ進学することになりました。

*専修学校高等課程は、実務面にウエイトをおいた職業教育が中心で座学より実習が多いこと、修業年限の多くは3年で、学科・コースによって1年制から3年制まで様々あること、そして学べる分野として「工業」「農業」「医療」「衛生」「教育・社会福祉」「商業実務」「服飾・家政」「文化・教養」の全8分野があることが特徴で、広く一般的な教養や見識として普通科目を学習する全日制普通科高校に対し、高等専修学校では仕事に役立つ実践的な職業訓練・技術を習得できるのが大きな特徴で、高校とならぶ中学校卒業後の進路の一つとなっています(『新しい学校選び ニュースク』https://new-schoooool.jp/)。

4月に入学式があり、浦和学院高校で一緒だった彼(A君:仮名)と再会しました。しかし、A君はバリバリの不良少年で、入学後は不良グループとつるんで、先生から度々指導を受けることになります。それでも、私と廊下で会った時は、お互いに近況を立ち話する交流が続きました。

しかし、A君は度重なる問題行為や、自身の学業意欲の低下が理由で、高等課程を中退していきました。浦和学院高校の教室で心細い中でお互い励まし合い、高等課程入学後も何かと交流してきた仲間でしたので、A君が退学し学校を去った時の寂しさは今でも忘れられません。

A君は強がっていましたが、本当は心に寂しさを抱えていたのだと思います。もっとA君と色々なことを本音で話しておけばよかったと、今になって思います。今でも時折、A君のことを思い出します。いま、どこで何をしているのでしょう。きっと元気に過ごしていると信じています。

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