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はしゃぎすぎた街の中で

僕は一人遠回りした

 10月三連休の初日。本来なら留守宅に戻るところだが、明日が仕事のため帰ること能わず。朝に小学校に連絡をする用事があって、早めに起きた。当然、先生は誰も出勤しておらず、用件は連休明けに、ということになった。しかし、電話に出た人、初めは事務所の人かと思ったが、後で考えると前は親身に世話を焼いてくれた管理職ではなかったか。こちらは名を名乗っているのに特に反応を示さなかったので、違うのかもしれないが、喋り方、声音がとてもよく似ていた。だとしたら、ずいぶん嫌われたものだなと思う。学校との関係って、こちらは正論を言っているつもりでも、学校側からしたらモンペ扱いになることが多いような気もする。それだけもう余裕がないのかもしれないし、改善が望めなくて、それが気に入らないなら辞めればいいのだろうけど、転校までの空白とか、犠牲になるのは子供なので我慢するしかないわけだが。とはいえ、運がないで片付けられるほど簡単なことではないので、ずっと悩んでいる。まあ、子供が不当な扱いを受けなければそれだけでよいと思わないといけないのかもしれない。

 二度寝、という気分にもなれず、かといって会社の人事調書を仕上げる気にもなれず。じゃあ歩くかと。健康保険組合が主催しているウォーキングアプリの懸賞、東京に来る前は山の麓で出社前にだいたい妻と1万歩くらい歩いていたので、達成は余裕だったが、東京ではそうもいかない。仕事がある時はだいたい7000歩という目標ぎりぎりいけばいいところ。非番の日はそれこそ買い物に行かなければ、室内にトイレを持ち込んだ時だけの十数歩しかカウントされないときもある。というわけで外に出た。

 当たり前だが行楽客だらけ。近所の美術館は行列、とまではいかないけけど次から次と客が入っていく。向かいのハンバーガー屋や隣のうどん屋は並んでいた。もちろん家族連れ。むなしい。こんな短パンと汚いフケが浮かんだかのようにみえるホコリだらけのTシャツを着た中年男など並ぶ資格は当然ない。というより、一人で並ぶのが恥ずかしい。惨めすぎる。タイトルの通り、私はスーパーで昼飯も買う気になれず、こうやって戻って一人これを書いている。

初めてのゲス

 曲のお供は久々にゲスの極みにする。ライブラリを作ってから行こうかと思ったが、ベスト盤とやらの選曲がなかなか好みに合っていたのでそれを聴く。ほぼ全ての楽曲が名曲なのだが、自分の中で三本の指に入るのが「ユレルカレル」「オンナは変わる」「はしゃぎすぎた街の中で僕は一人遠回りした」なわけで、それが全て入っているだけで素敵だと思った。

 ゲスを初めて知ったのは、私のようなライトリスナーの大体がそうだろうが、「私以外」だった。コカコーラのCMで最初は女性が歌っていると思っていた。Youtubeでフルで聴き、見事にはまった。ちょうど、次男が生まれたばかりで、長男はまだ小学3年生。塾はもうそれなりに忙しかったけど、まだ受験も先だし、送迎の車で曲をかけていると、長男も気に入ったようだった。「ノーマルアタマ」のPVが面白いと動画をなん度もせがみ、「crying march」では「走り出したら〜」の歌詞が「お尻出したら〜」に聴こえる、と笑った。もう8年前になるのか。いつもの遠い目、になりますが、懐かし過ぎて涙が出る。

 そういうことを思い出しながら聴いていたら、妻から着電。さっきの遠い目でまだ赤ちゃんだった小2の次男が計算間違いをするという。見てやりたいけど、イラつきをもろにぶつけられてもどうしたらいいのか。先日もLINEのビデオ通話を繋いだまま、勉強しているところをこちらからただただ見ていただけだが、無駄と単純に打ち捨てることもできず、父親不在の罪滅ぼしということで、気が済むまで繋いでいた。カメラをチラチラ見ていたから、集中しているとは思えないけど。そして、今日の着電もどうしようもない苛立ち。いたたまれず、中途半端な歩数のまま帰宅した。昼飯を食べる気をなくしたのは、それが原因でもある。消えたい。

VIVANTのかかし

 サムネイルにあげたとおり、最近、近所の通りでかかしが大量に発生している。何かコンテストでもあるのだろうか。町おこしなのかもしれないが、今年も一気に増えた。先日の夜、寺の前くらいでカカシに並んで八頭身の人物の後ろ姿にギョッとさせられた。それが右の作品「公安・野崎」。昼間に前を通ってカカシと分かったが、暗目では本当に人みたいでギョッとした。思い出して写真を撮ったのがまた夜だったのでこれまた不気味。ちょっと離れてドラムもいた。みんな見ておられたのだね。

 日曜の夜はVIVANTが終わり、NHKで23時からやっていた「アストリッドとラファエル シーズン3」も終わり、生きる糧を失っている。生きる糧を失っていると言えば、実家の母も鬱の症状が出て、父が困っているという。神経質な人がみんなそうなるとは言わないが、思うに任せぬ老境の身で、そういうふうに自分を追い込んでいくのは何とも言えない気持ちになる。薬を飲んで、どうにかやっているみたいだが、父ももう80近いし、妹は高齢出産をしたばかりなのであてにはできない。

 いろいろかんがえると、そういうのって誰しも紙一重のところで生きているのではないかなと思う。会社でも、今までの上司で非常に順風満帆に来ていた人が、オーバーワークのあまり、ある日突然、糸が切れたように仕事ができなくなってしまった。ボーッとしてその後が何も考えられなくなってしまったのだという。その人は結局、しばらく休んでから、負荷がそれほどかからない、本来なら畑違いとも言えるところに行き、それからまた別の任地に行かれた。そのまま切れていなければ、かなり若くして昇格しておられたと思うので、それなりのポジションになっていのだろうと察するが、果たしてそれがその人にとって幸せだったか、というのはゲスの勘繰りだと思うのでやめとく。

 今の職場でも休んでいる人がいる。原因は分からないけど、仕事ではなかなかうまくこなせず、苦しんでいるように見えた。聞いていた休みの予定をもう随分過ぎているが、いまだ復帰は叶っていない。本人さんがしんどいのだろうけど、こうなるとなかなか戻るタイミングも見出せず、余計に遠のくのかなと思う。あと、今は働いているけど、過去に症状が出て、今も薬を飲んでいるかもしれないという人もいる。確かに、不器用で目立った成果は難しく、私もなかなかフォローし切れず、苛立ちを隠せなかったことがあった。でも、過去に別の職場で一緒だったという先輩が、引き継ぎに「自信を失っているかもしれないが、本来の力を取り戻せるよう、信頼していることを示し続けてあげたい」と書いているのをみて、ハッとした。自分は何と狭量であったかと。そういう心境に自分も達することができたら、もう少しうまくいろんな人をフォローしていけるのかなと。とても大きな学びだった。

 とはいえ、日々がとてもしんどいことには変わりない。業績はほとんどの分野で下がっていくし、人も減っていくし、辞めていくし。かといって、日常の業務は減らないし、新しい分野で稼ぐしかないと、いうそこに何だか疎外感を覚えたりして。何となくギリギリ綱渡りで自分を騙し騙し、どうにか管理職として仕事をこなしているように振る舞っているけれど、たぶん何かあったらあっという間に心が折れてしまいそうな状況ではある。でも、折れたら、家族が路頭に迷うから引くことはできないし。早期退職に応じていたとしても、次が見えない中で、たぶん数年も経たずに使い切ってしまうだろうから踏み切れなかった。というより、あれだけ望んで入った会社なのに、毎日これだけ絶望を覚えながら過ごしている、というのは精神衛生上、よくないなと思う。

 というような気持ちで、今から人事調書を書くのはやめといた方がいいでしょうか。


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