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『幸せへのまわり道』が作り出す世界観は現実世界で決して触れられない

マリエル・ヘラー監督の『幸せへのまわり道』という映画.僕が見てきた映画の中でも特に何も解明されず日常のストーリーとして終わった作品.現実のテレビ番組にストーリーを加えた映画でトム・ハンクス演じる「フレッド・ロジャース」とマシュー・リース演じる「ロイド・ボーベル」の関係に注目がいく作品.

主人公は父親を憎むロイド・ボーベルで、父親との関係がフレッド・ロジャースの影響によって徐々に良くなるのが大まかなストーリーである.

このフレッド・ロジャースという人間は社会からは聖人的な印象を与えているが、実際は喧嘩や悩みを抱える普通の人間として描かれている.それを示すのが中盤に出てくるフレッドの奥さんである.

「成人扱いしたら彼の生き方が現実離れしてしまう」と述べるところにはフレッドは社会の顔とプライベートの顔が双方の力によって自分を維持できていることが理解できる.

それに対し、ロイド・ボーベルは社会的な面とプライベート的な面で同じ対応をしている印象を感じる.仕事に対する評価が低いのは自分の二面性をうまく扱えていないからだと推測できうる.しかし最終的には憎む相手であった父親の最後を看取ってやろうと二面性を作り上げ社会的な対応をとっている.

これは人間が社会で生きていく上で必要な技術であり人間であるための方法なのだというメッセージを感じる.僕も生きていく上で何個もの顔を時と場合で分けて使う.

家にいる時の自分、社会生活を送る時の自分、恋人といる時の自分、友達といる時の自分

これは意識的な変換をせず、無意識的に行なっているものだ.もし多様な顔がなければ社会で生きていくことは不可能に近い.それが人間であるのだと.

結局、フレッドは誰にも自分の素顔は見せないまま社会の自分をロイドに見せていたが、それこそ人間の持つ裏の部分で誰にも触れることのできない人間性を感じることができる.

その点を見るとこの映画が如何に日常的な映画であるかがわかる.日常を映すからこそ、人間を再確認することができる面白い映画になっている.

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