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家族はきっと頼れる人になる

7月の終わりの週末、東京から弟が帰ってきた。
私50才、弟45才。

コロナ前から会えていなかったので、
5年以上ぶりの再会。

二人でモーニングに行って、
小さい字のメニューを見ていると、
「姉ちゃん、目、見えてる?」

お、弟よ・・・君もそうか。

私は45才のときに、
小さい字が見えにくくなったと感じた。
あれ?おかしいな、目が疲れてる?
みたいな。

もう今は立派な「老眼」で、
近くの小さい文字は、
若いときから使っている「近眼用めがね」では見えないので、
目からめがねを外して読むように。

めがねを外して手元で事務作業をしていて、
遠くを見ようとすると見えないのでめがねを探し、
めがねをかけていて、ふと手元の資料に目を落とすと、
まったく見えないので
めがねをおでこの上にスライドさせる。
小さい数字にちょっといらいら。

薄暗いところでは小さい字は見えない。

遠くは遠くで見えないし、
近くは近くで見えにくい。

近眼用の使い捨てコンタクトレンズを愛用していたけど、
コンタクトでは、このかけたり、外したりができないので、
やむをえず、45才でめがねに本格移行した。

昔、親が言ってた、
職場の上司が言ってたアレです、

「老眼」です。
・・・「老」って、なんだかしみじみするね。

とうとう弟も・・・(-_-)

半年前、韓国から帰って来てた妹(49才)も、
「姉ちゃん、目、見えてる?」と言ってた。

私たち3人きょうだい、
若くない領域にゆっくりと進んでいるわけです。


弟との年の差は5才。

小さい子ども時代の5才差は大きくて、
圧倒的に強いのが姉である私だった。
背も高くて、力も強くて、当然ながら行動範囲も広い。
10代から20代のとき、
弟に対して
まるでお母さんみたいな接し方をしていた。

弟の高校の入学式には、
パートに出てる母の代わりに20才の私が出席して、
弟が高校2年生、私が21才の時に、
私がアルバイトで貯めたお金で、
オーストラリアに1週間、かわいい弟を連れて行った。

それから30年。
今回、大阪出張のついでの訪問だったので、
妻や子どもは東京にいて、単身での帰省。

初めてに近いくらい、
弟と二人でみっちり話した。
妹とは二人で話すこともあったけど、
弟と対等に話すことは初めてに近いかも。

私の息子たちも一緒に話した。
母が「私もしゃべりたかったのに!」と怒るくらい、
弟の二日間を独占した。


2人だけのとき、
私が離婚に至った理由も聞かれたので話した。

「そんな気がしてた」と。

「家のことも、子育てのことも、
何もしない自分勝手な人だと思った」と。

「それでいいと思う」と。

・・・こんな話を弟とするようになるとは。


そして、
日雇い労働や路上生活、沖縄移住を経験したことのある弟に、
息子の人生の先輩として、アドバイスを、
とお願いするようになるとは。
弟に、
両親や実家のこれからを相談するようになるとは。


『東京に帰る伊丹空港で、
551の蓬莱の豚まんに並んでいたら、
飛行機に乗り遅れた』
というエピソードを
心配性で
ヒステリックで
超常識人の母には話さないで、とお願いした。
ただでさえ、飛行機に乗る時間に遅れる~と、
日曜の朝からいらいらしていた母だから。

きっと、これを知ると、
母はこれからの人生50回くらい
「そんな非常識なことを!」と
ヒステリックに繰り返し話すだろうから。

そんな話を繰り返し聞かされる私の身にもなってと、
弟には秘密にすることをお願いした。

弟はきっと母に話してないと思う。
母が騒いでいないから。



弟も頼りになる大人になったなぁとしみじみ。

いつか、息子たちも
頼りになるなぁと
思うときがくるのかなぁ。


カフェがあれば、家ではできない話ができる

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