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ありがとうが言えなくて

今日も一日お疲れ様でした。
お茶をいれて、ホッとしたい時間ですね。

※ 深刻な病気の話が出てきます。
 病気や別れがお辛い方にはしんどい内容だと思いますので、読み進めないようになさってください。

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3月26日、急遽日本に帰国する飛行機のチケット(4月1日)を予約した。25日に精密検査をした父が、重症の心疾患を抱えていることと入院、手術の予定になったことがわかったからだ。聞いた時、言葉を失っていた私。すぐにトラオさんに話しをした。どうしたらいいんだろうと途方にくれていたら、トラオさんがさっさと飛行機のチケットを調べ始めていた。彼はこういった。「お金なんて、人生という尺度でみたら、たいしたことじゃないんだよ」と。(目前だったため、チケットが大変高かったのでこういう言葉が出てきたのです)それに背中を押されて帰国を決めた。

4月1日、日本に到着。翌日の入院準備を手伝い、書類を全て確認、必要な箇所を書き足す。父が3m歩いたくらいで、苦しそうに立ち止まり動けないのを見て、随分と弱ってしまっていたことにショックを受けた。とにかく一晩無事に過ごして、入院に漕ぎ着けた。この日から、私の携帯はサイレントモードになっていない。いつ電話が鳴ってもいいように、真夜中でも出られるように、いつも音が鳴る状態になっている。

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あれからひと月以上が過ぎた。当初の予定では、連休前か後に「歩いて退院」して、生活の質が向上し、元気になっているはずだった。

1回目の手術を終えて4月8日頃には体調が悪い中でも「食べたいもの何?ソーセージ?」とふざけて聞いたら、「ソーセージ、食べたいなあ」としみじみいって、吹き出してしまった。いちごも食べたい、そして、ペットボトルの水をごくごく飲みたいと。この日、帰宅すると母は頂き物のイチゴを冷凍庫にしまっていた。帰ってきたら食べさせてあげようと。

けれど残念なことに、想定外の出来事が次々に起きてしまって、22日の2回目の手術以降は、父の声を聞いていない。手術当日、傾眠がちだった父が「冷たい水を飲みたい」といった。手術前で飲ませてあげられなかった。「終わったら飲もうね」と手術室に送り出した。まだその約束は叶えていない。

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今、毎日電話の音にビクビクしながら生活を続けている。午後には毎日ICUにいる父に、母と二人で会いに行く。面会が許される30分の間に、ごく僅かに意思の疎通ができる。何か聞くと、父が頷くことがあるからだ。あとは、たくさんついているモニターで、父の血圧を確認し、尿量をチェックし、皮膚や手のむくみを確認する。そして、必ず手を握る。ギュッと握り返してくれると、何が言いたいのかなと考える。

少しづつ父のレベルが落ちていく日々の中で、ICUの先生から厳しい話を受けたのは5月1日のことだった。つい泣いてしまった私の話を根気強く聞いてくれた先生には感謝しかない。そして、先生は私たちの心の準備ができるのを待ってくれるように、時間をくれたのかなと感じていた。

いくたびに、「お父さん、今日もよく頑張ってるね」と伝える。父は頷く。顔を顰める。もう嫌だ、と聞こえるような気がする。「お母さんがもうちょっとだけ頑張って欲しいんだって。」と伝えても絶対に頷かない。「じゃありすちゃんのことだけは待っててあげて」というとようやく頷く。

私には伝えなければならないことがあった。父が頷けるうちに。「お父さんありがとう」って伝えて置かなくてはいけないと毎日思っていた。けれど、毎日いうことができないままだった。いってしまったら、父が私から許可を得たと思って、もう待っていてくれないような気がするから。でも必ず伝えなくてはいけない。葛藤していた。

トラオさんに泣きながら話していたら、それはいっていいんだよ、という。いうべきなんだよって。お父さんがわかるうちにいってあげたほうがいいよ、と。

奇跡がもし起こったら、笑い話にできるかもしれない。そんな風に思っていた。

それじゃないと、私はこれからソーセージとイチゴを見るたびに、冷たい水を飲むたびに、涙を堪えないとならない、と。

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昨日、主治医から電話を受けた。
「一番大きな峠を乗り越えられたようです」と。

まだまだどうなるかわからないし、困難はたくさん待ち受けている。けれど、父との約束を、冷たい水を飲ませてあげるね、という約束を叶えてあげられるかもしれないという小さな希望が生まれている。

そして今日、約束通り、父はまたりすちゃんに会うことができた。ここ数日私たちとは視線が合わない日々だったけれど、りすちゃんがきた途端、目に力が入ったのがみてとれた。りすちゃんが見せた花の写真をみていた。手をぎゅっと握り返してくれた。

私のことは、昨日までてんで無視していたのに、「お父さん、頑張ってくれてありがとう」と言った瞬間に、目を合わせてくれた。少し違った形になったけれど、万感の思いを込めて伝えたありがとうだ。

これは奇跡かもしれないね、と母に言ったら、母はこう言った。
「奇跡なんて言わないで」と。

ハッとして、
母と二人同時に声に出した。

「奇跡じゃない。お父さんの力だよね。」

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ここまで読んでくださった方、重い話でしたのにありがとうございました。私たちは、父がどうしたいか、父の希望は何か、ということにシフトして、治療方針を選んでいくことにしました。峠を越えた今、ようやく選択肢ができたからです。

思えば、父は一生懸命、私に伝えようとしていた気がします。いろんなヒントをくれていました。これからどうなるかは明日になってみなければわかりませんし、サイレントモードにできない日々は続くでしょう。けれど、今日は久しぶりに晴れやかな気持ちになれました。だから、今の自分の気持ちを残しておくことにしました。

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