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旅行好きが年間12着チャレンジをして失敗したので、旅先にドンピシャな服を買おうチャレンジをした

ファッショニスタもすなる「年間12着チャレンジ」といふものを、旅行好きのわたしもしてみむとするなり。

……。

無理や。

という結論に落ちた話です。

年間12着チャレンジとは

その名の通り、1年に服を12着しか買わないことである。

多くの女性はたくさんの服を買う。
特段ファッションが好きなわけでもない女性であっても、だ。
去年自分が服を何着買ったかわからない女性は多いはずだ。
しかも、去年服を何着も買ったはずだが、それをクローゼットに眠らせたまま、まともに着ずにメルカリで売った、そもそもどこにいったかわからない、みたいな人も少なくないはずだ。

無駄では?
その買った服、無駄だったのでは?
ということで生まれたのが、年間12着チャレンジだ。

1年に12着、1ヶ月に1着しか買えない。無駄な服を買う余裕をそもそもなくしてしまおうという試みだ。

1年に12着しか買えないとなると、当然そこには取捨選択が生まれる。「買うか悩むな〜」のレベルの服は買わなくなるはずだ。その買うかどうかを悩む服を買ってしまうと、今年帰る服の残機が減る。

年間12着チャレンジをする人は、服の無駄買いをやめたいという人が多い。が、それは経済的理由、お財布事情というよりも、「着もしない服をばかみたいに買ってしまう自分から卒業したい」という気持ちが大きいように見える。

わたしも無駄買いをしている自覚はあった。
ユニクロで期間限定価格につられて買ってはみたものの、全然着ていない服がたくさんある。

そもそもそんなに服の数って多くなくてよいのだ。特に冬服は毎日洗うわけでもないし。

というわけで、わたしも年間12着チャレンジをしてみることにした。
そして、すぐに壁にぶち当たった。

ここで、そういえばわたしは旅行が好きだったことを思い出す

旅行が好きだ。
寒い土地も、暑い土地も好きだ。
東アジアや東南アジアならまだしも、それなりに距離の離れた国に行くなら、1週間程度の旅になることが多い。

しかも、遠い異国の気候は、日本のそれとは違う。
マイナス40℃の世界。
50℃の灼熱の土地。
雨季で日本の梅雨どころではない土砂降りに襲われる地域。
日本では考えられないような低湿度の乾燥地帯。

何をどう考えても12着で乗り切るのは無理だ。

装備としての服、アイデンティティとしての服

わたしの記憶が正しければ、家庭科で習った衣服の役割は、大きく分けてふたつだ。

①装備としての服。
身を守るためのもの。暑さや寒さ、雨風、紫外線、あるいは獣や虫などあらゆる動物から人を待ってくれるもの。

②アイデンティティを示すための服
地位、所属、他者からどういうふうに見られたいのかを表現する手段。

①の典型例としては、軍隊の迷彩服だ。丈夫で軽く、発見されにくい柄の服は、明らかに装備としての服だ。

②の典型例としては、卑弥呼をイメージして欲しい。卑弥呼が下々の者と同じようなシンプルな貫頭衣を着ていたとは考えにくい。あなたが想像する卑弥呼は、冠をかぶっていたり、勾玉のアクセサリーのようなものをジャラジャラつけているはずだ。勾玉自体に物理的に身を守ってくれる効用はないが、地位を示すためのアクセサリーとしての効用はある。

我々の、特に都市部での日常生活では、②のアイデンティティを示す服として服を着用することが多いのではないかと思う。

ついつい無駄な服を買い過ぎてしまうのも、アイデンティティがひとつに定まっていないからだ。あんな自分にもこんな自分にもなりたい。こなれたカジュアルな服装にも憧れるが、たまには女性らしい女子アナコーデにも挑戦したい。キャリアウーマンらしい気品ある服装にも興味がある。その迷いがクローゼットを肥らせる。

②において、年間12着チャレンジは極めて有効だ。
年に12着しか買わなかった。その果てに、自分がそのたった12枚のカードを、一体どんな服に使ったのかがわかるだろう。それが自分が最も望むアイデンティティということだ。アイデンティティ迷子からの脱却の手段として、年間12着チャレンジは有効だ。

が、旅行、しかも遠い国への旅行となると、服はい①、すなわち身を守るものであらなければならなくなる。

極寒の地に行くなら、気合の入ったダウンコートや防水防寒パンツ、防雪シューズが必要だ。

紫外線が強い地域に行くなら、涼しくも肌を覆い紫外線から皮膚を守ってくれるものを。

隙あらばスコールが降る地域なら、撥水、もしくは水に濡れても気にならないサンダルなど。

様々な気候の土地に行きたい人間は、年間12着チャレンジなんてものは、そもそも成立しないのである。「その服で極寒の土地から無事帰ってこられるかなチャレンジ」とかならできる。死の危険がある。

とはいえ、無駄な服は買いたくない。
わたしは、年間12着チャレンジを諦めるかわりに、「旅行先にドンピシャな服を買おうチャレンジ」をすることにした。

旅行先にドンピシャな服を買おうチャレンジとは

まず、行き先を決める。そして旅程も決める。
旅程で巡る場所を、googleで画像検索する。

「イスタンブール グランドバザール」と検索して出てくる画像
「シカゴ 冬」と検索して出てくる画像
「ダナン 服装」と検索して出てくる画像

トルコのイスタンブールのグランドバザールには、夏の東京と同じような格好で行けそうだ。それもそのはず、調べたところ、東京とイスタンブールな1年を通して気温が似ている。違うのは湿度だけだ。

アメリカのシカゴの冬はなかなか厳しそうだ。吹雪いているし、地面に雪がしっかり積もっている。ウールののコートや、スニーカーなどで行くのはやや無謀に見える。

ダナンはベトナムの都市だ。かなり暑そうだし、日傘を差している女性、パーカーらしきものを着てフードを被っている女性がいる。ということは紫外線が強いのだろう。真夏の沖縄に行ったことがある人ならわかるかもしれないが、亜熱帯や熱帯の直射日光は「痛い」。ジリジリ暑いとかのレベルではなく、本当に「ビリビリ痛い」。ダナンに行くなら、何かしら日光から皮膚を守ってくれる服が必要かもしれない。

次に、行き先に行った人の旅行記なども適当に読む。「(地名) 7月 服装」などと検索すれば、高確率で服装について言及している旅行記に辿り着く。

こういった旅行記では、たとえば「どこどこの教会(や、寺やモスク。主に宗教施設)では女性はロングスカート必須。髪を隠すためのスカーフも必須」など、気候を調べただけではわからない情報を得られるのがよい。

これらの情報を総合して、自分が揃えるべき旅行先ワードローブを考える。

そして足りないものがあれば買い揃え、いざ現地に行く。

現地で足りなかったもの、もしくはせっかく買ったのに使わなかったものがなければ「旅行先にドンピシャな服を買おうチャレンジ」は成功、あれば失敗だ。

服選びはリスペクト

このチャレンジのいいところは、我々都市部に住む現代人が忘れかけている、「装備としての服」を選ぶセンスが磨かれるところだ。

我々温帯の都市部に生活する者は、基本的に気候のことをなめている。というか、気候を服でなんとかしようという気持ちがあまりない。もともとが過ごしやすい気候だからだ。

10月の北海道に、うっかりトレンチコートで行ってしまった東京や大阪からの旅行者が凍えたりしている。

日本で流行っていたヒラヒラマーメイドスカートで雨季の東南アジアに行ってしまい、なかなかヤバい虫に噛まれてえらいことになった女性、などもいる。

わたしが思うに、その土地の気候や状況にあわせて服を選ぶのは、その土地に敬意を払うことだと思う。
行き先のことをよく調べもせず、いつもの自分の感覚で突っ込んでしまうのは、行き先へのリスペクトがない。
そしてリスペクトなき旅人はなんらかの制裁を受ける。容赦ない自然からの制裁だ。

冠婚葬祭になめた格好で行ったら、あの人はこの場へのリスペクトがないね、ということになるだろう。だからこそ服装マナーがあるのだ。

服の役割には、装備としての服、アイデンティティの表現のための服の2種類があると言ったが、どちらにせよ、出向く先に相応しくない服装で突撃するのはマナー違反だ。②ならまだ眉を顰められる程度で済むが、①は普通に命の危険がある。①は真面目に選ばざるを得ない。下手をしたら死ぬので。

①の文脈で適切な服を選ぶことは、それは②で適切な服を選ぶセンスにも繋がるだろうと思っている。

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