キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません

1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。

4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。

5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

8 肉にある者は神を喜ばせることができません。

9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

(ローマ8:1~9)

上記は、御霊を受けたパウロの証です。御霊は真理です。

神の愛は、御子の血の注ぎだし(購い)によって、イエスを信じるわたしたちが、御霊を受けられるようにしてくださったことです。

神の霊の力が「罪からの解放」をもたらします。御霊は律法を成就します。

これが、イエスを信じる信仰です。

この意味を体験で知る人が少ないのです。御霊によって、イエスの教えすべてを行うことができます。「律法を成就できる」とわたしが書いていることを、パウロはこう言っています。

「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」

栄光の神があなたがたと共にいてくださいますように

アーメン


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