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「家で死にたい」の本当の気持ち

高齢者を含む家族に良くある話です。
具合の悪いおじいちゃんは家で死にたいと言い、お世話をしているおばあちゃんは面倒見られないから病院へ連れて行きたいと話す。
介護が必要な高齢者を支援している訪問看護ステーション、介護の現場ではよくあるのではないでしょうか。

正論としては、治療で回復する可能性があれば病院へ搬送その後在宅へもどる、治療の甲斐がないようであればそのまま自宅で安寧を優先にすると言われています。

でも、お祖父ちゃんの家で死にたいという気持ち、おばあちゃんの面倒見られないという気持ちの裏側内側を考えますと、
家で死にたい→知らないところに行くのは怖い、おばあちゃんと一緒に居たい、この前の病院の治療は痛かった、いったん家を離れたらそのままどこかへやられてしまうのではないか、おばあちゃんと離れるのは寂しい、一緒に長く生きたから充分だ
他にも、高齢者は自覚症状が乏しいこともあるのかもしれません。家で寝ていると当然奥さんがみんな面倒を見てくれていると苦しくもないし、痛くもない、このままじっとしていたい、家で楽だから。

一方おばあちゃんの気持ちの裏側内側は
面倒見られない→おじいちゃん具合が悪そうで一緒にいるのが怖い、疲れている、腰が痛い、昨日も眠れないかった、どうしたら良いかわからない、いつまでやればいいのかわからない、おじいちゃんは時々大きい声出したり、苦しそうなのを見ているのが辛い

様々な気持ちがあるのだと思います。でも自分の気持ちを言葉にするという訓練を受けていない世代です。
黙っていればわかってもらえる、伝わると思ってのすれ違い。

おじいちゃんの家で過ごしたいは一人でなくておばあちゃんがいるからです。
おばあちゃんの面倒見られない辛い気持ちはいつまで続くのわからない不安からくる言葉
と考えて今後の方針を決めるのはいかがでしょうか。
できれば子供たちも少し精神的にも体力的にも余裕があるときに関わりをもつことが大切。

もし亡くなった時も家族の方に満足感があるときとない時でその悲しみは変わってきます。あの時こう話し合った、こんなことがあったという思い出が看取りの気持ちを満たしていくと考えてします。

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