在り方について
皆さんこんにちは、マンチーニです。
タイトルの在り方の厳密性については措くとする。
あらゆるものがスペクタクル化されたこの社会、そして世界をとてつもないスピードで内化する資本主義の中での在り方について。
私は今まで、勢いを増す濁流に飲まれながらも抵抗することを意図していた。
しかしながら、ここ最近は奈落へ堕ちていく様子の方が適切ではないか、と考えている。
それぞれ固有の質量が度を越した加速度を以て、またその加速度を増しながら、奈落の底へと突き進んでいる。
いつ奈落の突き当たるか分からないまま。
質量とは、実存/現存在のことである。(この場合、還元主義は全く意図されないし、存在との関係に関することなので存在自体の比喩として適切で無くとも何ら問題は無い。)
加速度とは何であろうか?
それを欲であると仮定する。(殊、人間においてはであるが、奈落(=地獄)に堕ちる罪として一般的であることも示唆的である。)
その場合、その法(ここでは物理法則)自体を変化せねばなるまい。
フェアトレードのコーヒー豆、動物実験を行わない医薬品、ガラスの天井、これらは何ら法に対して作用しないばかりか法の上でしか機能し得ないという意味で脆弱であり、テンポラルなものでしかあり得ない。
ただご存知の通り、新たな法を立論することは極めて困難かつ突発的なものである。
奈落の底を可能な限り早く確認する、加速主義者。
ただ落下を受け入れるネオニヒリスト。
法をひっくり返そうとするアナキスト。
落下の衝撃を和らげようとする反出生主義者。
者/イストであることが肝要である。(殊、人間の話をしているので。)
これを書いている間にも私は落下し続けている。
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