見出し画像

【母の日】これまで一度も感謝の気持ちを形にしたことがなかった私が、サプライズで地元の駅に母への手紙を掲載した話。

こんにちは!レバレッジ広報の三好です。

今年の母の日。
母に内緒で、地元の駅に、母への感謝の手紙を掲出しました。

恥ずかしながら、私はこれまで母に対して、感謝の気持ちを言葉にしたことも、何かプレゼントを贈ったこともありませんでした。
幼い頃から今も変わらず家族が大好きで、これといった反抗期もなし。
4人の兄弟全員に対して平等に愛を注いでくれる両親。
生まれ変わってもまた両親のもとに産まれたいと思うほど、感謝しています。
でも、それをきちんと言葉や形にして伝えたことがなかったんです。
ちゃんと伝えることが大切だと頭ではわかっていたものの、年を重ねるほど余計に照れくさくなって、きっかけを掴めずにいました。

今回は、そんな私が母の日に書いた手紙について綴りたいと思います。

1. はじめに

皆さんは、日頃から感謝の気持ちを言葉にして伝えていますか?

ある日、広報チームでの企画会議で、母の日の企画が議題に上がりました。

「母に感謝の想いを伝えたことがない、照れくさくて伝えられない、そんな人はたくさんいるはず。そんな人たちの背中を押すような企画をやりたい」

広報チームで話し合った結果、私の地元の駅に母への手紙をポスターにして出すという企画案が出ました。
先ほど述べたとおり、まさに私自身が、母に感謝を伝えられない人の1人。
そんな私が最も母への思いを馳せていた場所が、地元の駅のホームでした。

実は、この提案を受けたとき、最初は断ろうかと思っていたんです。
私の母は、どこにでもいるようなごく普通のお母さんだし、普通の家庭に育ってきたし・・・
皆さんに発信できるような特別なエピソードなんて思い当たらない。
なんせ、今さら改まって感謝を伝えるのは恥ずかしい。

でもこの機会を逃したら、私はきっと一生、感謝の気持ちを言葉にすることはないかもしれない。
そう思ったので、「ぜひ私にやらせてほしい」と引き受けることにしました。
こうして私は初めて、母に感謝の想いを形にして伝えることになったのです。

2. 母への想い

まずは母とのエピソードや想いを整理することから始めました。
家族構成や幼少期の思い出、学生時代の習い事や部活動、受験、就職活動・・・
時系列順に、自分自身の人生を振り返っていきました。
何の変哲もない、きっと多くの人が経験してきたようなありきたりな人生だと思いつつも、1つずつ思い出していくうちに気づいたんです。

生まれてから今日までの全ての思い出、全ての節目の出来事で、必ず母の姿があることに。

それがどれだけすごいことか、私はわかっていませんでした。
私の母は、「どこにでもいるようなごく普通のお母さん」なんかじゃない。
お父さんに言えないことも、兄弟でケンカしたときも、先生や友達に相談しづらいことも、受け入れてくれたのはいつもお母さん。
私が「普通の家庭」だと思っていた我が家は、お母さんが自分の時間を家族のために費やし、自分よりも常に家族を優先してくれたおかげでつくられた「特別な家庭」でした。

私は今年、母が私を産んでくれた年齢と同じ年になります。
今の私にそれができるだろうか?
母の偉大さが身に沁みて、早く母に会いたくなりました。
会って、顔を見て「ありがとう」って伝えたいと思いました。

3. 当日のこと

手紙を掲載したのは、香川県観音寺市にあるJR観音寺駅。
私が生まれ育った故郷です。

大学進学を機に親元を離れて上京し、一人暮らしを始めました。
お盆休みや年末年始に帰省していたのですが、観音寺駅に着くと生まれ育った地元に帰って来たという安堵感が溢れます。
それと同時に、東京に住んでいる私はあと何回、この地に帰ってくるのだろうか、両親に会えるのだろうかと考えることがあります。

大学生の頃から母は、帰省すると必ず観音寺駅まで送り迎えをしてくれます。
だからこそ、ホームに立つといつも、手を振ってくれる母の姿を思い出すのです。

5月14日(日)
始発に近い電車に乗り、東京から観音寺駅へと向かいました。
母には事前に、この日の午前中の予定を空けておいてほしいとだけ伝えておきました。
何も疑うことなく、素直に空けてくれていた母。(これもまた母のいいところ)
今から帰るよと、突然の連絡にも関わらず、いつものように駅まで迎えに来てくれました。

JR観音寺駅のホーム

「何しに帰ってきたん?え?なにごと?」
何も知らない状態でキョロキョロしながら、いつまでも一人で話し続ける母をホームに連れて行きます。

母の日だし手紙を書いたから探してきて、とだけ伝えて母の後ろを歩きました。

母の涙を見たのはいつぶりでしょうか。
もしかしたら初めてかもしれません。
母のことだから笑顔で読んでくれるだろうと思っていたので、予想外の反応に私も涙がこみ上げてきました。

母娘2人揃って、駅のホームで泣いて笑って。
気づけば駅員さんも見に来てくださり、観音寺らしいあたたかさに包まれた、幸せな時間を過ごしました。

母の日。
たくさんの人の力を借りて、母に「ありがとう」を伝えることができました。
正直、日常的に素直になるのは難しいかもしれません。
やっぱり照れくさくて・・・
でも、たまには、ちゃんと目を見て想いを伝えたいと思います。
お母さんはもちろん、全ての大切な人に対して。
今回の企画を通して、改めて実感することができました。

4. 母とVALX

最後に、母とVALXについてお話しさせてください。

昨年7月頃、私は転職活動を行っており、ちょうどVALXを運営する株式会社レバレッジから内定をもらったところでした。
実はこのとき、転職先が決まったことはおろか、転職することさえも家族に報告していませんでした。
お盆休みで帰省するし、その時に伝えればいっか。
そんな風に思っていたんです。

実家に帰ると、キッチンに大量のプロテインが並んでいるではありませんか。
購入した張本人であろう母に聞いてみると、

「これ知っとる?『プロテイン 美味しい』って検索したら出てきたんやけど、本当やった!スポーツクラブから帰ってきて飲むんがたまらんのよ!感動やわ!!」

と、めずらしく熱弁。
そうです。まさにそのプロテインこそが、VALXだったんです。
私が言うより先に、VALXを知っていたなんて驚きました。

お母さん、私、そのプロテインの会社に転職することになったよ。
そう伝えたら、嬉しそうな顔をして一言。

「ということは・・・これからは私の分もプレゼントしてくれるってこと!?」

今では、公式LINEやSNSを駆使して、我先にとVALXの最新情報を集めるほどVALXファンになっている母。
ちなみに、1番好きなフレーバーは、バナナ風味だそうです。
この前までは、レモネード風味が1番だって言っていたような気がするんですけどね(笑)

そんな母が大好きなプロテインの会社で、私は今日も元気に働いています。
もっとたくさんの方にVALXを好きになってもらえるように、そしてその方の日常がより豊かになるように、これからも走り続けるつもりです。

だからお母さん、この先もずっと、1番近くで応援していてください。
いつもありがとう。これからもよろしくね。

母と私。この先もずっと自慢の母です。


【手紙全文】

お母さん、
いつも駅まで
送り迎えしてくれて、
ありがとう。

小学生の私を毎朝5時に起こしてくれて、ありがとう。
競泳選手になりたい私を車で送ってくれて、ありがとう。
車の中で食べるおにぎりをつくってくれて、ありがとう。
中学生の私を毎晩迎えにきてくれて、ありがとう。
ひとりだけ遅い私の晩ごはんをつくってくれて、ありがとう。
晩ごはんを食べる私のとなりにいてくれて、ありがとう。
高校生の私を新体操部に入れてくれて、ありがとう。
レオタードにスパンコールを縫いつけてくれて、ありがとう。
大学の入学式と卒業式についてきてくれて、ありがとう。
大学院に行きたいことをお父さんに伝えてくれて、ありがとう。
受かった大学院に行かないことを理解してくれて、ありがとう。
チアパフォーマーの夢を応援してくれて、ありがとう。
好きなプロテインを熱心に教えてくれて、ありがとう。
そのプロテインの会社に入ることを驚いてくれて、ありがとう。
気づけばいつもそばで支えてくれて、ありがとう。
顔を合わせると照れくさいので、この場を借りて感謝を伝えます。
このホームにくると必ず、お母さんの顔が浮かぶよ。
私もうちょっとで、お母さんが私を産んだ年齢と同じ年になるよ。
お母さん、私の名前をつけてくれて、ありがとう。

かなみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?