みなさんは「文末表現」をどのように選んでますか?
こんにちは、あーるぐれいです。
毎日の生活を「見直す」
違和感に「気づく」
ささいなことから「工夫する」
この3つのポイントから見つけた、自分の心を整えるための「チルタイム」を書き留めています。
最近、自分で書くようになってから、さまざまな人のブログや記事をより読むようになりました。
今回は、読んでいるうちに気になったことを書いてみたいと思います。
ブログの文末表現は「です・ます調」と「で・ある調」どっちを使ったほうが良い?
大した問題ではないかもですが、気になったので考えてみます。
「で・ある調」は権威があってかっこいい感じ
「で・ある調」で書かれたものは、読み手になんらかの権威というか専門性を感じさせる感じ。
はっきり言い切れるところが、個人的にかっこいい文章だなと思います。
「です・ます調」は穏やかで優しい感じ
私が今使っているのが「です・ます調」。
「で・ある調」に対して、柔らかさは感じますね。
ただ、「で・ある調」よりはインパクトに欠けるかなと思います。
「でしょ!・だよね!」みたいにフレンドリーなのも可愛い
ブログではなくメールマガジンで、最近このようなフレンドリーな文章を見かけました。
すごく元気な感じで始まるので、ちょっとビックリすることもあります。
友達感覚というか、読み手との距離感を縮める方法として使えますね。
文末表現のパターンが多いのは敬語が原因?
日本語で文末表現の種類が多いのは、敬語に原因があるのかも。
そこで、さっそく敬語はいつから使われているのか調べてみました。
敬語のルーツはかなり古い
「敬語」と聞いて、すぐに浮かんだのが「源氏物語」。
学生時代、原文の敬語が難しく、読むのが大変だったのを思い出しました。
調べてみたところ、敬語のルーツは「源氏物語」の中世よりも前の時代、古代までさかのぼるとのこと。
昔の日本にあった身分社会で、上下関係を示すための敬語は必要不可欠だったということも書かれていました。
また、敬語の中でも最初に生まれた尊敬語は、もともと神様を下ろしたり送ったりするような神事で使われていた「祝詞」がルーツかもしれないという説もあるようです。
もともと神様へ使っていた言葉が、貴族たちの言葉と混じり、敬語が誕生したということですね。
尊敬語や謙譲語がまったく違う形になってしまうのも、もともとの語源が違うと考えると納得できます。
現代において敬語はどのくらい必要?
現在では、昔ほど上下社会や身分社会が厳しくはありません。
それでも、さまざまな場面で暗黙のルールは存在しています。
また、敬語を使うことで、相手に対して無条件にうやまう気持ちを持っていますよというアピールをしている時もあるかもしれません。
敬語を調べていたら文化庁のホームページに辿り着きました。
もはや、敬語は日本文化という位置付けなのですね。
まとめ:ブログは相手が見えないから文末表現に迷うのかも?
まとめが疑問形っていうのもどうなの?という感じですが、これが今回の私の疑問への回答です。
見えない読み手に向かって、どのような関係性で話したいのか、書き手が決めなければなりません。
とすると、あとは書き手の性格次第、ということでしょうか。
あるいは、マーケティング手法で使われるペルソナ(商品やサービスを売りたい架空の人物像のことです)設定次第かもしれません。
私の文章は、なんとなく見出しは「で・ある調」、本文は「です・ます調」になっていることが多い気がします。
本来はどちらかに統一するべきですが、見出しを「です・ます調」にすると長くなるので、「で・ある調」というか体言止めになっていることが多いです。
文末表現ひとつをとっても、日本語ってバラエティ豊かだな〜というのが今の感想です。
いい気づきになりました。
ここまでご覧くださってありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
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