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男尊女卑のない光る君へ

全く知らなかったのですが、NHKで大河ドラマ「光る君へ」が始まったようです。
源氏物語を書いた紫式部の話だそうです。
ドラマは興味ありませんが、この時代の前から思ってたことがあります。
今から1000年前に紫式部や清少納言など女流作家がいて、執筆が公開されてました。日本では古今和歌集や万葉集など女性作が多く、天皇の歌と平民の歌が同列に並べられていました。
これらは、西洋では考えられないことです。
西洋の公開された女流作家は諸説あり18や19世紀、雲泥の差です。
ましてや、ローマ教皇の語りと女性の語りが同列に扱われるなんてあり得ません。

世間は、西洋がレディーファーストで女性に優しいと思い込まされてますが、全然違います。女性が虐げられてきた歴史の反動です。
比較な話ですけども、日本では女性が特別虐げられた社会ではありませんでした。
女性が自由に表現して、それを評価される。
宮廷貴女だけでなく庶民の女性でも、そんな区別もなく中身を認められる風土。
同時期の中世欧州や大陸では、女性は男の従属物扱いで社会に表現するなんてあり得ない、目立つ行為には魔女というレッテルで狩り処刑されました。

織田信長に接見した宣教師フロイスの記述です。「日本の女性は望むまま自ら離縁し名誉を失わない。勝手に出かけたり酔っ払ったりしても咎められない」
このように書くという事は、西洋では逆だったということでしょう。
江戸時代は女性から離縁し何度も再婚する、女性にこそ拒否権がある、その他の江戸時代情報には女性の自由な話がたくさんあります。

幕末から明治維新となり、多くの外国人が江戸文化残る日本風土に驚嘆しました。
女性の裸から視線を外す文化があり、行水や混浴も成り立ちます。治安も良く、盗みもない衝立てだけで了見する、外国人に対するぼったくりもない。開国で訪れた外国人は自分たちの方が文化が劣っていると感じた記述が多くあります。
その後、日本も洋式になり、男女を隔離して、かえって性モラルが低下しました。


現在の日本が男尊女卑な社会と思っている方は刷り込みです。
たまたまそんな家庭で育ったのは、単なる個別例です(互いの思い込みの相乗効果)。
産業社会の中で男性優位な仕組みのまま現在も残っているのは事実です。
女性差別という言葉に逃げると、自分もそんな社会に加担していることになります。

従うのが好きな女性を見下してもいけません。
従うのが好きな男性もたくさんいます。
従うのが好きな犬ちゃんたちを否定することになります。
個人の嗜好と思想的な制度とは違います。
また、DV被害は女性の方が多いでしょう。しかしそれは、差別ではなく犯罪です。

儒教の男尊女卑の影響があるのは事実です。
ちょっと前までは儒教の本場の半島では、その家に迎えられた妻は姓も貰えず、敷居に上がる事もできず土間で過ごし、文字通り子作りと雑用に利用されたそうです。日本ではさすがにそこまではありません。
江戸時代の忠君思想のために朱子学を原理主義のように利用した側面もあります。松平定信という堅物によって定着させられ、その影響で上下秩序が家庭にまで及んだことでしょう。


そもそも聖書から、女性のイブは、アダムのあばら骨から作られたとする男の従属物とする思想を植え付けてます。
古事記では、女は賢い、男はバカ、そんな色わけです。
インドヨーロッパ語系(コーカサスから生まれたアーリア人)の言語では男性名詞・女性名詞と分類されてます。根拠も諸説バラバラです。現在は別にして男女を区別する概念だったのでしょう。
平安貴女の間で、ひらがなが発展しました。現代で言うギャル語の様に流行り言葉などで遊んでました。御御御付け(おみおつけ)なんて、わざと丁寧語を重ねたふざけた言葉が残る位、女性が文化を作ったりするのは今と変わりません。

manとwoman、manの従属です。
maleとfemale、maleの従属です。
男と女、女を男偏で表現したりしません。
フランス革命の人権宣言、人は平等であるの“人”はman、白人男性は平等であるということです。女性は入ってません。
女性と奴隷を従属物に区別してます。
日本では男と女の区別はないどころか、牛も馬も家族です。奴隷という発想もありません。

レディーファーストは反動です、LGBTも反動です。
欧州では、数十年前まで同姓愛者は法で犯罪でした。
インドあたりでは、同性愛者に対する殺人事件も起きてます。
日本では戦国時代から男色は公然です。

話を広げすぎましたが、日本だって改善すべきことは多々ありますが、他国と比べて女性軽視は薄い、などと歴史を知るとわかります。
むしろ他国が酷くて、明治以降に影響されて悪くなったくらいです。
大河ドラマの番宣を見て、つい書いてしまいました。

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