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緊急時の避難に非難の美談

美談で語られている事は、時に結果論だったりします。
あなたは、自分で判断することと、人に指示されることが違った場合、どうするのでしょうか。


1月2日、羽田空港の衝突事故がありました。
飛行機が炎上しているのを機内から確認してる乗客が、15分(諸説ある)もじっとCAの指示を待ってました。
座席に座って従順に待ってて素晴らしい国民性だと評価されますが、これは結果です。
ある瞬間に引火し爆発しなかった結果論です。

CAの的確な指示で訓練の賜物と評価する声もあります。
しかし、90秒で乗客全員を機外へ脱出させる「90秒ルール」があるようです。
CAの指示も単なる「落ち着いて下さい」レベルで、結局はただ機長との連絡に手間取り15分も待たす。成功じゃなく失態だと私は思ってます。

もし爆発して乗客が大量に焼死していたら、15分も待機していた乗客も乗務員も非難されるでしょう。
多分、海外だったら、自ら機長にかけ合ったり、自らCAと交渉して脱出口を開けたりするでしょう。
そんな勝手だと非難するでしょうが、仮に脱出直後に爆発したら美談になるのでしょう。
(あの事故が捏造なく報道通りだった場合の話です。真偽不明です)


逆の事例があります。
東日本大震災の大津波で74人が死亡となった大川小学校
報道によると、地震後に生徒は校庭に避難して、先生の指示に従ってずっと待機してました。
地震発生から津波到達まで50分の時間があり、校庭から走って1分で登れる裏山がありました
津波警報が出ており、保護者も児童も先生の1部も、山への避難を訴えていたそうです。
それなのに、「落ち着いて」などと無駄な指示をしながら協議だけが続きました。
そして津波が来て、多くの子供がのまれていきました。

1部は先生の指示に従わず、裏山に逃げた子どもは生き延びました。
生き延びた子どもを、後に”奇跡の少年“と称されて美談にするのもありますが、それも違うと思います。
もし津波が来ないで全員生き残っていたら、指示に従わず裏山に逃げた子供は非難されていたでしょう。


結果的に津波が来た。もし津波が来なかったら。
結果的に爆発しなかった。もし爆発してたら。
美談は、すべて結果論です

日常と非日常のスイッチを切り替える、そして状況に合わせた最善の行動を判断する集中力が重要なのだと、私はこの2つの事故の中の事件性を対比に考えます。
避難に非難も美談もありません。
判断の責任です。

緊急事態な人生の判断。
人生の成功も失敗も結果論。
だから成功も失敗もないのでしょう。


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