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発達障害児童を作っている疑惑から、AI社会の能力差



知人の息子さんが発達障害だと認定された時の話です。
低学年の小学生ですが、クラスの中で人とコミニュケーションが取るのが難しく、学力も人以上に理解度が低いということです。
保護者である知人が校長に呼ばれて、他生徒について行けない様だから、特別クラスに移動し、それ専用の授業を受けるように促されたようです。
その知人は言いました。
「ウチの教育は、人と比べないことです」
これで校長は困ったようです。

私としてはしてやったり、教育者側である方が、児童を人と比べてます。
人と比べない教育の基本なことを、教育者が教育されてどうすんだという感じです。
地方自治体で予算を計上したから、人員を配置し対象者を確保することで活動実績をあげたい、そんなことであろうと邪推します。
中央行政のご通達に従い、送り込まれた行政官と共に活動することで、組織利権化していくことでしょう。
そんなお上の意向で、生贄となる児童が多いかもしれないと、考えたりします。


人と比べない教育。

原則はそうであるべきだと思いますが、
考えてみれば、学校教育は比較がメインになってますね。
偏差値も、テスト平均点も、合唱会も、体力測定も、健康診断さえも。
基準値や競争など全部比較ですね。

学校がそうだから、生徒同士も比較しますね。
モテ度も、陽キャ度も、リア充度も、推しの推し度も、グループ内か外かも、
他者とのレベル分けします。

そんな学校を経て社会に出て、
人と比べるなとは無茶な話です。
ましてや、過去の自分と比較する「成長」なんかも、いらない話かもしれませんよ。


……。
ここまでは、今までの常識での考えです。
実はここまで書いてて、自分でも常識に捉われているのに気づきました。
これからのAI社会で、私たちの能力差は関係なくなる時代がもう来るでしょう。
人の能力が大事な仕事こそ、AIの得意分野です。
よって、能力差を比べる教育から、そもそも共通する学校教育が不要になると思います。
個人的に努力でつかんだ教育された知識は、全世界の情報から的確に選別して提示されることに、勝てるわけないです。
法務、医療、財務、事務など技術的に可能です。それぞれの業界が抵抗しているだけに見えます。

AIを脅威に思う風潮ですが、私はAI社会に楽観できる面を持って期待してます。
例えば女性は、今までは生きるために、収入が高い人や学歴が高い人を無意識に好んでいた社会から、能力差はAIから見たら目くそ鼻くそになり、能力なんて無意味になるから、本当にエネルギーが合うという事だけで、お互いに選べる時代になるのではないかと考えます。
見た目を重視する意識も、他者より優れている人を好む原因です。微妙な優位性なんてAIによって無価値になるかもしれません。

その他、今までの常識をホントに疑ってみましょう。
学業成績に悩む親子は、そんな悩みは不要だったねと笑える時代が来るかもしれませんよ。


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