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反戦運動を海外協力して募金したホームレス


さやかアシュタールさんのおかげで、私の記憶がパカーっと開くので、若き頃の話を書きたくなりました。


学生の頃、ある友人が、海外青年協力隊に参加したい、日本で働いても世の中に役立てないなどと言いました。
私は「おまえさ〜、自分の周りのことを中途半端に責任もってやれてないのに、そんな人間が外に出てもいい迷惑だよ」などと、ど直球で返してしまいました。
今だともうちょい柔らかく返す、いやもっと心をえぐるように返すかな?
特に若い奴は、自分の存在の軽さに耐えられず、外に広い世界で何かがあるなどと考えがちですが、中二病ならぬ、大二病とかですね。

人は、自分から同心円状に広がる延長線グラデーションに存在します。
自分→家族→友人知人→所属コミュニティ→地域→国→世界。
考えがどこかで飛び越えちゃうと、根が繋がらずグラグラになると思います。
家族が壊れた人や、友人がいない人はダメだと言っているわけではないです。
考え方が同心円に整理出来てないと、どこにいても整理出来ないだろうと思います。

自分の存在が危ういから世界平和運動に走る、
家族に軽蔑されたまま仕事先で尊敬を求める、
円が歪んでます。
そんな反戦運動に今も出されるジョン・レノン。
彼は意見の相違を超え手を取りあう平和を世界に訴えました。しかしビートルズのメンバーとは出来ませんでした。と考える私は未熟ですか?


同心円の飛び気味の募金について。
アフリカの貧しい村の子の里親になる、そんなうたい文句の活動に、若い私は募金を始めました。
募金には様々な懸念情報がありましたが、そこは子に直接お金が行くという事で長く続けました。
子から手紙や写真が届くのですが、どうも書かされてるというか、変な空気を感じるのです。
組織の公開される財務諸表など見るのですが、不明瞭な箇所が感じられます。
公開情報でこれですから、いろいろ考えて辞めました。
それ以来、募金はしていません。自分の中に答えはまだないです。


ホームレスについて思い出しました。
20代の時、制作者として幅広げようと青クサい私は、とあるトップ繁華街にいるホームレスの方に話しかけ、仲良くなりました。
お土産の食べ物を持ち、ブルーシートのお宅に何度もお邪魔しました。出された飲み物を躊躇を見せずに飲みましたよ。
たくさん話を聞け、若い自分には刺激的なリアルな社会を知りました。
その方は元刑事で、その後にヤクザ組織に入り、右翼活動を盛んにし今は抜け、それぞれの裏の側面や本音を聞けました。
ホームレスを利用する活動家もいて、ホームレスを集め行政に圧力をかけ癒着して資金を出させる動きも分かりました。
先ほどの同心円の歪みから始まったのか、最初から税金の寄生虫なのかはわかりませんが、NPO法人がホームレスを集め生活保護を申請し巻き上げるなどの時々あるこの手の社会問題、よく理解出来ます。
ホームレスに施した、というより、こっちが勉強になりましたね。
その方も、変な若僧が聞いてくるからだけど、嬉々として延々と喋ってましたよ。半分以上、何言ってるかわかんなかったけど。


いや〜、いろいろ思い出します。
友人の顔、外国の子の顔、ホームレスの方の顔、
記憶の扉がパカーっと開くのですが、記憶という概念も違うのはアシュタールさんの話から分かります。
様々な学びなのか、青くさい迷走なのか、自分ではわからないただの歩みです。
このnoteに昔のことを書くのは、無意識にこの世を離れる予感かなと思ったりしますね。

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