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感性で生きるこれからの時代

4年目になって安定してきた事業も
コロナショックでほぼ振り出しに戻った。
せっかく慣れたと思ったものもあっという間に崩してまた一から作り直し。

アナログ重視で生きてきた人間がデジタル化に伴い、慣れない作業に奮闘しているのだが、

自分の感覚
を頼りに生きてると、

私は私を妥協させてくれず
私は私をすぐ飽きさせる。
同じ景色を見続ける事や、
慣れたパターンをこなす事を許してくれない。
生もので新鮮なものじゃないと魂が入らない。
自分の感覚にGOサインがなかなか出ない。
マーケティングもビジネス論も完全無視してくる。

私の感覚は、
あれこれうるさくてワガママで飽きやすくてこだわり強く、
ときに無視したくなる。
いったい私をどこへ連れて行こうと言うのか。
自分に付き合うのに忙しい。。
それに付き合う私の周りの人々も忙しい。

これくらいでいいやって妥協したいのに、
"私の感覚"が許さない。

私の周りの人々は
誰も私を止めないし、
誰も私を指示しないけど、

"私の感覚"は

んーーなんかしっくりこないんだけどー

んーーーーもっと出来るでしょー

んーーーーーー慣れてきたらもう飽きたよね。よし、次の挑戦行ってみよか(๑・̑◡・̑๑)


とか平気でサラッと言ってくる。

えーーーーー!せっかく慣れてきたのにー!
いちいち疲れるー!

が本音である。

自分の感覚を頼りに生きるとは、
まるでかっこよく聞こえるし
何か気分の良いことのようにも聞こえるけど、
必ずしもそうではない。
毎回自分にびっくりするくらい、
"私の感覚"に従うことは苦しい。

誰と比べてでもなければ
世の中的な基準も全く当てはまらない。

自分の感覚がしっくりくるかどうか
の一択で自分に問う。

今週私のことを10年以上見ている愛弟子からこんなことを言われた。

Momoさんの言う、
根拠のない自信は、実は根拠あるんですよ。
世の中的に言う自信は、
自分が頑張ったことに対するここまで結果を出したという自信。
Momoさんの言う自信は、
自分の中の正解、自分の中の絶対的な信頼や基準値をホームとして確実に持っている。
だから、それは根拠なくないですよ。

こんなことを、13個も年下の賢い若手に言われてびっくりした。

自分でも気づかないことに気づかせてもらった。

私の根拠は"私の感覚"なのかと。

確かに在る。

絶対的に戻れるホームの基準値。

そいつは絶対に裏切らない。

一般常識は守れないが、信用出来る。

本業であるダンスを踊っている時には

必ずそいつと繋がる。

むしろ繋がらないと踊れない。

そいつは、

技術や練習量や知識なんて太刀打ちできないくらい

遥かに卓越した基準値を持っている。

万能の神のような役割を果たせる頼もしいやつ。

日常では姿を消しやすい。

一体この存在はなんなのだろうか。

私はまだこれを言葉に出来ない。

これは凄く本質的で絶対的なもの。

そして儚く見えず、感覚的なものである。




さて、
"私の感覚"はこのコロナの騒動をどう見ているか語ろうと思う。

うちはTVのコードはもう抜いてあって
ネットでの情報の取捨選択は、

一つの情報に対して鵜呑みにせず全て保留とし、あらゆる角度から見て感じ取ってみるという視点で捉えてる。

点と点を繋いでいくと
あぁなるほどな
こういうことかと、つながってくる。
もちろん自分で見て体験したものじゃないから全ては仮決定とする。

感覚を研ぎ澄ませて情報の採用/不採用の取捨選択をする。

そう、ここまであふれたピン切りの情報を
どう受け取り、どう解釈するは
もう個人の感性のみに委ねられる。

耳に入ってきた情報は頼りにせず
ちゃんと自分の意思で調べる。

情報が過剰に煽られて何らかの意図で捏造されてるものがたくさんあることに気づいた。

先日、母がリモート飲みで友人と話した内容を聞いて、
早くワクチン出来て欲しいわよねー
とおばちゃん達が話していたと聞いて悶絶した。

世界中でコロナワクチン大反対の大デモが起きてるというのに日本では報道されない。
私はこの期間にワクチンについても調べまくり、赤ちゃんの定期ワクチンをストップした。
全てのワクチンというものを一度疑うことをする。

家と家電とスマホには電磁波除去シートを張りつめて、この騒ぎの6割とも言われている5Gの対策に努めた。

マスクより必要なものがある。
コロナよりも目を向けるところがある。
ただボヤッと耳にするメディアを鵜呑みにしていたら完全に生き残れない時代に。

オーストラリアに住む兄も、
互いの情報交換を全くしていないのに全くおなじ答えを導き出していて、
お互いがそれぞれに母親に伝えていたと
母から聞いてびっくりした。
まさか兄弟でここまで感性が同じだとは驚きだしなんか嬉しい。

おそらく日本は真面目に盲目的に
みんな"一番良く耳にする"メディアを信じて疑わないのではないか。
みんな何信じてるの!?目覚めよ!
というムーブメントもネット界ではものすごく広がってコンテンツも溢れ返っている。
とても強烈で極端な形で。

超情報過太な中で選択する能力は簡単じゃない。

意識を取り乱されるし
自分の今まで信じてきたもの見てきたものは何だったのかとショックも受けるかもしれない。

必要なのは、

盲目的に、もしくは思考停止状態でものを信じるのではなく、

多方面から見て多方面からの感じてみて
選択する
という

開けた視野が大事。

最悪な可能性を視野に入れる勇気も。

変に楽観的にもポジティブシンキングであろうとする必要もないと思う。

ちゃんと絶望感を感じることも大事。

絶望感を受け止めないと次へ進めない。

何事もそうだけど、
仕事にしても、
ダイエットや家庭内でも何でもそうで、

現実を受け止めるというのが
一番痛い。
苦しい作業であったりする。

ちゃんと現実見て
ちゃんと絶望して
ちゃんと前を向く


そして、
思考停止でも生きていける日本
に終わりが来ている。

私は幼少期、日本の学校教育を受けていなくて、11歳で海外から帰国して日本の学校に通い始めて驚いたことがあった。

みんなで前へ習え教育

みんな一緒。
ルールだから、
こういうものだから
思考停止。
自分の考えはない。

学校が言ってるから
教科書で習ったから
親が言ってたから
会社がこう言ってるから
TVがそう言ってるから
○○がこう言ってたから
常識がこうだから

若いながらひたすら目の前の人や学校やルールと戦ってみたけど、
力尽きたから、
なにかを変えようとするのは諦めて、
何かに訴えかけるのも諦めて、
自分の情熱に没頭したティーンネイジャー時代。

若い私は、誰の洗脳にも耳を傾けなかった。

親の期待も
学校のルールも
社会のルールも
採用しなかった。
ひたすら自分の欲求と感覚に耳を傾けていた。

大正解だった。

そうして守られた感性は、
"私の感覚"は根拠のないけど根拠のある自信と出逢ったようだ。

奇跡に近い出来事だと思う。

これからもこの感性を守り、育てていく。

物質の時代から感性の時代へ。
ようやく私にとっては生きやすい世界になってきた。

それでも私にも
まだ無駄に採用してしまった"常識"なるものが在る。
全て捨ててしまいたい。
私="私の感覚"のみ
になることが2020の絶対的に達成したいところ。

無駄に取り入れた知識や集合体意識を全て手放して、自分自身に成る。


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