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散文詩 『I was born』の精読②

今回も引き続き『I was born』についてお話させてください。

『I was born』は、中学生の「僕」が、ふとしたことをきっかけに母の死と向き合う、というあらすじです。
学習者も同じくらいの年齢ですから、深く心に刻まれる作品ですよね。

この「心に深く刻まれる」というのは、読めば誰しも抱く感想ですから、作品の魅力に頼った読解になります。
そこから一歩進んで、「能動的な読み」=「精読」に挑戦してみましょう!

①なぜ父は「蜉蝣」の研究をしていたのか?
 「なぜ父は蜉蝣の話をしたのか?」とはよく見ると異なる問いで、読みの深さも異なります👉注意!

 父は無言で暫く歩いた後、思いがけない話をした。
--蜉蝣と言う虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね

「そんな事がひどく気になった頃」がいつなのか、ということがこの謎を解くカギになります。
それは、恐らく「妻の妊娠が分かった頃」、です。
更にいうならば、「出産には危険が伴うと分かった頃」でしょう。
そこで父は「生きること」「死ぬこと」を深く考え、妻とも何度も話し合ったのではないでしょうか。


②なぜ「或る夏の宵」なのか。
なんでもない設定のように思われるかもしれませんが、これはこの話の核心に触れる質問となります。


考えるヒントは、いくつかあります。
①父と一緒に、宵(夜の始まり)歩いていた。
②寺の境内を歩いていた
③妊娠した女性に対して、強い興味を「僕」が抱いた



ここから「墓参りの帰り」だったと推理することができます。
夏は夏でも、お祭りではなく、「盆」だったこと。
寺は「菩提寺」だったこと。
亡くなったお母さんのことを強く思っていたから、偶然歩いてきた妊娠した女性に、無意識ながら興味を抱いてしまった。

そうして、最終連で現在の視点から「中学生の自分」を思い出している。
どうして思い出しているのか。
それは「僕」もとうとう父親になる時が来たからだ。

参考文献
考える力を養う「読むこと」の授業実践─自ら問いかける「読み」を用いて─ (村上裕亮)

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