髙田祥聖の、かたむ句!②【金曜日記事】

月見草の明るさの明方は深し


第一回リブラ句会後の飲み会で「俳句とはなにか」という話が出た。記念すべき第一回は参加者が全員三十代以下の男子だったということもあり、「俳句とは……、俳句です」なんて言ったりして、酔っ払いさもありなんという様相であった。笑いもありつつ、それでも 、みんな一様に真摯で、すごく、楽しかった。

俳句とはなにか。その質問に対して「誰かが、わたしが、明日すこしでも生きやすくなる、生きやすくなる、ようにするちからがあるもの」とわたしは答えた。「誰かが」と言ったあと「わたしが」と言わなければ嘘になるような気がして、「生きやすくなる」と断言することはなんとなく躊躇われて、鳥が花を啄むようにひとつひとつ言葉にしていった。
その回答に「いかにも堀田季何の弟子っぽい!」との評をいただいた。そうかなあ、とも思うし、そうかもなあ、とも思う。そう言われて、素直に、嬉しかった。季何先生。先生だったら、なんて答えますか。

前回のブログでは「句友」の話をさせていただいた。二回目となる今回は「先生」の話をしたい。ありがたいことに、わたしには先生と呼べるかたが複数名いるが、それぞれに異なるかたちの師弟関係をしている。今回はわたしが所属している俳句結社「楽園」の話を交えながら。

わたしが所属している俳句結社「楽園」は堀田季何を主宰とし、俳諧自由の理念に基づき、2020年に設立された。電子媒体で発行される会誌「楽園」には有季・超季・無季、定型・自由律、具象・抽象、伝統・前衛などの様々な句が並ぶ。「詠みたいものを詠みたいように詠んでいい」という気風が、句会にも結社誌にもあり、その雰囲気がわたしには心地いい。

結論から言えば、わたしが楽園に入ることを決めたのは「堀田季何にお金を落としたい!」という気持ちからであった。
一年ほど前、わたしは季何先生の俳句教室に通っており、授業後の食事の席で句群を見ていただく機会に恵まれた。授業時間外なので、もちろんサラリーは発生しない。にも関わらず、一句一句丁寧に見てくださり、アドバイスまでいただいてしまった。そのことに対して、きちんとお返しをしなければと思った。門下に入り、きちんと会費を納めることで、胸を張って先生から学ばせていただこうと思ったのである。

わたしの場合は以上のような経緯であったが、師との出会いというものはほんとうに三者三様らしく、誰もがそれぞれに「先生との出会い」のエピソードを持っていて面白い。
多くの俳人が師との出会いについて書き残しているが、わたしがもっとも好きなエピソードは河東碧梧桐の『子規を語る』にある正岡子規との出会いである。

「こりゃ御迷惑じゃったな。」
「イイエ。あの、稽さんはおいでやるかな。」
「稽はけさちょっと久米へ使いにやった……まだもどりますまい。」
「今夜は……。」
「秉坊、正岡さんにおじぎおしよ……。」
私はこれまでいく度も耳にしていた、升さんがこの人だと直覚した。横に切れた眼が私を射った。への字なりに曲った口もいかつい威厳を示していた。私を射った眼が大きくくりくり左右に動いた。

河東碧梧桐『子規を語る』

河東碧梧桐(本名秉五郎(へいごろう))は明治六年、伊予松山市千舟町に生まれた。父静渓は千舟学舎を創設。引用にある会話は、静渓と子規(このブログの読者は俳句を嗜んでいらっしゃるかたがほとんどだと思うのですが「升さん」は子規のことです。念のため)のものである。当時、子規は十三、四歳。碧梧桐は七、八歳。稽さんと呼ばれているのは、碧梧桐の三番目の兄の稽三郎。子規とは無二の友で、書を読むにも、詩文を作るにも好敵手であったとか。

出会いについての文章の後に、子規の顔についての細やかな描写が続く。文字数の関係で引用はしないが、師匠の顔の造りの話に顔面美容学を引用しておいて「子規の死面でもとって置けば顔面美容学などはすぐ覆されてしまうだろう」と言ってのける碧梧桐はほんとうに面白いので、機会があればぜひお読みいただきたい。

思い返して、碧梧桐は次のように語っている。

私はショート・サイトでその眼光に打たれてから、約二十年間その光の下に昂奮もし、屈服もし、反抗もし、暖くも冷たくも、美しくも醜くもさまようていたのだ。一言に尽せば、その眼光の下に浄化されて来たと言い得るであろう。それは私の素質を享け容れ得るだけに。

河東碧梧桐『子規を語る』

昂奮、屈服、反抗。アンビバレントな感情。
読んでいて、共感のような、同情のような、簡単に「わかるよ」なんて言ってはいけないような気持ちにもなれば、師弟斯くあるべしという気持ちにもなる。
ここからは子規亡き後の碧梧桐の歩みを、彼の句とともに辿っていきたい。

から松は淋しき木なり赤蜻蛉
クウをはさむ蟹死にをるや雲の峰
天下の句見まもりおはす忌日かな

から松の句は子規が没した明治三十五年に詠まれた。ときに親や師は木に喩えられることがあるが、この句は唐松の木は淋しい木だと言い切る。止まっている一匹の赤蜻蛉はいつか群れへと帰ってしまうのだろうか。唐松が引き留めることはない。
次の句は、空に「クウ」とルビが振ってある。碧梧桐は子規亡き後、俳壇を引き継ぎ、「新傾向俳句」を広めるために三千里を旅することとなる。この句はその出立の前に詠まれたものである。大空を、虚空を挟んで死んでいる小さな蟹。いつ客死するかもわからない自分であるが、最期のときの手のひらには何が残っているのだろう。
天下の句は、もちろん、子規を詠んだものである。碧梧桐は後継者として指名されなかったものの、終生子規を師と仰いだ。子規の晩年には看病のため、子規庵の近くに住み、『子規之第一歩』『子規を語る』『子規言行録』などを出版した。自分の師の句を天下の句と呼ぶのはどんな気持ちなのだろう。
その心境に至る日が、わたしにも来るのだろうか。

又たたゞの一人になりぬさみだれん
忘れたいことの又たあたふたと菜の花が咲く
雪がちらつく青空の又た此頃の空

三句の共通点にお気づきだろうか。
碧梧桐の句にはしばしば「又」が使われるのだが、一句目はいきなり「又」と始まる。「陸奥板留温泉にて留別」と詞書があるこの句は三千里の旅のなかで詠まれたもの。陸奥のひとたちとともに俳句を詠む日々は終わり、自分はまた旅人に戻るときが来たのだ。この冷たい雨のなか、ただの、ただ一人の旅人に戻ろう。さみだれんは「五月雨ん」であり、「さ乱れん」でもある。
二句目の「あたふた」は慌てふためいているのではなく、たくさんの菜の花がいちめんに咲いているという意味である。忘れたいはずなのに、かえって忘れたいという気持ちのせいで記憶がより深く刻まれてしまう。ちょっとしたことがきっかけで、ドミノが倒れていくように記憶が蘇ってしまう。それはまるで眼前の菜の花畑のような鮮明さで。
わたしは碧梧桐の「又」の句はどれも好きなのだが、三句目は特に好きな句。七七七のリズムをぜひ声に出して読んでいただきたい。声に出してみると「又た」の後にたっぷりの間が生まれる。この間は気付きであり、今日という日を生きていることの喜びでもある。

碧梧桐は、俳句の新しい表現方法をあるものに見出した。「ルビ」である。

どうやら築かれた八重桜ハナ躑躅ハナ庭梅ハナをさはるに
白猫オマヘ友猫ツレなうて来るその鼻声コエ鼻黒が痩せて腰骨フリ

花を見るとつい触りたくなってしまうのはわたしだけだろうか。失礼があってはいけないので「失礼いたします」と一声かけて花に触れる。これが花の体温。八重桜、躑躅、庭梅。どれも異なる花であるのに「ハナ」と呼ばれる不思議。わたしたち、ヒトもまた。
白猫と書いて「オマヘ」、友猫と書いて「ツレ」。仲良しなのは猫たちだけではない、呼びかけている作中主体も猫たちと仲良し。作中主体はやさしげな、あたたかな眼差しを猫たちに向けている。

昭和八年、碧梧桐は還暦を迎え、公的な俳事から一切手を引くと発表。十一年、弟子たちから淀橋区戸塚に家を贈られ、今後は書に集注さるべきかとの信念を得て、日記によろこびを記したのも束の間、発病し、翌年腸チフスで数え六十五歳の生涯を終えた。

師がいるかいないか。それは、地図を持っているかいないかに似ている。道を確かめるように、心のなかの師に問いかける。この道でいいのでしょうか、と。
新傾向俳句を唱える旅路のなかで、碧梧桐は何度心のなかの子規に呼びかけたのだろう。子規の「写生」の教えに則り、音数や季題にとらわれない「新傾向俳句」を広めようとした碧梧桐。この二人は、師弟関係のひとつの理想のように思う。昂奮、屈服、反抗の果てに、碧梧桐が辿り着いたものとは。

最後に、季何先生の著書『俳句ミーツ短歌』から碧梧桐についての文章を引いて、このブログの結びとする。

碧梧桐は昭和八(一九三三)年、還暦祝いの席上で俳壇からの引退を発表し、四年後の昭和十二(一九三七)年腸チフスで世を去りました。わけのわからない句を作るようになったとして俳壇での評価が下がり、失意のうちに亡くなった、というふうに見えるかもしれません。しかし、見方を変えれば、俳句という詩の可能性を純粋に追及した人生だったともいえます。私自身は、俳句を伝統芸道にしようとせず、常に最先端の詩文芸として、その在り方に取り組んだ碧梧桐の努力と達成を非常に尊敬しています。俳句の在り方が大きく変わりつつある二十一世紀現在、碧梧桐の遺産と精神は、改めて検証、評価されるべきだと感じています。

堀田季何『俳句ミーツ短歌』


【御礼と宣伝】

第二回リブラ句会、ご参加の皆さま ありがとうございました‼︎ スイーツの差し入れがあったり、地方のお菓子のお土産をいただいたり、って 食べものの話ばっかりしちゃう。ご参加いただいた皆さまのおかげで、句会運営や
作品づくりを頑張れます。ありがとうございます。
第二回以降から荻窪の鱗さんを句会場とさせていただいております。店主の茶鳥さんのごはんはほんとうにおいしいんです。おいしいごはん、楽しい句会。第三回リブラ句会は荻窪の鱗さんにて4/13(土)の開催を予定しております。お申込みは俳句同人リブラのXのアカウントにて。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

本ブログをお読みくださり、俳句結社「楽園」が気になってきたぞという皆さま。楽園にはビジターという制度がございます。ビジターにご登録いただきますと、なんと‼︎ 結社誌「楽園」の電子版を無料で講読できちゃいます‼︎ これ、実はけっこうすごいことだと思うんです。
結社誌を手に入れる方法はその結社に所属しているというのがほとんどだと思います(一部の結社さんでは講読会員なんて制度もあって、ありがたやありがたやって思っちゃう。結社誌をご寄贈いただきました‼︎なんてポストを見ると羨ましくて歯ぎしりしちゃう)。ビジター登録したら入会しなくちゃいけないんでしょう?みたいな心配はなさらなくて大丈夫です。登録も楽園俳句会ホームページにあるアドレスにメールを送るだけなので簡単です。なんか、深夜の通販番組みたいになってきたな……。まずは結社誌「楽園」を読んでみませんか。

ほんとのほんとの最後に、わたしと季何先生のエピソードをちょっとだけ。
皆さま、年度が変わる時期ということで忙しくされているのではないでしょうか。わたしも、ありがたいことに忙しく仕事させていただいておりまして、忙しいとどうしても心に余裕というものがなくなってしまいまして、楽園の句会にこんな句を出してしまったんですね。

職場滅ぼすみづの星みち連れに

いま読み返しても読み返さなくても赤面ものなのですが、この句に対する季何先生のコメントがこちら。

やめましょう。

先生、ほんとうに‼︎ ほんとうに申し訳ないです‼︎ ほんとうにごめんなさい‼︎ このコメントをいただいて思わず笑っちゃいました。
また、笑えました。

……今回もたくさん書いちゃった‼︎ ここまで読んでくださり、ありがとうございます‼︎ みんな、ありがとう。だいすきです。

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