見出し画像

私たちはいつから「課金で応援する」という発想をするようになったのか?

先日、「舞台 弱虫ペダル THE DAY1」を見てきました。漫画「弱虫ペダル」を原作にした舞台作品です。久々の銀河劇場。大きすぎず、そこそこ客が入るいい劇場だと改めて実感しました。席もそこそこ段がついていて1階の後ろの席でもみやすいのがうれしい。

1回目の観劇のチケットは抽選だったので2階席だったのですが、かなり前の席だったので舞台全体がすごく見やすくいい体験でした。しかし途中の演出とラストのカーテンコールの「恋のヒメヒメぺったんこ」のダンスが客席降り演出ありだったので「ああ1階席でみたいな」と思い、リピーターチケットを販売している列に並びました。リピーターチケットは座席を指定して購入できるので、お見送りがある日の1階席を購入しました。買った瞬間思ったのは「買うことで公演を応援できる」という思いでした。

普段はあまり同じ公演を複数回行くことはない(複数回いくのであれば、違う作品の公演を見たい)のですが、弱虫ペダルの舞台シリーズについては、今回の公演はインターハイの1日目決着で終わったので、続きが見たいという思いが強まり、思わずチケットを買ってしまいました。

映画が娯楽の王様だった時代から、テレビの登場で「庶民の娯楽は無料で楽しめるもの」になりました。(今でもスマートフォン向けゲームでは「無料で楽しめる」をうたい文句にしているものも少なくありませんし実際ある程度まで楽しむことができます)しかしその中で「あえてお金を出して楽しむことで提供側に辞ししていることをメッセージ」として伝えているのです。

最近「推しへの課金」とか「グッズを買うことが応援につながる」とかもいいますが、ある一定のオタクにはこの認識がなんとなく共有されていると思います。私も実際「買うことで公演を応援できる」「支持している人がいることを示せる」と思ったわけですが、この考えがどこから来たのか気になりました。

複数のルーツがあるのだと思いますが、ある程度の世代には「週刊少年ジャンプのアンケートスタイル」と「秋元康氏によるAKB48商法」が利いているのかなという考えに至りました。

ジャンプのアンケートスタイルはみなさんご存じ、週刊少年ジャンプを発行する集英社は雑誌についたアンケート結果で連載作品の人気度合いを計り、掲載の順番や掲載を終わらせるかどうかを決めるといわれています。自分が好きな作品の掲載を続けてもらうために投票するには雑誌をお金を出して購入して、アンケートはがきを手に入れる必要があります。(電子版ではオンラインアンケートで送ることができます)漫画好きの間では、「単行本が出たらすぐに買う」とか「1巻の売り上げが重要」とかがなんとなく知られています。

一方で秋元康氏によるAKB48商法では、総選挙などで投票するためにはCDを買うなどして投票権を手に入れる必要があります。そもそもアイドルの握手会などに参加するにはお金を出す必要があります。お金を出す=応援するという図式がここでも成立しています。

エンタメのマネタイズについてはもう少し調べたいのですが「お金を出す=応援する」という意識が浸透したきっかけの事例をもしご存じならぜひ教えてください。よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?